2023年にピューリッツァー賞戯曲部門を受賞したサナズ・トゥーシによる戯曲『English』は、イランでの英語学習という日常的な光景を描いた作品である。本作はオフ・ブロードウェイでの成功を経て、2025年1月から3月の期間にブロードウェイで上演されるなど、高い評価を得ている。
時代設定は2008年。イランのカラジにある英語教室が舞台となる。ここにはTOEFL試験合格を目指す4人の成人が集まっている。彼らの英語学習への動機は様々だ。医学部進学のための資格、グリーンカードの取得、あるいは海外で暮らす孫とのコミュニケーションなど。教師は、マンチェスターでの9年間の滞在経験を持つマルジャンである。彼女は教室で「英語のみ」というルールを徹底し、このルールが、生徒たちの間にそれぞれの言語的背景や個人的な葛藤に根ざした緊張を生み出していく。登場人物は時に互いの英語力やアクセントをからかい、時に支え合いながら、英語という新たな言語空間で自分自身を表現しようともがく。
本作の中心にあるのは、言語とアイデンティティの複雑な関係性である。新しい言語を学ぶことは、コミュニケーションの手段を得るだけでなく、自己を再構築するプロセスだ。母語が身体や感性と切り離せないように、新しい言語は話し手の声や存在のあり方を変えうる。トゥーシは、英語習得の「個人的な代償」に焦点を当てる。母語であるペルシャ語の詩的な表現や感性を重んじる生徒たちにとって、英語は時にぎこちなく、面白みのないものに感じられ、英語を話すことで賢くないと見なされたり、自分が戦犯になったかのように感じることもある。しかし同時に、英語は自由、機会、そして新しい世界への扉を開く鍵でもある。この戯曲は、この二つの言語の間で揺れ動く登場人物たちの内面を繊細に描き出す。
演劇的な手法として特に注目すべきは、言語の使い分けをアクセントの有無で表現する点である。登場人物が彼らの母語であるペルシャ語で話しているという設定の場面では、俳優はアクセントなしの流暢な英語で話す。一方、彼らが英語を話している(学んでいる)場面では、アクセントや不正確さのある英語で話すのである。このような創意工夫は、巧みであり、深い洞察をもたらすと評価されている。
観客は、登場人物たちが母語でいかに豊かに感情や思考を表現できるか、そして学習中の英語でいかに苦労し、自己表現が制限されるかを視覚的かつ聴覚的に体験することができる。特に終盤で交わされるペルシャ語のみの会話は、英語話者の観客を「外側」に置くことで、言語の壁がもたらす疎外感を共感させる効果的な演出となっている。
この戯曲を手がけたサナズ・トゥーシは1992年生まれ。カリフォルニア州オレンジ郡でイラン系移民の両親のもとに生まれたアメリカ人劇作家・脚本家である。家庭ではペルシャ語を、外では英語を話し、幼少期にはイランを定期的に訪れていた。大学で法律を専攻しており、当初は弁護士を目指していたという。彼女の作品は自身の経験や家族の経験に深く根ざしており、特に本作は、トランプ政権によるイスラム教徒入国禁止令への「怒り」から、NYUの卒業論文として書き上げたものである。彼女自身も二つの言語の間で完全な習熟への不安を感じており、二つの文化の間で生きることが独自の視点を与えてくれると語っている。また、有色人種の作家として、作品が「時事的なもの」と位置づけられることへの課題にも言及しつつ、自身の芸術的真実を追求することの重要性を強調している。
『English』は、言語学習という一見狭い題材を通して、アイデンティティの揺らぎ、異文化間の葛藤、そして人間が自分自身であろうとすることの困難と可能性を鮮やかに描き出した傑作である。本作は単なる異文化理解の物語を超え、観客自身の言語や、他者とのコミュニケーションにおける無意識のバイアスについて深く考えさせる力を持っている。
参考資料:
Freedom in Speech: Sanaz Toossi’s English
Sanaz Toossi on Bringing Her Pulitzer Prize-Winning Play ‘English’ to Broadway | Vogue
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