2025年4月に刊行されたノンフィクション作品『Fight: Inside the Wildest Battle for the White House』(ファイト:ホワイトハウスをめぐる最も苛烈な戦いの内幕)は、ジャーナリストのジョナサン・アレンとエイミー・パーンズによって執筆されたものである。2024年のアメリカ大統領選挙における舞台裏を丹念に記録した本書は、登場人物たちの生々しい姿と、予測不能な政治劇の展開を描き、『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラー第1位を飾った。
本書の中心に据えられているのは、ジョー・バイデン大統領の高齢による影響と、民主党内におけるその受け止め方である。2023年以降、バイデンの身体的・精神的な状態に対する懸念は次第に顕在化し、側近や議員の間でも議題に上るようになった。表向きは沈静化を図る姿勢が取られたが、舞台裏では困惑や疑念が渦巻いていたとされる。ある民主党議員がピクニックで大統領と会話した際、大統領が相手を思い出せなかったという出来事や、イベント中に突然動きが止まった場面、インタビューの最中に予定外の行動を取ったといったエピソードも本書に記録されている。さらに、海外訪問の際には、バイデンの印象をよくするためにメイクスタッフが招かれたとも伝えられている。
そうした兆候が積み重なるなかで、大きな転機となったのが、2024年6月末に行われたドナルド・トランプとのテレビ討論である。バイデンのパフォーマンスは厳しく批判され、国民や党関係者の間で大統領の能力に対する不安が一気に広がった。討論会の数日前には、資金集めの場でバイデンが長時間無言になり、オバマ前大統領が介入するという場面も目撃されていたという。本書では、討論会当日、民主党幹部たちがそれぞれテレビ画面を前にして危機感を募らせた様子が描かれており、オバマは「驚きはしなかったが衝撃を受けた」と述べたとされる。
この討論を契機に、バイデンが選挙戦から身を引き、カマラ・ハリス副大統領が民主党の新たな候補者として名乗りを上げるという急展開が生じた。ハリスに与えられた準備期間は100日あまりと短く、周囲の備えも万全ではなかった。本書によれば、彼女のチームは、万が一に備えて、就任宣誓を可能とする信頼できる連邦判事のリストを用意していたという。
だが、ハリスの指名には困難がつきまとった。バイデンが立候補取り下げを表明する際、ハリスは即時の支持表明を求めたが、大統領側は当初、自身の決断を中心に据えた声明を優先しようとしていたとされる。説得の末、同日中にハリス支持を表明することになったものの、政権内部では彼女に対する不信の声も強く、一部では「誤った選択」と見なされていたという。
民主党の重鎮であるオバマやペロシも、当初ハリスへの支持には消極的だったと報告されている。特にオバマは、ハリスの勝利を信じておらず、その政治的手腕にも懐疑的であったとされる。彼は、ハリス以外の人物を候補者として擁立する「開かれた党大会」の開催を模索していたという。本書によれば、ハリスはオバマからの支持を何度も求め、ようやく支持を得た背景には、オバマ自身の党内での立ち位置への配慮があったとされる。
ハリスはバイデン政権の政策から距離を置けない立場にあり、有権者に向けた明確な違いを打ち出すことが難しかった。本書では、彼女が訴えた「自分は別の背景と人種を持つ存在である」という主張が、差異としては弱かったと分析されている。また、選挙戦終盤まで陣営は勝機を語っていたが、結果は敗北。ハリス自身が「納得できなかった」との記述もあり、内部では誤った情報に基づいた判断が下されていた可能性も示唆されている。
一方で、トランプ陣営は当初の混乱を乗り越え、迅速に対応した。本書では、トランプの言動に一貫性がないように見えても、内部では戦略的な思考が働いていたとされ、若年層へのアプローチとして息子バロンにインフルエンサーとの連携を打診するなど、柔軟な発想があったことも紹介されている。
総じて本書は、民主党が2024年の選挙で失ったものの大きさと、その原因について鋭く掘り下げている。「人気や支持に基づく正統性」に訴える戦いを回避し、組織として責任を取る姿勢にも欠けていたことが、敗北の核心であったとする本書の分析は、党の機能不全を浮き彫りにする。これはまるで、往年の人気座長が衰えを見せるなか、代役に不安を感じつつも舞台の維持を優先してバトンを託す、という演劇的な光景に重なる。そして舞台裏では、真の後継者をめぐって緊迫したやりとりが続いていたという印象を与える。
執筆者のジョナサン・アレンとエイミー・パーンズは、民主党政治の内実に迫る著作を数多く手がけてきた。アレンは『NBCニュース』の政治記者として活躍しており、過去には『ポリティコ』や『ブルームバーグ』でホワイトハウス取材を担当。両者の共著には、ヒラリー・クリントンの政治活動やバイデンの2020年選挙戦を追った書籍も含まれ、いずれも綿密な取材に基づいた記録として評価されている。
『Fight』は、2024年アメリカ大統領選挙をめぐる政治的混乱と、その結末としての政権交代を描き出した一冊であり、現代アメリカ政治の構造的課題を示す証言資料ともいえる内容となっている。
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