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スタートアップの幻滅期を越えてゆけ

最近つぶやいたツイートに対する反応で、『スタートアップに対する反感』を改めて感じました。(QT はこちら)

 

スタートアップは反感を買いやすい?

確かに、この10年ほど、スタートアップに注目と期待が集まりました。そうした状況に対して、調子に乗っているように傍から見えていた部分はあるのだと思います。

実際、スタートアップや起業界隈にはいくつかの問題が定期的に表面化します。たとえば以下のようなものです。

1)倫理・コンプライアンスへの反感(不正や誇大、怪しさ)

起業界隈には残念ながら、誇大広告、粉飾、補助金・助成金の不適切利用など、信頼を毀損する事案が一定起こります。こうした事案は、真面目にやっている事業者ほど怒りが強くなるでしょう。

2) 経済合理性への反感(赤字礼賛・収益性軽視に見える)

堅実に利益を出している事業者から見ると、赤字を垂れ流しながらも資金調達や露出を得ていることに違和感を持つこともあるでしょう。「過大なリスクを取って挑戦している」という理解や尊敬よりも、「努力して利益を出すことの価値が軽んじられている」という感情が入りやすいものです。

3) 公正感への反感(実態と表面の乖離)

資金調達額や派手なストーリーが先行し、顧客価値や継続収益などの実態が見えにくいと、「中身よりも見せ方が得をしている」ように映り、公正ではないと見做されやすくなります。

 

こうした反感の一部はスタートアップの評価軸(時間軸・リスク)への誤解に基づくものもある一方で、業界として「反感を買いやすい」構造を持っていることは認識しておくべきではないかと思います。

 

業界全体ではリターンも芳しくはない

また誤解では済まない論点もあります。

たとえば、ここ数年、高い期待を背景にしてスタートアップ投資は大きくなり、年間1兆円弱の投資規模まで伸びました。

https://initial.inc/articles/japan-startup-finance-2025h1

しかし、その投資額に比しただけの十分大きなリターン(イグジット)が出せていないというのは、多くの人が共有する危機感でしょう。

もちろん、個別のファンドではパフォーマンスが良いところはいくつもありますが、2015年以降は全体としては厳しい状況になりそうです。(※ただしこれは日本に限らず、どの国のVCのアセットクラスもそこまで芳しいとは言えないのではと思います。)

ハイグロースを志向したスタートアップなのに、従来のやり方では急成長の上限が思っていたよりも低かった、という誤算がこうした状況を招いてしまっている、という状況もであるように思います。

 

そうした背景からか、日本では新しいファンドを作るのが難しくなってきている状況が続いていると聞きます。さらに上記のような反感が表出していることや、大企業によるスタートアップとのオープンイノベーションの期待が一服したこと、若手を中心としたスモールビジネスへの回帰、政策的な注目度もやや下がり始めているような様子などを考えると、ガートナーのハイプサイクルの言葉になぞらえていえば、過度な期待の山が終わり、『ハイグロース・スタートアップの幻滅期』にいよいよ入ってきたのではないかと感じています。

約2年前に『日本のスタートアップブームの「終わりの始まり」を食い止めるために』の記事にも同様のことは書きましたが、それがいよいよ来た、という印象です。

 

blog.takaumada.com

こうして潮が引いてきたとき、もともとあった反感を買いやすい構造と、これまでの期待の逆転とが合わさってバックラッシュが起きやすくもなるのだろうと思います。

 

ただ、幻滅期は再編期でもあり、成熟に向けた再設計を進める機会でもあります。

期待の置き場所(何に賭けるのか)や、成果の示し方(何をもって成功とするのか)、信頼の担保(不正や誇大をどう減らすのか)、出口の設計(IPOだけでなくM&Aやセカンダリーも含めるのか)などを考えていく、つまり「日本に期待されるスタートアップというものは一体何なのか」を改めて考えて、手を打つ時期なのだろうと思います。

そのために何ができるのかを考えたい、というのがこの記事です。

 

歴史を振り返る

歴史は繰り返すと言いますが、こうしたスタートアップやベンチャーへの幻滅期はおそらく過去にも何度かありました。

当時の雰囲気はあまり知りませんが、ドットコムバブルのときも、ベンチャー1000社計画のときも、日本におけるライブドア事件の前後なども同様の幻滅期があったのではないかと推測します。

アメリカにも、ドットコムバブルなどがあったほか、リーマンショック後は低迷したと聞きます。

 

ただ、アメリカの場合は、バブルがしぼんだ後に、特大ホームランが出ています。ドットコムバブルの後にはGoogleが出ました。リーマンショックの後にはFacebookが出て、コロナ後にはOpenAIが出てきています。

VCファンドは「1つのホームラン案件で、1つのファンド全体のリターンを出す」と言われますが、これらの例は「1つのホームラン案件で、VCというエコシステムへのリターンを出す」とも言えるような例です。

実際にはGoogleやFacebookのイグジットは、金額ベースではエコシステム全体をカバーできるほど大きくはなかったかもしれません。しかしこうした象徴的な案件が出ることで期待を増幅させる、という点ではエコシステムへのリターンを生み出しています。それが米国から波及して、日本やその他の国に伝わっていったのではないかと思います。

そうした「象徴的な勝利」が幻滅期を越えていくためには重要ではないかと考えています。

 

幻滅期を乗り越える

この10年を振り返ると、中小規模の「新規事業の創出」にとどまってしまっていました。今回の幻滅期を乗り越えて行くには、セカンダリーやM&Aなどの出口市場の整備、不正対策のためのガバナンス強化はもちろん大事でやっていくべきことですが、やはり大きな挑戦をして、驚くような成功例を出していかなければ、この業界自体が正当化されないのではと思います。

そのための仕込みが、今の時期だからこそ必要です。

今ある大きなスタートアップはさらに大きくなる挑戦をし、今から始めるスタートアップはより大きな挑戦をしていくこと。それが今回の幻滅期を超えていくために必要な打ちではないかと思っています。

 

逆に「日本のスタートアップエコシステムはアメリカとは違い、そこそこの規模の新規事業を作るエコシステムだ」と自認してしまえば、一時的に楽にはなりますが、お金は集まりづらくなり、縮小均衡していきます。それはいずれ自分たちの首を絞めることになるような行為です。

もし大きな産業や新規事業を作っていくという立ち位置を堅持するのであれば、日本が外貨を稼ぐ産業を作ることや大きな社会課題を解こうとする姿勢を見せていく、少なくともそうした構想を描いて、この厳しい局面においても「大きくて意味のある挑戦をする姿勢」を世に見せていくことが、社会からの信認を得るために必要ではないでしょうか。

そうすれば、胸を張って、スタートアップという挑戦をしていることが言いやすくなるはずです。

 

そのためにも、成功のためにも、大きな構想をどう描くのか、がより求められるのだろうと思います。

より具体的には、

  • 世界の課題を解くグローバル型
  • 日本の課題を解く国家課題型
  • 業界地図を塗り替える技術型

など、いくつかの領域での挑戦が今だからこそもっと数多く出てくる環境を作ること。それが、この数十年、国内でたくさんのスタートアップが挑戦したことから得られた貴重な学びなのではないかと思っています。

すべてのスタートアップやベンチャー投資がそうである必要はありません。ただ、もし日本で大きな事業を作っていくという立ち位置を取りに行くのであれば、全体のリソースの中で一定の割合(たとえば2,3割)はそうした大きな挑戦に割いていく必要があると思いますし、スタートアップ支援の在り方もまた、そうした大きな構想を描き、それを実現していくところに、より多くのリソースを割り当てていく必要があるのではないかと思います。

 

シリコンバレーへの幻滅期をも超えてゆけ

並行して、この数年、シリコンバレーへの憧れも徐々に薄まってきていて、思想的にはシリコンバレーへの幻滅期も起こりつつあるのではないかと思います。

シリコンバレーはある意味で、未来と希望を象徴する場所でした。新しいものが沢山生まれてきて、新しい世界を見せてくれる期待感があったように

ソフトウェアやインターネットについてのポジティブな期待が多勢を占めていた状況から、テクノロジーの負の側面も多く見えるようになりました。これまで隠れていた拝金主義的な面も見えやすくなってきましたし、政治的な分断も先鋭化し、宗教との再接続なども日の目を浴びてきたように思います。

シリコンバレーのスタートアップを見ていても、祝祭的な雰囲気は薄くなり、戦争や安全保障などの物々しい雰囲気が占めつつあるように見えます。

 

こうしたアメリカの変化を受けて、世界中のシリコンバレーへのまなざしは変わり始めており、そこへの憧れも変わりつつあるのではと感じています。

同様に、日本では『』などから始まったシリコンバレーへの期待は、経済的な部分は残っていくでしょうが、思想的な部分は少し形を変えつつあるのではと思います。

 

それはある意味で、「シリコンバレーの次の未来と希望の物語」をどう作っていくのかという局面であり、その競争が始まっているようにも思います。

そこでどのように日本の存在感や思想を打ち出していけるのか、それもまた、日本のスタートアップエコシステムが貢献できる1つのチャンスではないかと思っています。

それは少数の挑戦で成り立つものではありません。多くの目をそちらに向けていく必要があり、そのようなモメンタムを総体として生んでいくことが重要なのでしょう。

 

まとめ

NotebookLM によるまとめ

この厳しい局面を「スタートアップ冬の時代」と嘆くよりも、信頼や野心を同時に積み上げていく時期として捉えていくほうが生産的ですし、嘆きを共有することに多くの時間を使うよりも、課題を把握して、それどう打破するかの議論をする雰囲気を醸成することが数年後の未来を決めると信じています。

そしてそれを周りに伝えていくこと、「私たちは何を目指していて、何のためにあるのか」をきちんとコミュニケーションする活動が、もっと必要なのだろうと思います。

(タイトルと画像の文字のスタイルは『俺の屍を越えてゆけ』からです。)

 

NotebookLM によるスライド

 




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