※)これは”チラ裏”レビューです。あまり十分な推敲もしておらず、本来はチラシの裏にでも書いて捨てるレベルの駄文ですが、ここに書いて捨てさせていただいております。この先は期待値をぐっと下げて、寛容な気持ちでお読みください。ではどうぞ。
作品名:月 (映画 2023)
評価:★4(★★★★☆)
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前々から見たいと思っていた映画がAmazonプライムビデオの無料枠に来ていたので見てみた。面白かった。
本作は2016年に相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で植松 聖(うえまつ さとし、事件当時26歳)が入所者19名を殺害、26名に重軽傷を負わせた事件をモデルとした映画だ。
この事件が厄介なのは、「意思疎通ができない、そもそも意思があるのかも定かでは無い重度障害者のために、家族や介護をする職員の人生が何十年にも亘って毀損されている、重度障害者本人にとっても家族や職員にとっても、こんな状態が続くことが良いと言えるのか?」という植松容疑者の主張に一理あるところだ。私も当時の報道を見ていたが、この主張に対して納得いく回答を誰かがしているのを一度も見たことがない。テレビや新聞の報道では誰もがこの植松容疑者の主張をガン無視して、「優生思想につながる差別思想であり、けしからん」「単なる大量殺人であり、断じて許されない」という安全地帯から正論を言うようなコメントだらけ。正論コメントを言うのはいいけど、せめて、本事件の根本にある現実から目を背けているということくらいは認めるべきだという思いでモヤりながら見ていた。
本作はまさに私が当時感じたのと同じで、「みんな、綺麗事を言うばかりではなくて、もっときちんとこの事件向き合え!」という怒りから作られた映画であると思う。
しかし結局、この映画にも結論はない。磯村勇人演じる「サトくん」の主張に対し、宮沢りえ演じる「洋子」はただ「私はあなたを認めない!」と叫ぶだけで全く有効な反論ができないのだ。ただ目を背けたくなるような辛い現実がそこにあるだけ。
私たちはこの問題にどう向き合えばいいのか?私の結論は、「当事者以外はこの問題から目を背けて逃げるべき。ただしそのとき、当事者に向かって綺麗事を言って論評するようなことは慎み、『私は力になれません、ごめんなさい』と正直に言って逃げること」だ。あまりいい答えとは言えないが、いろいろ考えた中で一番これがましだと思う。
重度障害者を家族に持つ人が、「家族だから」と献身的に介護をするのか、施設に預けて世話をしてもらうのかは当事者家族に決断してもらう。外野は口を出さない。
施設の職員は、障害者を慈しむ心でその仕事ができるならそれは素晴らしいことだし、そういう気持ちがなくても仕事として割り切ってできるのであればそれも立派なことだ。ただし仕事をしていて、あまりに辛い現実に壊れそうになったら、すぐに逃げること。これにも外野は口を出さない。
「サトくん」は、誰よりもこの辛い問題に向き合ったところまでは立派だったが、「法律は守らなければならない」このシンプルなルールに従って犯行を思いとどまるべきだった。この施設の仕事から逃げて、介護業界の仕事からも離れて、何か別の仕事を見つけて彼女との将来を大切にするべきだた。彼女の「2人で良い人生を送りたい」という願いを聞いてあげていれば…。
この映画には結論がないと言ったが、強いて言うなら、「自分の一番大切な人を優先する」ということが答えとして示されている思う。上に挙げたサトくんの彼女の「2人で良い人生を送りたい」という言葉もそうだし、主人公の夫婦(演:宮沢りえとオダギリジョー)も最後は「あなたが好き」という気持ちを確かめ合っていた。
本作で良くなかった点は、中途半端に震災のこともテーマに盛り込んだことと、主人公の夫婦にいろいろややこしい設定を付け足しすぎたこと。第一子が重度障害を持って産まれて、三歳で亡くなった過去と、四十代で妊娠して出生前診断をするかどうか、それで障害を持っていることがわかった場合に中絶をするかどうか悩むのは本作のテーマに深く関わると思うが、2人ともが作家・芸術家で生活もメンタルも安定しないという設定はノイズでしか無かった。
それから、障害者殺害事件と出生前診断や中絶の問題を同列で語るこの映画の論調は、多くの人を惑わせ傷つけると思うので非常に良くないと思った。普通の人は障害者を殺害しようなどとは絶対に思わないだろうが、出生前診断や中絶の問題は人生で直面する可能性が十分にある。出生前診断や中絶の問題は当事者が考えて決断するべきであり、外野が口出しすべきではない。
胎児を堕胎することは殺人と同じ、という主張は確かに理屈としては成り立つが、法律的には違法ではない。倫理的な問題で答えに行き詰まったら、法律に立ち返って考えるのもありだと思う。サトくんの犯行は殺人罪だから間違い。中絶は違法ではないから自分の人生の選択肢に入れてよい。こうすることで、決断で生じる良心の呵責を半分法律に肩代わりしてもらうことができる。