最近、神頼みの魅力に気付いた。
子が朝食を全く食べず、遊びに行ってしまい、延々とポケモンのマネをして戻ってこないときに、神様…どうか、この子が朝食を食べ終わりますように…とか祈る。
すると、神に頼っている気持ちになり、自分で対処しているわけじゃなく、神のちからによって子がいずれダイニングテーブルに戻ってきてくれて、食べてくれたらラッキー、みたいな気持ちになる。
戻ってこなくても、神の調子が悪いのかな?まあ、そういう日もあるだろう…みたいに、自分のことは棚に上げることができる。
他人任せではなく、如来任せという、本来の他力本願を体現している。
似たような概念として、虫の居所という概念を持ち出すと、理由はわからないが虫の居所が悪いのかもしれない、みたいな推論ができる。
ほかには、気圧のせいにする(調子が悪いときに気圧がガーッと下がっていたら気圧が原因)、花粉(調子が悪いときに花が咲いている…)、体調がおかしいときには自律神経の乱れ、など。
つまり、因果を特定できないものに頼るというのは人間の習慣としてあり、そのバリエーションに神も加わった、ということ。
マインドフルネスも活用できて、今この瞬間に集中するということは今に過集中し、過去や未来のことを忘れるということで、このまま子が朝食を食べてくれなければ保育園に送っていけないし、そうすると仕事も始められない、そうすると、そういえば昨日の仕事は終わってなかったし、ということは…みたいな先のことを理詰めで心配することから解放され、一緒にポケモンごっこをやるか…みたいな気持ちになれる。
時間や体力、注意力といったリソースは不足していて、生活に不自由しているという状況では、過去や未来のことを連続的に包括して考えると、とても直視できないようなストレスが発生する。
そんななかで、すこしでも現実をリフレーミングして、神の力で物事が進めばうれしい、とか、今この瞬間さえよければうれしい、みたいに、さまざまな気持ちの切り替えのテクニックを再発見している。