ADRは書く機会より読む機会のほうが多いのだけど、読んでいて、冗長だったり、長いと感じると、もっと小さくならないの?って聞きたくなる。
それと同時に、失礼なことをしてないかハラハラする。
これがコードだったら、文のレベルと振る舞いのレベルは切り離されているので、振る舞いを変えずにリファクタリングして小さくできることは明らか。
文章の場合は、削ると、文章が働く役割は自明でないことから、せっかく書いたんですけど、みたいな気分になるような気がする。
文章を扱うときには、問題vs私達になりにくくて、容易に人vs人になってしまう。
普段、編集提案機能のないツールでADRを書いていて、議論のコーナーを作って自然文でやり取りしているのだけど、これではツールの支援が足りなくて、めんどくさい。
レビュワーという立場でファシリテーションしに行くか、意見だけ書いて著者にファシリテーションしてもらうかなど、どの強さででていくかのスタンスをまず決めないといけない。
論文を査読する先生ではないのだから、赤を入れる、というスタンスでいくのは変で、意見が違うときには対等な対話が始まる。
ADRを、読者を説得するための文章と考えると、論理的な構造とか、文章の狙いとか、すべて目的に沿って組み立てられている必要があるので、自由にコメントをもらって、そのたびに議論の内容をそのまま付け足していくと、流れがだんだん悪くなり、文章のクオリティが下がっていくのは明らか。
著者とレビュワーは、ロールは違っても、同じゴールに向かって活動しているので、仕事のクオリティが上がるようなスタンスの組み合わせで活動する必要があって、そうするためには、スタンスの組み合わせがうまくいってないといけない。
どちらも及び腰だと話が進まない、どちらも拙速で見落としがあると決定内容が役立たない、双方があまり大事だと思わない箇所で議論していると時間がもったいない、など、さまざまな失敗のパターンを思いつく。
GitHubのPull Requestの場合、suggest changeすると、好きだったら取り入れてください、とできる。
意見ではなくて、編集提案として完成形を出せるので、レビュワー側から、ここにこう書いてもらえるならapproveできますけど、というルールの上でスタンスを明らかにできるし、ここに追記するなら破綻はしないだろう、というような意見をもらえると思う。
内容の提案以前の課題があったら、Request Changeして、一旦考え直してください、とできるので、追記を足していったら漸近的に完成するのか、考え直しが必要なレベルなのか、というスタンスの表明もやりやすい。