2019年に出版されたドメニコ・スタルノーネの『Trust』(原題:Confidenza)は、恋人たちの秘密を巡る心理サスペンスの中で、信頼、愛、自己認識といった根源的な問いを掘り下げる作品である。英語訳は『Ties』『Trick』の翻訳を手掛けた、作家のジュンパ・ラヒリが担当している。
物語は、高校教師ピエトロと彼の元生徒テレーザの激しい恋愛関係から始まる。度重なる衝突の後、二人は互いの最も恥ずべき秘密を打ち明けることで永遠の繋がりを築こうと試みる。しかし、その秘密の共有から数日後、彼らは決定的に別れる。それから時が経ち、ピエトロは数学教師のナディアと出会い、結婚し、家庭を築く。のちに彼は教育に関する短いエッセイを執筆したことをきっかけに名声を得る。一方、テレーザはイタリアを離れアメリカへと移住する。
テレーザはピエトロが打ち明けた秘密を知っている唯一の人物であり、彼はその秘密が暴露されるのではないかと常に不安を抱えている。テレーザの存在は、ピエトロにとって消えない影として、彼の決断に影響を与える。
それから40年の歳月が経ち、ピエトロの娘エマは一流のジャーナリストとなっている。エマは老いた父親の教育への貢献を称える国を挙げての行事を計画し、その中でピエトロが表彰されるように働きかける。教育界におけるピエトロの功績を裏付ける人物として、エマはテレーザに白羽の矢を立て、彼女に行事に参加させようとする。この出来事は、過去の秘密が再び表面化する可能性を孕み、ピエトロは大きな緊張を伴う局面を迎える。
『Trust』の特筆すべき点は、その語りの構造にある。小説は三つの部分に分かれ、それぞれピエトロ、彼の娘エマ、そしてテレーザの視点から語られる。それぞれの語りは微妙に食い違い、読者は何が真実なのか、誰の言葉を信じるべきなのかという問いに翻弄される。たとえば、「第一の物語」でピエトロはテレーザとの手紙のやり取りを誇張して語るが、「第三の物語」でテレーザはそれを否定する。このように、多角的な視点から出来事を捉えることで、物語は真相の曖昧さを強調し、読者に「信頼」とは何かを深く考えさせる。
McNally Jackson PresentsのYouTubeチャンネルにアップロードされた、スタルノーネと翻訳者のジュンパ・ラヒリの対談における二人の関係性は非常に興味深い。スタルノーネはラヒリを単なる翻訳者ではなく、「作家としての深い洞察力を持っている」と評価している。彼は、自身の言葉がラヒリという才能ある翻訳者によって英語という新たな世界に飛び出すことに深い感動を覚えると語る。特に、イタリア語という比較的限られた言語で書かれた作品が、英語をはじめとする23もの言語に翻訳されることは、彼にとって大きな喜びであるようだ。
スタルノーネによると『Ties』、『Trick』、『Trust』の3冊には共通点があるそうだ。これらはすべて短い作品で、計画的に書かれたわけではないが、それぞれが「失敗」についての探究だと述べている。『Ties』は感情的な失敗、『Trick』は芸術的な失敗、『Trust』は存在的な失敗を扱っていると著者は語っている。
本作は2024年にダニエル・ルケッティ監督により映画化されており、トム・ヨークがオリジナルスコアを手掛けたことでも話題になっている。ルケッティは『Ties』の映画化も手掛けており、こちらは『靴ひものロンド』という邦題で日本公開されている。
『Trust』は、秘密、信頼、そして自己欺瞞といった複雑なテーマを、複数の視点から描き出すことで、読者に多角的な解釈を促す作品である。この小説は、他者を信頼することの難しさ、そして自分自身を理解することの曖昧さを問いかけていると言えるだろう。
参考資料:
Domenico Starnone's novel "Trust," Jhumpa Lahiri translation - Los Angeles Times
The Terrible Powers of Self-Deception: On Domenico Starnone’s “Trust” | Los Angeles Review of Books
Confidenza