プリザーブド☆アイドルというのは、プリザーブドフラワーからの連想なのだろう。枯れない花。不変の美しさ。 しかし、それを作るためには、まず花を殺さなくてはならない。殺して、薬に漬けて、そうしてできた永遠の花。
だが、その永遠の美しさに人の関心のほうが先に枯れてしまう。花は打ち捨てられて、それでも枯れることはできず、埃が堆積し蜘蛛の巣が張られ黴が生え朽ちていく。プリザーブドフラワーは壊れやすい。湿気や紫外線にも弱い。
打ち捨てられたプリザーブド・アイドルは、忘れられた庭園でひとり。友達といえば花ばかり。しかしみんな生きているから、季節が過ぎたら枯れていく。彼女ひとり残して、みんな枯れてしまう。この一点ゆえに、彼女はいつまでも花とわかりあえない。本当の友達になれない。
プリザーブド・アイドル。彼女はひとり、まっている。それは自分の死か、はたまた世界の終わりか。それとも……
彼女は待っている。わたしを見つけてくれる人を。もう一度、わたしを輝かせてくれる人を。アイドルは、見つけてくれる人がいるからアイドルだ。アイドルは、見られているからこそ輝ける。
アイドルは、あなたに見つけてもらうのを待っている。
しかし、あなたはそれを知らない。 アイドルも、自分の望みを知らない。 もしあなたが、彼女を見つけることになるとすれば、それはいかなる作為にもよらない。 それは運命だ。
物語の始まりはいつも運命みたいに、登場人物たちをいつの間にか巻き込んでいる。望むことなく始まっている。しかし物語の終わりは意図と願望にに満ちていて、それゆえ綺麗にはいかない。だれの思い通りにもならない。だれの望みも叶えず、みんなひとつぶずつ涙を流す。
プリザーブド。 カタカナで書くとブリザードに似ている。 一文字多いが韻は踏める。 ブリザード・アイドル。氷河に埋もれたアイドルが、次の文明の雪解けに発見される。いつ引退しようかと迷いながら、人もまばらなステージに立っていた彼女は、ステージの上で氷河期の訪れを迎える。急な吹雪に、次々立っていく観客たち。それでも歌い続けたのは、職業人としての責任か、それとも歌っている歌が彼女にとって唯一の、彼女のための歌だったからか。誰のカヴァーでもない、彼女だけの歌。シングルは8枚しか売れなかった。そのうちの3枚は自分で買った。あとの5枚はさっきステージを去っていった人たち。あと死んだ幼馴染の子と、おねえちゃん。ふたりとも、わたしの夢を応援してくれたけれど、今日は遠いところにいた。ひとりは言わずもがな、おねえちゃんは仕事でサン・フランシスコに。
シングルを買った他の3人は、みんなさっきまでステージを観ていた。ひとりは30代にして禿頭のおじさん(本当はもっと年取っているんじゃないのかな……)で、CDを手渡ししたときにわたしの脚を見ていたのが頭にこびりついている。チェキを撮ったときもやたらと近くって、鼻息が聞こえてきてちょっと……と思ってしまった。いやそんなことを思ってはいけない。アイドルなんだから、と押し殺した。
もうひとりは若いお姉さんで、おねえちゃんと同じくらいの年齢だと思うんだけれど、全然違う雰囲気で、いかにも疲れたような人だった。でもこの前の握手会で、少し話をした。わたしのこと、ずっと前から応援してくれているみたいだった。初めて立ったステージの、宣伝のためのフライヤーをラミネートして部屋のドアに貼っていて、毎日5回、その方向に祈るのだという話を聞いて、わたしは少し怖くなった。その時のこと、わたしはとっくに忘れていたから。わたしにとって大切なはずの日のことを、わたし以上に大切にしていて、まるでそれが教祖の復活の日であるかのように祝うなんて、言っちゃ駄目だけど、気味が悪かった。でもお姉さんは本当に疲れたような目をしていて、そういう人の力になれているんだと考えたら、もう少し頑張ってみよう、なんて思えたのも確かだ。
あとの一人については、あまり話したくない。この人が、わたしの幼馴染みを殺した。警察には捕まっていない。この人が直接的に殺したわけじゃないから。……やめておこう。アイドルは笑顔でいないとダメだから。でもそれが嫌になってきたんだ。耐えられなくなってきたんだ。アイドルになって、みっちゃんを亡くして、それで何を得たのかもわからない。いつの日かすべてが灰色に見えるようになった。わたしはすでにアイドルではなかったのかもしれない。
雪はどんどん積もっていった。気温はマイナス30度、まだまだ下がっていく。やがて世界は凍り付いて、人類の93パーセントは死に絶えた。意地でも歌い続けていたアイドルはステージと一緒に冷凍保存された。
およそ12億年後——一度滅びた人間の文明が新たに興るために要した時間は、いくつもの人間の一生を「およそ」という3文字に丸め込んだ。凍り付いた世界のうえに築かれた新たな人間文明のもとで、彼女は解凍された。
15ワット2230分で解凍された彼女が、そのあとどうなったかは知らない。解凍された人は基本的に冷凍保存される前のことを覚えていないから、他の人たちと同じように普通に生きたんじゃないかな。施設で社会適応プログラムを受けて、リハビリテーションの成果が一定の水準に達したと認められたら棲む場所と家庭を与えられ、ごく普通に生きて、ごく普通に死んでいく。それが解凍者たちの一般的な運命だった。
でも、たしか時期としては彼女が解凍されて、リハビリテーションを受け始めた頃だったか、ちょうどその頃、施設でちょっとした歌が流行ったという話を聞く。どうも、解凍された人たちはそれを聞くとわけもなく涙を流すらしく、解凍者差別の踏み絵として使われたとか、あるいは解凍者解放運動の象徴歌として使われたとか、そんな話もある。
なんにせよ、その頃には解凍者の扱いについて、考えるべき時が来ていたのだ。差別者たちは解凍者に対する扱いを不当な優遇だとみなし、解放運動家たちはそれを人権の侵害だとみなしていた。どちらも、解釈としては筋が通っている。しかし、それが暴力を正当化するための理論となっていたために、いつしか解凍者という存在自体が争いの種だとみなされるようになった。
結局、氷の中に眠る人びとを発掘解凍して、氷の下にある、われわれの遠い祖先のものとみなされる文明のルーツを探るプロジェクトは凍結されるにいたった。
プリザーブド・アイドル。 日本語訳すると「保存された偶像」。 京都にはいっぱいある。三十三間堂には1000体以上。 これらが保存されるのは、アイドルだからだろうか。 みんなに笑顔を振りまくからだろうか。 アイドルは笑顔でいないとダメ? アルカイック・スマイルはある。 しかしこれは笑みではない。 笑みではない。 笑う必要はないんだ。少なくとも、心までは。 そもそも、アイドルは表現者ではない。 アイドルに表現は許されていない。 許されているのは、アイドルであること。偶像であること。 薬師如来のように、如意輪観音のように、カリュアイの乙女のように、名もなきコレーのように。
プリザーブド・アイドル。 人々はいつの世も偶像を求めている。 祖先から受け継いだ偶像をとこしえに保存するに飽き足らず、生きた偶像を作り上げ、もてはやし、消費する。 消費する。 消費が唯一の教義である宗教じみた今世の、狂気のような偶像崇拝。 その象徴としてのアイドル。崇拝の対象すらも消費してしまう。 保存されぬアイドル。 消費社会に毀損された偶像。 廃仏毀釈運動。 ウーシアは弾丸に置換せられ、エイドスは煽動に利用された。 《曲用》されたアイドル。 いつの世も人は、暴力を渇望している。 目を皿にして、人殺しの口実を探している。
それでもアイドルは死なない。 保管されようとも、されずとも。 毀損されようとも、利用されようとも。 アイドルは人々を励まし、笑顔にする。
