2025年ピューリッツァー賞一般ノンフィクション部門とプーシキン・ハウス図書賞を受賞したベンジャミン・ネイサンズ著『To the Success of Our Hopeless Cause: The Many Lives of the Soviet Dissident Movement』(希望なき大義の成功へ:ソビエト反体制運動の多面的な生涯)は、ソ連反体制運動の歴史を包括的にまとめた一冊である。この本を通して1960年代に始まり、ソ連崩壊期まで続いたこの運動は、一見絶望的な状況に直面しながらも、ソビエト政権を弱体化させる上で重要な役割を果たしたことが明らかになっている。
本書が特に焦点を当てるのは、反体制運動の核となった「市民的服従(civil obedience)」という独特な戦略である。これは、米国の公民権運動などでおなじみの、不正な法を破ることでその不正を暴露し、法の改正を促す「市民的不服従(civil disobedience)」とは対極にある戦略だ。ソ連の反体制派は、ソ連自身の法、特に1936年スターリン憲法に明記されていた市民的自由(言論の自由、報道の自由、集会の自由など)の条項を、ソ連国家が自ら遵守することを要求したのである。この戦略は、ある反体制派の言葉を借りれば、「不自由な国で自由な人間のように振る舞い始めた」という、「シンプルにして天才的な」発想であった。
この戦略を考え出したとされるのが、モスクワの数学者アレクサンドル・ヴォルピンである。数理論理学を専門とするヴォルピンは、真理の性質や数学のような厳密さを持つ「理想的な言語」の創造に関心を持っていた。こうした彼の専門分野は、ソビエト国家に自国の宣言した法に対して責任を負わせるという戦略の基盤となっていた。
運動は、ヴォルピンが1965年12月5日、憲法採択記念日にプーシキン広場で組織した「グラスノスチ(透明性)集会」を契機に始まる。この集会は、逮捕された二人の作家、シニャフスキーとダニエリの裁判が公開されることを要求するものであり、体制に異議を唱えるのではなく、憲法遵守という極めて最小限の要求を掲げた。
反体制の活動は多岐にわたる。「サミズダート」(タイプライターとカーボン紙を用いた地下出版物)はその一つの方法だった。文学作品、エッセイ、記事、裁判記録などが秘密裏に作成され、配布された。サミズダートが情報伝達の主要な手段であったことは、国家による情報統制に挑む上で独立したコミュニケーションの重要性を示している。厳格な検閲のもとにあった社会において、検閲されていない情報を作成し共有する能力は、異議を唱え、意識を高めるために不可欠だった。
当局による逮捕や弾圧に対する抗議は、新たな逮捕や抗議を生み出す「連鎖反応」を引き起こした。グラスノスチ集会をきっかけに、抗議、逮捕、裁判、秘密の裁判記録、裁判記録の回覧、さらなる抗議、さらなる逮捕と、雪だるま式に運動が展開していった。この運動は1965年から1968年頃にかけて拡大したとされる。その時期に、公的な嘆願書に署名するなど、自らの名前を明らかにして活動した「中心的な」反体制派は約1000人に達していた。これは当時のソ連の総人口(約2億4000万人または2億8000万人)から見ればごくわずかな数であった。しかし、サミズダートの作成、配布、購読に携わった人々を含めると、そのネットワークは数万人に及んだ可能性があり、ソ連全土に広がっていたとされる。
しかし、1968年以降、KGBによる弾圧は過酷さを増していく。逮捕、裁判、精神病院への強制収容、労働収容所への送致、追放といった司法的措置に加え、職場からの解雇、子供の進学妨害といった超法規的措置も頻繁に行われた。KGBは運動を法的に封じ込めるのではなく、むしろ法システムを迂回して弾圧を強化したとされる。尋問の目的は、反体制派の思想や信念を探ることではなく、「誰からサミズダートを受け取ったか」「誰に渡したか」といった関係者の特定に終始した。これは地下出版ネットワークのつながりを断ち切ることで、情報の拡散を阻止し、運動全体を孤立させることを目的としていた。
このような弾圧により、運動はその勢いを失い、縮小を余儀なくされた。運動は生き残るために「再フォーマット化」を余儀なくされ、大規模な参加者を集める社会運動から、「NGOのようなもの」へと変貌していった。彼らはアムネスティ・インターナショナルのような、世界の「良心の囚人」を支援する非政府組織のような枠組みへと変化していった。この新しい手法では、KGBの監視が一層強まったものの、運動自体は完全に消滅せず、国際的な注目を集め続けることができた。
運動はソ連体制によって最終的に抑圧され、1982年頃には実質的に壊滅状態となった。そして、約10年後にソ連が崩壊した際、かつての反体制派が主要な役割を果たすことはなかった。しかし、彼らの活動、抗議、証言、サミズダートといった試みが、ソ連および東欧における共産主義の正当性を侵食する上で重要な役割を果たしたことは疑いない。ミハイル・ゴルバチョフによるペレストロイカの時期には、「グラスノスチ」や「民主化」といった反体制派が用いた語彙や、その思想の一部が体制内から表明されるようになった。ゴルバチョフ自身、反体制運動の文化的・精神的影響は、その実際の人数を遥かに凌駕していたと認めており、彼らのアイデアが自身の改革プログラムに影響を与えたことを示唆している。反体制派はソ連崩壊を意図していなかったが、彼らの活動はシステムから正当性を吸い上げ、その空洞化を助けた。著者は、この空洞化こそが、一見突然に見えるソ連崩壊の一因となったと論じている。
現代のロシアにおいても、自由を求める闘争は続いている。しかし、プーチン政権下では、反体制派の思想や実践は再び弾圧され、多くの人々から忘れ去られつつある。著者は、今日のロシアにおいて反体制派の記憶が薄れている現状に対して、彼らの歴史は現代ロシアにとっての「利用可能な過去」であると訴えかける。
ベンジャミン・ネイサンズは、ペンシルベニア大学歴史学部の准教授である。専門は帝政ロシア史およびソ連史、近現代ヨーロッパ・ユダヤ史、そして人権史に及ぶ。他の著作に、ロシア帝国末期のユダヤ人の経験を扱った『Beyond the Pale: The Jewish Encounter with Late Imperial Russia』があり、この著作は2003年にコーレット・ユダヤ書籍賞など複数の賞を受賞している。本書の執筆にあたっては、アメリカ、イギリス、ドイツ、リトアニア、ロシア、イスラエルといった六カ国以上に及ぶ文書館で調査を行ったほか、反体制派の参加者が残した150冊以上の回想録、日記、サミズダート、そしてKGBの保管記録といった多岐にわたる一次資料を駆使している。中でもKGBの尋問調書は、回想録の中で完結した歴史観から脱却し、独自の視点を得るための重要な情報源となったとされる。
『To the Success of Our Hopeless Cause』は、ソ連反体制運動の歴史に新たな視点をもたらす記念碑的作品であるといえる。本書は、ごく少数の著名人ではなく、運動を支えた無数の人々を丹念に掘り起こしている。また、その核心的な戦略であった「市民的服従」というユニークなアプローチを詳細に分析し、それが当時の全体主義体制下でいかに機能し、そして限界に達したのかを鮮やかに描き出している。本書は、ソ連史研究者だけでなく、人権や抵抗運動に関心を持つ幅広い読者の心に訴える力があるといえるだろう。
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