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★5(★★★★★) 日本人が知っておくべき「戦争」の話/KAZUYA (本 2015) レビュー

※)これは”チラ裏”レビューです。あまり十分な推敲もしておらず、本来はチラシの裏にでも書いて捨てるレベルの駄文ですが、ここに書いて捨てさせていただいております。この先は期待値をぐっと下げて、寛容な気持ちでお読みください。ではどうぞ。

作品名:日本人が知っておくべき「戦争」の話/KAZUYA (本 2015)
評価:★5(★★★★★)
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NHK党の浜田聡議員が「私が政治に強い関心を持つきっかけとなった本」として紹介していたので、Kindle版を購入して読んでみた。

本書は2015年に単行本が出て、2018年に文庫化された。私が読んだのは文庫版のKindle版。

日本が関与した近代戦争(日清・日露・第一次・第二次世界大戦)の流れが簡潔に、かつとても分かりやすくまとまっている良書だった。表紙に書いてある「僕らのじっちゃん、ばっちゃんの名誉のために!」「日本は決して侵略国家ではありません」というメッセージもとても気に入っている。

以下、各章の目次と、簡単な振り返りをやってみる。

■序章

◆1.【日本を恐れていたアメリカ】「日本人を二度と立ち上がらせるな!」

GHQは「公職追放」を実施し、約20万人の政治家や公務員、マスコミ関係者などが追放されました。まともな日本人は、ここでほとんど追放されてしまいました。

GHQは日本を弱体化させるために「組合」も奨励します。こうした流れで「日教組」なども出てくるわけです

■第1章 【アヘン戦争と日本の開国】列強の魔の手が東アジアに迫り来る!

◆4.【江戸時代の日本】平和ボケだった?鎖国時代の日本

1808年、フェートン号事件。当時オランダはナポレオン戦争により蹂躙されていた。オランダ船を拿捕するためにイギリス船(フェートン号)が出島に不法侵入してオランダ商館から食料は薪水を強奪した。この事件以降、日本では「イギリスってやばいんじゃないか…」との認識ができ始めた。

◆5.【意味不明なアヘン戦争】いちゃもんをつけて清に戦争をふっかけるイギリス

1840年アヘン戦争。日本は「やっぱりイギリスってやばいわ」という認識を持ちます。

◆10.【大日本帝国憲法の制定】日本とはどういう国なのか?

1889年、大日本帝国憲法公布。憲法起草に携わった井上毅古事記日本書紀など日本の古典を徹底研究した上で作り上げた。第一条「大日本帝国万世一系天皇之を統治す(治す(しらす))」

■第2章 【朝鮮半島と日清・日露戦争】非白人の希望だった、アジア唯一の強国・日本

◆12.【驚くべき排外主義】日本に対して、謎の上から目線だった朝鮮

1875年、江華島事件。日本の軍艦に対して朝鮮が江華島の砲台から発砲。日本は反撃を加えて砲台を占拠し武器を接収。朝鮮が拒否し続けていた日本との国交が、この事件をきっかけに進展し「日朝修好条規」を制定した。

◆13.【改革できぬ朝鮮】悲報!福沢諭吉、ブチ切れる!

1882年、壬午の変。1884年、甲申政変。朝鮮は大院君と閔妃が権力争いに明け暮れ、近代化ができない。この争いの巻き添えになって多数の日本人が惨殺され日本公使館も襲撃された。

◆14.【日清戦争とは何だったのか】朝鮮を独立させるために、日本は清と戦った

1894年、東学党の乱。この農民反乱を鎮圧するために閔妃が清の軍隊を国内に引き込み、天津条約に基づいて日本も出兵。朝鮮を独立させるために日清戦争が勃発。この戦争で日本兵国際法を遵守し軍紀正しく行動したが、清兵は一般邦人を殺害したり、平壌では朝鮮人に対して略奪・強姦・虐殺を行った。

◆15.【臥薪嘗胆】平和主義者のフリをしたハイエナたち

日清戦争が終わり締結された「下関条約」の第一条は「清は朝鮮を独立国として認める」だった。この条約で日本は遼東半島を得たがロシアらの三国干渉「平和のために遼東半島を清に返しなさい」により返還したが、日本の世論は激昂し「臥薪嘗胆」をスローガンに国力の増強に努めた。

◆16.【朝鮮の伝統芸=事大主義】独立国としてスタートするはずの朝鮮だったが…

1895年、乙未事変。親露派に転向していた閔妃が暗殺され、金弘集を擁して新日政権ができたが、1896年、露館播遷事件が発生し、大院君がロシア公使館から朝鮮の政治を動かすことになった。金弘集は惨殺され、日本人も惨殺された。

◆17.【領土分割される清】あれ?平和のためじゃなかったの?二枚舌の欧米列強

日清戦争で清が弱いことが明らかになると列強がそれぞれ領土割譲を要求し、ドイツが膠州湾、イギリスが威海衛・九龍、フランスが広州湾、ロシアは(三国干渉で日本から手放させた)旅順・大連を租借した。

◆18.【義和団の乱】カルト宗教が末期の新王朝を動かした

1900年、「扶清滅洋」を掲げる義和団西太后が乗っかり、列国の公使館区域を包囲してなんと宣戦布告。日本は疑惑を招かないように慎重な態度だったが、イギリスからの度重なる要請で出兵を決意し、日本が主力となり8カ国連合軍がこれを鎮圧した(北清事変)。清は「北京議定書」で各国への賠償金の支払いと、各国の守備兵の配置を認めた。北清事変での日本軍の軍紀の正しさは評判で、イギリスも一目置くようになり、1902年の「日英同盟」に繋がった。なお、北清事変の裏でロシアは満州を占領し住民を虐殺し、そのまま満州に居座った。

◆19.【日露戦争へ】日本が勝つとは誰も思っていなかった?

1904年、日露戦争。日本はロシアと戦争したくなかったため交渉を重ねたがロシアは応じなかったためについに戦争になった。ポーツマス条約で韓国からロシア勢力を追放、南樺太満州利権を獲得。

◆21.【自ら併合へ向かう韓国】独立する気概のない韓国。併合するしかなかった…

1910年、韓国併合。日本は教育の概念がなかった朝鮮に学校を作って教育を行い、滅びかけの「ハングル」を普及させ、鉄道・橋・道路・電気など各種インフラを整備し、大規模な植林をし、農業も工業も発展して所得も増え、人口も倍増し、寿命も倍増した。

■第3章 【第一次世界大戦、そして満州事変へ】戦争が日常だった、世界大戦の時代

◆23.【第一次世界大戦勃発】ヨーロッパ中が火の海となった、とてつもない戦争

1914年、第一次世界大戦。日本は列強に不信感を持たせないように慎重な立場をとったが、イギリスからの度重なる要請があり、日英同盟に基づいて参戦、東洋からドイツ勢力を駆逐し、地中海にも艦隊を派遣してイギリスを守った。

◆24.【ロシア革命】「お金持ちを皆殺しに!」共産主義の恐怖

1920年、シベリア出兵。ロシア革命に対する干渉のため、イギリスの要請を受けて日本はシベリア出兵を行った。同年、尼港事件。樺太対岸の尼港という町に日本人と守備隊が居留していた。ここに共産主義パルチザンがやってきて交戦となり、パルチザンは日本の守備隊と居留民をことごとく虐殺してから逃走、尼港の市民も共産党に同調しないものは虐殺され、市民1万2000人のうち、6000人が虐殺されたという。日本人の犠牲者は700人を超え、日本の世論が対ソ強硬論となりシベリアからの撤退が遅れた。

◆27.【近代国家になれない支那】革命の波が、大陸を覆い尽くす

1927年、南京事件。南京に国民党軍が入場し、一部の軍人や住民が暴れ出し、外国の領事館や居留地を急襲し、略奪や暴行を行った。この前にも国民党軍は漢口と九江のイギリス租界を実力接収している。

(1927年頃)南京政府武漢政府、さらに張作霖の北京政府がある状態です。もはや支那は無法地帯です。この支那の動乱で日本人も多く巻き込まれて殺害されています。

◆28.【残虐すぎる済南事件】傍若無人支那人、それでも耐える日本人

1928年、済南事件。日本人が支那兵に虐殺され、居留民保護のため出兵した日本軍と衝突した。海外の新聞論調も日本を支持する姿勢が強く、日本の正当防衛であるとの認識がありました。この時期は支那のいたるところで「侮日・排日活動」が繰り広げられていました。

◆31.【ますます混沌とする支那情勢】弱腰外交が日本を世界から孤立させた

1931年、中村大尉殺害事件。この頃、幣原外相が弱腰外交を展開していたため支那では排日教育もされるようになり、官民挙げて反日・排日活動を展開、在留邦人の安全が脅かされる事態になっていた。

◆32.【柳条湖事件から満州事変へ】被害者プロパガンダだけ上手い支那の人々

1931年、満州事変。弱腰幣原外交で日本人が次々に死んでいく満州において、軍部が政府の承認を得ずに行ったもの。支那はお得意のプロパガンダで「日本の暴虐!」と訴え、日本の立場はどんどん悪くなった。教科書では日本の侵略行為を一方的に非難したかのように書かれる「リットン報告書」は、実は日本に対してかなり同情的な内容だった。

■第4章 【泥沼化する支那事変】ルールなしの大陸で苦闘し続ける日本

◆31.【軍への期待】五一五事件と二二六事件はなぜ起こったか?

1932年、五一五事件。1936年、二二六事件。戦後史観だと「軍部の暴走」で片付けられる事件だが、背景には腐敗した政治への諦めに似た感情があり、もはや期待できるのは軍しかないという世論もあった。

◆32.【国民党vs中国共産党共産党が憎くてたまらない蒋介石だったが…

1930年、蒋介石中国共産党を掃討する作戦を開始。共産党軍は敗走していき(=長征)、1936年、あと一歩のところで張学良の裏切りにより失敗した(=西安事件)。

◆35.【謎の支那事変】盧溝橋事件で最初に引き金を引いたのは誰だ?

1937年7月、盧溝橋事件に続き、通州事件。日本人への大規模な虐殺事件がまた発生した。日本人居留民の住宅は一軒残らず襲撃して略奪や強姦を行い、あまりにひどい殺され方をしたために性別すらわからないという遺体がゴロゴロ出てくるという有様だった。同年8月、大山勇夫中尉惨殺事件。同月、支那が上海停戦協定を無視して軍隊を投入し、日本軍に攻撃を仕掛けてきて、支那事変(=日中戦争)へと発展した。戦後の歴史教育では「日本の侵略」という視点でしか教わらないが、支那による度重なる挑発行為があった。

◆36.【南京攻略へ】「大虐殺があった」というのに、南京の人口は増えている?

1937年、日本軍が南京を陥落させた。中国のプロパガンダによるとここでいわゆる「南京大虐殺」があったとされるが、南京陥落後、南京の人口は20万人から25万人に増えたと記録されている。また、東京裁判の際に国民党政府が聞き取り調査を行うと、申告する人があまりに少ないばかりか、ただ唖然とする人や虐殺を否認する人もいたという。

◆38.【やばすぎる共産主義ヒトラーがかすむほどの独裁者、スターリン毛沢東

1938年、張鼓峰事件。1939年、ノモンハン事件。自分がまだ攻め込めないときは穏やかなふりをしていますが、いざいけるとなると露骨に侵略するのがソ連です。

■第5章 【対米開戦へ】日本はなぜアメリカと戦ったのか?

◆44.【真珠湾に向かって】白人支配に立ち向かったアジアのリーダー国・日本

アメリカ(ルーズベルト)は戦争をしたかったので日本を意図的に戦争へと追い込んだ。日本は自存自衛の戦いには敗けたが「東亜の解放」という目的は達成し、中韓以外の心あるアジア諸国には感謝されている。

■終章 【平和を望むなら戦争を語れ】「本当の歴史」を次世代へ!

◆45.【自虐史観にNO!】日本は決して侵略国家ではない!

「日本が侵略した」と宣伝されてきたわけですが、支那にしろ、アメリカにしろ、ソ連にしろ、日本に対して散々挑発行為を繰り返し、日本は止むに止まれず戦争へと誘われていった。荒れ狂う時代の波の中で、私たちの祖父や祖母は必死に生きてきました。

日本国憲法は日本人の手で作られたものではなく、アメリカ製といってもいい。なにしろ前文から「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」とあるように「日本が悪いです」と告白しているようなもの。

◆47.【戦争と平和】平和を希求するからこそ、戦争を考える

平和を希求するあまり思考停止に陥り、平和のためと相手の要求をハイハイと聞いていても平和にはなりません。それはただの奴隷なのです。第3章に書いた幣原外交などでわかると思いますが、日本が引くと諸外国はもっと押してきます。波風を立てないために問題を放置するのは、後に大きな禍根を残すことになりかねません。




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