
「AI が賢いのでぼくはいらないですね、じゃ」が口癖になりつつあるけれど、じゃあ AI の作った Pull Request を AI にレビューさせてヨシ!マージ!デプロイ!なんてことはしてなくて、やっぱりそこには人間を介入させている。でも、業界に広く目を向けてみると、ここでは人間を介在させる、させない、と上手く切り分けるパターンを作っている方もいるわけで、そこのところは新しい道具をどう使いこなすかという新しくもなんともない話に過ぎないんだろう。
自分の場合は、コードベースで知らない領域のことや、急ぎ調べ上げないといけない不具合の原因調査、あるいは成果物の形が予測可能な、たとえば deprecated になった API を新たなそれに置き換えたりするような、難しいわけではないがなにぶん量があるもんだから人間がやるにはかったるいだとか、そういうことを AI に当たり前に任せるようにはなった。生産性がホニャララ…の話をするなとは言わないがいま君が口にした生産性という言葉をまず定義をしてくれ、とは日々思うが、こういったことに AI を適用したことで体感2から3割くらいスピードが上がっているという雑な感触はある。
手段としての AI が登場する以前でも、自分という個人はその能力を、あるいは私生活を問題なく運営できていたはずなのに、今に至って AI なしは考えられなくなってしまった。
レビューとは「個人の成果」を「チームの成果」に昇華する大事なステップなのだ。
言語化し損ねていたのは、レビューを通してそのコードへの知識を少なくとももう1人増やしておくという意図があって、だから人間を介在させたいのだった。一方で、これは高水準言語(高級言語)で書かれたソースコードのうんぬんかんぬんを問うことに囚われすぎているのでは、という捉え方もでき、こういったメンタルモデルが時代遅れになるのは実のところ5年、10年と掛からないのかもしれない。
AI が書くコードはブラックボックスでよい世界、つまり我々が普段書く高水準言語ですらも機械語のような低水準言語と同等、通常意識しないものだと見なされる世界だと思っている(自然言語が高水準言語であるのは変わらず同じ)
— バトルプログラマー柴田智也?uwu=true (@tomoya_shibata) 2026年2月19日
いずれにせよ AI がよきツール、よき隣人として扱えるのかは人間の手に掛かっているわけで、我々が2本の足で走ってきたどれだけの範囲を AI に任せるにせよ、そこに人間が 100% 介在しないということにはならない、あるいはなって欲しくない漠然とした気持ちがある。そうなったときスカイネットがこの世に現れるのも絵空事じゃなくなるかもしれないし、第一いま目の前に広がっている世界観ですら少し前までの絵空事だったわけで。
まとまりのない話で申し訳ありません。36歳になりました。無事健康にやっております。
※この文章は、OpenAIの「ChatGPT 5.2」が執筆したものではありません。*1