2025年3月に刊行されたデイヴィッド・サロイの小説『Flesh』は、波乱に満ちた運命に翻弄されるハンガリー人の男の半生を追う作品であり、人生の初期に経験したトラウマが物事に対する感じ方や考え方にどのような影響を及ぼすのかを描いている。また本作は2025年7月に発表されたブッカー賞のロングリストに選出されたことでも注目を集めている。
物語は、ハンガリーの田舎町に移り住んだ15歳の少年、イシュトヴァンの人生から始まる。彼は内向的で、学校に馴染むことに苦労し、孤立感を深める。そんな中、母親に急かされて近所に住む母親と同年代の42歳の女性の買い物を手伝うようになる。この関係は、やがてイシュトヴァンが想像もしなかった性的関係へと発展する。その最初の性的体験は「身の毛もよだつような」「忘れがたい」ものと描かれており、強い不快感を与える内容である。最終的に、この関係は悲劇的な暴力事件に発展し、イシュトヴァンは女性の夫を階段から突き落として殺してしまう。この出来事は彼の人生を通じて反響し、将来の人間関係のパターンを形作るものとなる。
若くして少年院送致を経験したイシュトヴァンは、その後軍隊に入隊し、2003年のイラク戦争に従軍する。戦場で友を失い、自責の念に駆られるなど、彼の兵役経験は深いトラウマとなる。兵役を終えた彼は、ロンドンへ移住し、新たな人生を築こうと試みる。当初はストリップクラブの用心棒として働くが、後に富裕層の運転手兼警備員として雇われ、ロンドンの超富裕層の世界へと足を踏み入れていく。彼は大物実業家の妻と不倫関係になり、金と権力が渦巻く世界を渡り歩くことになる。
イシュトヴァンは自分の人生に対して観察者のような距離感を保っており、質問に対しては単純な相づちを返すことが多い。彼は物語の中の出来事に対して受動的かつ消極的な参加者であり、「行動する」というよりも「行動される」存在である。このように彼は受動的でありながらも、その肉体的欲求や暴力性、あるいは性的な解放を通じて、自身の感情を身体的に表現しており、彼の人生における「Flesh(肉体)」の役割が強調されている。特に戦争中の経験は、死の瀬戸際にいることで世界が有意味で鮮やかに感じられるという、彼の特異な感覚を浮き彫りにしている。
主人公の視点を通じて、読者はイギリス社会、特に現代の階級社会における外国人労働者の地位や、富裕層の生活様式を新鮮な視点から見つめ直すよう促される。また、COVID-19のパンデミックといった現代の主要な出来事も背景に織り込まれ、物語にリアリズムと時代性をもたらしている。
デイヴィッド・サロイは、1974年にカナダのモントリオールでカナダ人の母とハンガリー人の父の間に生まれた。生後まもなく家族と共にベイルートへ移り住むが、レバノン内戦の勃発によりロンドンへの移住を余儀なくされる。オックスフォード大学で学んだ後、ロンドンで様々な営業職に就いた後、作家としての道を志し、ブリュッセル、そして父の故郷であるハンガリーへ移り住んでいる。彼は「ハンガリー系イギリス人作家」として知られ、BBCのラジオドラマも数多く手掛けている。小説では『オール・ザット・マン・イズ』が2016年のマン・ブッカー賞の最終候補にも選ばれ、彼の作家としてのキャリアを大きく飛躍させるきっかけとなった。サロイの作品は、しばしば男性性や現代社会において男性であることの意味を探求する作風で知られている。
『Flesh』は、主人公イシュトヴァンの何十年にもわたる人生を追うことで、人間存在の不確かさや、現代社会における男性の在り方について深く掘り下げた作品である。その結末は必ずしも希望に満ちたものではない。しかし、作者が音声配信番組「A Pair of Bookends」で語った言葉を借りるなら、人生の終わり方をどこで区切るかによって、物語のハッピーエンドが決まるのであり、人生を「全て」描き切れば、必然的に悲劇的な側面も含まれるものである。そう考えると本書は単なる「ある男の救いようのない人生」を超えた味わいを持つといえるだろう。
参考資料:
Flesh by David Szalay review – brilliantly spare portrait of a man | David Szalay | The Guardian