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エリート・再分配・社会契約のアップデート

NotebookLM によるまとめ

東京大学に勤める個人として感じている責務の一つは、教育やサービス等の普段の業務を通して組織に貢献すると同時に、社会の利益や公益の最大化を企図することだと勝手ながら思っています。

国内で有数のトップ校・エリート輩出校として社会的・財政的に優遇されている立場を鑑みて、組織や教員個人、学生の私益(興味関心を含む)を大きくするだけではなく、「公益に資すること」や「多くの人が裨益すること」を意識する必要があるのだろう、と思いながら仕事をしています。

 

スタートアップの場合

これを自分の職務である「大学での起業支援」「アントレプレナーシップ教育」に照らし合わせば、次世代の経済成長を牽引するような大きな企業を作る支援をすること(そしてそのための方法を模索すること)や、より良いアントレプレナーやエリートを育てることなのだろうと思っています。

起業支援について言えば、新たな経済環境に適した新しい企業が成功すれば、日本全体の経済成長に寄与できるほか、高付加価値な雇用が生まれるなど、大きな波及効果も見込めます。すべての起業を平等に支援するのではなく、あくまで高リスクなハイグロース・スタートアップや大きな課題に取り組む起業家を支援する意義は、そうした波及的な効果や公益視点での責務にあると私個人は思っています。

また、大学のような公的な機関で働いているということは、市場メカニズムが機能しにくい領域を担う役目があるとも思っており、だからこそ普通のVCの皆さんが中々手を出せないフェーズ(事業化前の段階等)や領域(ディープテック等)などを支援する意味があるのだろうと思い、活動しています。

輩出する人材という面では、次世代の産業になるようなスタートアップに挑戦するというのが、この数年はエリートが挑む領域として期待されていたように思います。実際、それキャリア的なリスクに対して比較的頑健な人が多いため、そうしたリスクの高い挑戦を行うことには本来向いた人たちです。(もちろん当人の性向や希望にも依りますが)

経済成長を牽引しえて、社会的意義もあるハイリスク領域での起業、というキャリアの選択肢を提示することは、その責務の一つなのかなと思っています。

ここまではこれまでの話です。これらの重要性は引き続き感じて活動は続ける一方で、この経済成長の成果を狙った支援だけでは、公益を最大化することが難しくなっているのではないかとも感じています。

 

輩出するべきエリート像の変遷

かつてのエリートといえば、国家を支えることでした。日本国内においても、東大を出て官僚になる道に進む人が多かったように思います。

しかしこの数十年、グローバリゼーションが進むことで、社会の利益や公益は一国に留まらないようになり、国家単位ではなく世界全体で考えるべきことが増えてきました。『社会』のスコープがグローバルへと拡大していったとも言えます。

同時に様々な領域での民営化や市場化も進みました。世界全体での経済成長が追い求められ、そこに多くの人が参入していきました。民間ならではの経済的なインセンティブもあったため、エリートであっても民間企業への進路を自然と選択するようになったように思います。

そして日本の民間のエリートもグローバルのエリート同士でつながり、世界の課題を議論してきました。たとえばダボス会議などです。

東京大学の卒業生の活躍を見ていると、こうした世界のエリートと、世界全体のことについて対話できる人を輩出することについては、ある程度貢献できてきているのではないかと思います。

 

こうしたことにも大事な価値があるという前提ですが、その極地とも言えるアメリカでは、グローバリゼーションへの反発やエリート層・科学者への不信などが噴出し、メディアなどによって政治的な二極化が進んだことで、経済活動の基盤たる社会がとても不安定なように見えています。

その結果、ナショナルへの回帰が起こり、人類の課題について話すための土台が崩れつつあるようにも思います(これもまたエリート寄りの人間からの見方かもしれませんが…)。

世界の課題を語ると同時に、国や地域の課題をきちんとしなければならない。もしこの認識が正しいのであれば、日本の大学でもこの数十年の型となっていた「グローバルなエリート」の像や、エリートが社会に対して貢献するべきこと、エリートに期待される社会的機能をもっとよく考え直さなければならないのでしょう。東大でも「タフでグローバルな学生」、略してタフグロという言葉がありましたが、その一部の転換が必要な時期に差し掛かっているようにも思います。

 

再分配にイノベーションを

ではどういった人材を輩出していくべきなのかを考えたときに、一つは国内の再分配の領域で新しいことをしていく人たちなのではないかと思っています。

社会の安定に必要な経済を考えたとき、大きな両輪は経済成長と再分配です。経済成長をして、その成長の果実を適切に再分配が行われる社会は比較的安定します。

健全な経済成長があってこそ安定した社会が成り立ちます。同時に、安定した社会基盤があってこそ健全な経済活動が可能となります。

このうち、後者(安定した社会基盤があってこそ健全な経済活動が可能)はこれまで見過ごされがちだったように思いますが、この数ヶ月の世界の動きを見ると改めてその重要性を感じています。

そうした社会の安定を図る意味で、『経済成長のためのイノベーション』だけではなく、『再分配のイノベーション』を起こしていかなくてはならないのではないか、そのための人材が改めて必要とされるのであれば、エリート輩出校として応じていかなければならないのではないか、というのが最近考えていることです。

もちろん、再分配の多くは政府が担います。制度的な再分配こそが本丸です。

しかし、小さな試みであれば個人や小さな組織でも可能なはずです。

再分配の手法として取られるのはお金の再分配だけではありません。公的サービスという形態でも提供されます。サービスであれば小さな試みからも提供できるはずですし、そこからイノベーティブな方法が見つかるかもしれません。(イノベーションというとテクノロジーによる効率化が想起されますが、そうではないものも含んで述べています)

また再分配の基盤となる社会的結束や社会システムへの信頼を強くしていくことは、私たち一人一人にも試みれるように思います。

スタートアップが未来の大企業になるかもしれないように、(広義の)NPO等が行った小さな施策が将来の制度になっていくことだってあります。

そうした試みを何かできないか、というのを考えています。

ただ残念ながら経済成長に比べて、こうした試みが経済的に報われるかというとそんなことはありません。それに対しては長い年月をかけて、経済的なインセンティブを付けていく必要があると思いますが、すぐにはできないでしょう。

だからこそ、できる人ができる範囲でやっていく必要があり、そこにより多くのエリートと呼ばれる人たちを誘導していく、あるいは育成していくこともまた考えて行かなければならないのだろうと思います。

東大でも藤井総長などが社会起業について言及していることが多いと思います。いわゆる社会起業家的なものや Public Entrepreneur などがその行き着く先なのかもしれません。

経済成長を目指すエリートを育てると共に、広義の意味でのそうした人たちを育てていかなければ、公益を最大化することは難しくなってきているのではないか、というのが私個人の最近の感覚です。

 

社会契約のアップデート

周りを見てみると、現在、日本では減税の声が高まっています。これは生活が苦しいという現在の経済的な問題から来ているようにも思いますし、インフレしていく経済状況に応じて、こうした声に何らかの対応するのは大事なのだろうと思います。

ただ、こうした税や社会保障の議論の背景には、社会的不満の発露や、ひいては従来の社会契約への異議申し立てという面も強いのではないかと思っています。

たとえば、税金や社会保障費がうまく使われていない、税金を払ったのに裨益していない、「私たち」がアジェンダになっていない、というような実感から、20代から40代の有権者や中間層が減税を謳う政党への賛同を示し始めているのではないか、というというのが(私個人の)見方の一つです。

また2010年代にエリートたちによるグローバルな社会契約に向けた動きが活性化していた一方で、国によってはナショナルな社会契約が破綻した、もしくはしかけているという見方も持っています。

『社会』のスコープをグローバルにして、市場での民間同士のつながりや経済成長ばかりに目を向けていたら、ローカルやナショナルレベルでのつながりが薄くなり、その結果、再分配の基盤となる社会的一体感であったり、ローカルやナショナルの社会契約がどうしてもおざなりになってしまっていたのであれば、その反省をして、エリート層はグローバルレベルでの人類課題の解決と同時に、ナショナル・ローカルへの貢献を行っていく必要があるのだろうと思います。

 

社会契約を新たに結び直す必要がある、というアジェンダや問題意識は最近「社会契約」という言葉が邦訳のタイトルに入っている本がいくつか出ている(『21世紀の社会契約』『99パーセントのための社会契約』など)ところからも見て取れるように思います。また、最近ジジェクが「すべての左派を受容するような、先進的な愛国心の再発明が必要」と述べていたことにも本件は少し関連しています。

社会契約と難しい言葉を使っていますが、それを簡単に言うと、社会がどうあってほしくて、そのために私たちがどういう権利や自由を国家に差し出し、どういうものを国から得たいのか、どんなパートナーシップを個人・企業・市民・国がどう結び、集団的利益を増やしていくのか、といったことです。

ただ、これを考えていくのであれば、社会契約という抽象的なレベルではなく、もっと具体的なコンセプト(どういう社会像なのか等)をベースに、法律や制度、社会規範、権利と義務などなどを具体的にどうアップデートしていくべきなのかを考えていかなくてはなりません。そのためには社会の現状に対する深い理解と、そして理想の社会像が必要です。

そうした試みの中でそうした社会契約を「古き良き時代」や専制的なものを理想として、そうした時代に戻そうとする人たちも出てくるように思います。しかしテクノロジーの進展などを見ると、そうした試みは難しいでしょうし、あくまで民主主義の世の中に生きていきたいと思うのなら、そこに対するカウンターを考えたり、行動していかなければらないのだろうと思っています。

 

まとめ

歴史の変わり目になる時期には、経済の仕組みが刷新されることがあります。大恐慌後にはニューディール政策が、第二次世界大戦後には福祉国家やマーシャル・プランが行われました。

まさに今、そうした変化が起こる兆しを感じる中で、私たちのエリートの機能の再定義とエリートの育成、再分配、そして社会契約のアップデートが必要ではないかという話を、本稿ではまとまらないながらしたつもりです。こうしたことを日々試行錯誤しながら進めていければと思います。






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