以下の内容はhttps://bounoplagia.hatenablog.com/entry/2025/06/08/031514より取得しました。


時間というやつについてけなくなった

春が来た。 そう思っていたら梅雨だった。

たぶんこのまま生きていられたのならば 次には夏がやってきて、セミ踏んづけて 秋になって、 街灯にびっしり張り付いているカメムシにぞっとしていたら 寒くなってきて と思った矢先にまた暑くなって われわれはついに冬を克服したのだ なんて思っているうちにいつの間にか全部死んでいくんだろうな。

このまま生きていられたのならば。
でも死んでしまいたいんだ。
時間というやつについてけなくなったから。

どうして
一秒すぎるうちに一秒すぎて
一分が過ぎるうちに一分が過ぎて
一時間過ぎたら一時間過ぎていて
一日が終われば一日が終わっていて
一か月 息を止めていたら
みんなから 忘れられて
一年 思い出すことをやめれば
あなたは いなくなる のだろう

そうして
一生が過ぎたときに、わたしのところには何もない。
手ぶらで生まれて手ぶらで死んでいく。
何のために生きているのか分からない。
それならば冥途の土産があるうちに死んでしまいたいって、 そんなことを思うのは間違いか。

ちょっとこの前、仕事がなかったから歩いていたんだ。道を。 アブラノコージ・ストリートを北に。 そしたら紫陽花が咲いていた。 おーあじさいさいてんなーって、そう思えたのは紫陽花という名前を知っていたから。それがどんな形なのかを知っていたから。

そんなわけあるか。
知らないんだ。ホントのアジサイってやつを。
知っているのはただ、だんだん暑くなりつつある時期、なぜだか鼻水が止まらない時期、雨が比較的頻繁に降るこの時期に、公園とか道端とかに咲いている、紫色の、あるいは紫ではない色の、小さい四葉のクローバーみたいな形の花、みたいなのがいっぱい集まってできた球形の、あるいは球形ではないが楽しげな形の、植物のことを指差してアジサイって言ったらおかあさんが喜ぶってこと。

本当のことを言うと、あれは「アジサイ」なんかじゃないと思う。 あれはあれなんだ。でもわからない。あれがどんな形をしていたのか。あれがどんな色していたのか。その代わりに「アジサイ」って言葉だけが残っているんだ。そんな言葉一つでは、あのときのあのあれがなんだったのかを思い出すことができない。

でもいいんだ。写真を撮ったから。 見てみたら、丸くなかった。こんなに光っていたっけ。こんなに小さかったっけ。なんだかしらけてしまった。 こんなのじゃなかった。写真もあてにならないな。

紫陽花の写真を撮っていると、外国人観光客が地図を見せてきた。宗教建築の写真を指さしてなんか言っている。よくわからないけど、たぶんそこに行きたいんだろうなと思った。でも言葉だけで道案内ができるほど、この町に詳しくなかった。だからクジョー・ストリートまで一緒に歩いて行って、太陽がいずれ沈む方向を指差した。「この道をまっすぐ行ったら右手にその建物が見える」というような意味を日本語で話した。その人は「ディス・ウェイ」という意味の言葉をアメリカ語で発した。わたしは頷いて「そうだよ」という意味を無言で示した。

そこでその人とは別れてしまった。それっきり、あいつとは会っていない。元気かなあ、無事、たどり着けたかなあ。ヤクシ・ニョライや不二桜を見たのだろうか。きっと驚くぞ……って、こんな時期だと桜は散ってしまっただろうか。如来も家に帰ってしまったかも。そしたらあのテンポゥはだれが守るんだろう。守る必要、あるかな? だって誰のものでもないでしょ。勝手に所有権を主張しているだけ。起源を主張しているだけ、味噌も漫画も天ぷらもラーメンもキリスト教もミサイルもNintendo Switch 2も電車もカレーライスも時計もチェンバロも本初子午線も雲もマクローリン展開もエメライアーも令和の米騒動もトリプル・トウループもプラムも桃も牡蠣食う客も特許庁もホットクロスバンもおれがつくったんだぜ、と。そういえば、世界の秘密を知ってしまった。世界はだれか、誰だったか警察をやめて、建設会社もやめた石神井町(読めない)のあいつの周りにだけ存在していて、その人の目の届かないところには何も存在しないらしい。その人が歩くと、歩く先に世界が作られていって、その人が去ると、去った後の世界は無くなってしまうらしい。そして、その世界の生成と消滅を管理しているのがゴヂラらしい。本に書いてあったんだから間違いない。となるとわたしは存在しないのかな。 『なぜ世界は存在しないのか』って本を昔買ったけど読んでないんだ。なんのために本を読むのか、わからないから。読みもしない本をたくさん買う理由はきっと、ただお金を使いたいからなんだと思う。本を読みたいのなら借りればいいはずだからね。本を読みたいのなら借りればいいじゃんって、そう考えてしばらく図書館で本を借りて読むようにしていたことがあったっけ。でもすぐそうしなくなったんだ。読みたい本がないから。いや、本を読みたいわけじゃなかったから。似ているようで違うね。気をつけないと。

仕事がない日のわたしってやつは、こんなにも惨めなのね。やることないから歩きまわったり、読みたくないはずの本を読んだり、そうやって休みが終わるのを待つばかり。せめて生きるのに精一杯であったならば、もっとなにか違っていたかもしれない。その日の糧を得るために必死でどんぐり拾って、命懸けでマンモスを殺して、クッキー焼いて土器こねて縄で模様をつけたりしてさ、まっとうに汗流して生きていたかもしれない。いやもう既に死んでいたかもしれない。

仕事に一区切りついて、じゃあ一ヶ月越しにゴールデン・ウィークを取り戻そうって意気込んで休みをとったはいいものの、こんなもんさ。腰を痛めていたから、自転車に乗ってどこか行こう、なんて選択肢もなくなっていた。選択肢にあったところで選ばなかった。何もしたくはなかった。なにもしないでいることもできなかった。どうして何も思い通りにいかないのだろう。思いがあるのかも怪しいけれど。

今週は■■に連絡を取らなかった。 だんだん連絡を取る頻度が落ちていっていて、このところ一週間に一度にまで落ち込んでいた。一週間に一度は連絡取るようにしないと、わたしは二度と連絡しなくなる。そうしたら縁はたやすく切れてしまう。そんなふうに考えて、わたしはまるで義務のように■■への連絡を自身に強いていた。まるで義務のように、だ。やりたくてやっていたことが、いつしか義務になったのだ。なるほど、本を読むのも最初はやりたくてやっていたことなのかもしれないな。でも、最初にあった動機を忘れてしまったら、残るのは意味のない行為だけ。それを続けていこうにも、たいへんな気力がいるのだ。いつもは仕事による疲れを利用して、勢いだけでなんとかしていたが、仕事がないと余計なことを考えてしまう。そんな必要あるか、と。わたしは独りになるべきじゃないのか、と。 仕事がないってのはよくないなあ。

こんなところまで来てしまった。
なんの話をしていたんだろう。
なんの話をしたかったんだろう。

死にたくなったって、死ぬわけじゃないんだ。いつも通り。
でもせめて今がもっと続けばいいと思う。べつに続いてほしい今でもないけれど。手持ちがぜんぶなくなってしまう前に、このゲームを降りてしまいたいだけなんだ。降りられないのなら、三月がずっと続けばいい。

どうすれば世界のスピードを遅くできるのか。
わたしが動くスピードを、限りなく遅くすればいいのか。
時よ止まれ、おまえは美しい と言えばいいのか。
美しくもない人生 だけど

美しい夏。




以上の内容はhttps://bounoplagia.hatenablog.com/entry/2025/06/08/031514より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14