2012年にスペイン語で出版され、2017年に英訳されたアリアナ・ハルヴィスの小説『Die, My Love』(原題:Matate, amor)は、フランスの田舎を舞台に、主人公の女性の激しい内面を描いた物語である。語り手の女性は大学教育を受けた外国人として、田舎に夫と幼い子どもとともに暮らしている。
物語は、精神的な不調とその恐怖に苦しむ一人の女性の姿を内面から描き出す。彼女は産後うつに苦しんでいるようにも見えるが、その脆弱な精神状態は結婚や出産以前から存在していたことも示唆されている。
物語は苛烈な場面から始まる。語り手の女性は藪に身を潜め、夫と息子の様子を密かに覗き見ている。倒木の間に横たわり、心中には不穏で暴力的な思考が渦巻き、自らの血を流すためのナイフを夢想している。子を授かった性行為を悔やみ、自らを「頭のおかしい、救いようのない外国人」と見なしている。
彼女の内面の語りは、激しさに満ちた意識の奔流であり、攻撃性や自傷願望、幻覚と現実の区別の困難さが露わとなっている。母性や性、関係性の凡庸さに耐えきれず、赤ん坊の世話に応じることができずに、「私は母親、それだけ。でもそれを後悔してる。でもそれさえ言えない」と語る。彼女はたびたび赤ん坊から逃れたいと願い、「死にたい」とさえ口にする。
この語り手は田舎の生活と家庭の閉塞感に息苦しさを覚え、孤独と退屈に苛まれながら、社会的な期待や常識の境界に対して激しく反発する。他者を攻撃したり、暴力の幻想に浸ったりする描写も多い。夫との関係は極端な愛憎が入り混じるものであり、互いを軽蔑しながらも「愛してる」という言葉を機械的に使い続け、「二度と会いたくない、愛してる」や「死んでくれ、愛してる」といった矛盾に満ちたやり取りがなされる。
この小説は、残酷で不安定、そして生々しい筆致で描かれており、母性や家庭生活に対する通念を根本から揺さぶる作品である。母親であることが牢獄であり、罠であり、逃れがたい凡庸な運命であることを告発する。
本作の大きな特徴の一つは、産後うつや母親の暗部といった、社会的にタブーとされがちなテーマに真正面から向き合っている点である。著者自身、自身の作品が「挑発的で政治的に正しくない」テーマを扱っていることを認めている。彼女は、書くことは「不快にさせること」であり、「汚物をかき回すこと」であると述べており、文学における「政治的正しさは今世紀の壊疽である」と強く批判している。本書は、こうした著者の文学的信条を体現する作品と言える。
アリアナ・ハルヴィスは1977年生まれのユダヤ系アルゼンチン人作家で、ブエノスアイレスで脚本と演劇を学んだ経歴を持つ。29歳の時にフランスに移住し、故郷での大学教授の職からベビーシッターに転身した。その後、ホロコースト記念館での勤務やスペイン語教師も務めた経験がある。YouTubeのインタビュー動画では、アルゼンチンからフランスへの移住について知人から「裏切り者」「反愛国者」としてバッシングされたが、後述するスコセッシが手がけた映画化により、手のひら返しで「アルゼンチン代表」として扱われるようになったことを皮肉まじりに語っている。
本作は三部作の一つとして位置付けられている。第二部の『Feebleminded』(原題:La débil mental)は、母親と娘の間の複雑で病的な関係が描かれており、娘が語り手となる。娘には既婚者の愛人がおり、相手から別れを告げられたことから、母娘がその愛人に復讐する動機で自宅に誘惑する。作中では母娘の矛盾した思いや抑圧的な関係が描かれる。第三部『Tender』(原題:Precoz)では、母親と息子が一緒に暮らしており、母息子の不道徳な関係、息子の成長、母親の愛人に対する執着などが描かれる。一連の作品を通して、著者は家族という概念や女性の役割への固定概念を解体し、人間の内面に潜む欲望や暴力性を生々しく描いている。
報道によるとマーティン・スコセッシが三部作の権利を取得し、『Die, My Love』をジェニファー・ローレンス主演で映画化を構想したという。本作はリン・ラムジーが監督を務め、ロバート・パティンソンが夫役を演じ、2025年カンヌ映画祭で上映され注目を集めた。三部作のすべてを映画化するかについて現時点では明らかにされいない。
『Die, My Love』は、産後の女性の激しい葛藤、家族関係の暗い側面、人間の本質に潜む暴力性や自己嫌悪といった、極めて重いテーマを扱っている。本書は、刺激的な表現や物語の面白さだけでなく、言語の力や人間の複雑な感情について深く考えさせる作品といえるだろう。
参考資料:
Die, My Love by Ariana Harwicz - Latin American Literature Today