2025年5月に刊行されたジェシカ・スタンリーの小説『Consider Yourself Kissed』は、典型的なロマンチックコメディに社会風刺や政治風刺を巧みに融合させた恋愛小説である。本作は、現代の東ロンドンを舞台に、コラリー・バウアーとアダム・ホワイトマンというカップルの関係が2013年から2023年の10年間にわたって変化していく様を描いている。本作は2025年5月のナタリー・ポートマンの推薦図書として取り上げられており、彼女のインスタグラムの投稿を通して世界中のフォロワーからも注目を集めている。
物語は、2013年3月のある寒い日曜日に始まる。オーストラリアの広告代理店からロンドン支社へ転勤してきた29歳のコピーライター、コラリーは、ヴィクトリア・パークの池に落ちた幼い女の子を救助する。その女の子の父親であるアダムは、37歳の政治ジャーナリスト・コメンテーターであり、二人はこの劇的な出会いをきっかけに惹かれ合う。アダムは離婚歴があり、4歳の娘ゾラを元妻と共同親権で育てている。コラリーはすぐにアダムとゾラの生活に溶け込み、数か月後には彼らの家に引っ越す。
しかし、この小説が描くのは単なる甘い恋愛物語ではなく「その後」である。二人は家の改装、二人の子供の誕生、アダムの元妻マリーナとその再婚相手「保守党のトム」、アダムの母親サリーとそのパートナー、そしてコラリー自身の家族との複雑な関係性に向き合いながら、共に人生を築いていく。特に、コラリーと義理の娘ゾラとの関係は、繊細で時に摩擦を伴いながらも、深い愛情に基づいたものとして描かれている。
この10年間は、英国政治にとって激動の時代と重なる。ブレグジット、数々の首相交代、そしてCOVID-19パンデミックといった政治的・社会的な出来事が、コラリーとアダムの私生活に深く影響を与えていく。アダムは政治ジャーナリストとして、これらの出来事を追いかけることでキャリアを急速に発展させていく一方、作家になるという夢を持つコラリーは、育児と家庭の責任に追われ、自身のキャリアや創作活動を後回しにせざるを得なくなる。アダムは「自分も入浴や寝かしつけをする」と弁解するが、それはコラリーが担う育児や感情労働の重さに対する認識の欠如を示している。コラリーは、完璧な生活を送っているように見えながらも、自分自身を見失っていく感覚に苦しんでいく。
物語全体を通して、著者はユーモアと鋭い観察眼をもって、現代の人間関係、特に共働き夫婦における家庭内労働の不均衡や、育児がもたらす喜びと負担を描いている。特に働く母親にとって、彼女の経験は痛いほど現実的である。また、政治的背景の描写は、政治が個人の生活、感情、そして関係性にいかに影響を与えるかを巧みに示している。
著者ジェシカ・スタンリーはオーストラリア出身の小説家で、現在はロンドンに住んでいる。メルボルンで育ち、キャンベラで学び、ジャーナリズム、テレビ番組「Neighbours」の撮影現場、労働組合運動、広告業界で働いた経験を持つ。2011年にイギリスに移住して以来、フリーランスのコピーライターとして働きながら小説を執筆している。彼女は夫と3人の子供たちと共に東ロンドンに暮らしており、本作に描かれるワーキングマザーの育児の描写には、自身の経験が色濃く反映されている。また、「READ.LOOK.THINK」というニュースレターを長年発行しており、自身の興味や観察を読者と共有している。
『Consider Yourself Kissed』は、単なる恋愛小説や政治小説にとどまらない、現代社会への鋭い観察が反映された作品である。恋愛小説の枠組みを借りて、家族・育児・キャリアの両立といった複雑なテーマと向き合っており、男女を問わず今の時代の読者の共感を呼ぶ小説といえるだろう。
参考資料:
'Consider Yourself Kissed' review: Jessica Stanley's novel of motherhood and more : NPR