あまり自己開示しなくなったなと思う。人と話しているとき、自分が話したいことを話してやる、ということが減ったということだ。
昔は割とよく喋っていたように思う。自分が何を面白いと感じ、嫌だと思ったかを話していた。語るのが割と好きな方だった。知識を開陳するのは楽しい。自分も他人の知識を聞くのが好きでカンファレンスとかによく出向くので、他人にもそうしたいのだ。
しかし、まあ、思わぬ衝突が頻繁に起きる時代になった。あれが好きだといえば角が立ち、こう思うと言えば、また角が立つ。リアクションを引き出したいつもりで多少なりとも吹かして表現したら無粋なやつに捕まったり、つまらぬ人間に絡まれたり。かくして流される先が情であり、すなわちお気持ちに触れぬよう黙っておく、ということだ。
もう一つ、他人の気持ちを慮るうち、つまらぬ話だと思われないかとか、何らかの相手の思想を干犯していないかとか、何らかの社会的タブー(それが右寄りのものであれ左寄りのものであれ)に抵触し、社会的にキャンセルされ抹殺されないかとか、そういう内面的な防衛機制がかかるようになった。基本的に、他人を傷つけたくはないのだ。何らかの相手の地雷を踏んでしまいクソミソにやり込められ、あまつさえインターネットに晒し首にされたら嫌だな、という生臭い思惑もある。それはそうと、インターネットは地雷原と機雷の海に成り果てているので、何を言ってもハナクソがつくのだが。
舌禍とはよく言ったもので、昔から要らぬことを言って煮え湯を飲まされることになった人は多いのだが、さりとて自由闊達なやりとりこそが快活な知的営みでもあるわけで、それの大前提とは「必要もないのに拡散しない」とか「論破して勝とうとしない」ことだろうと思えてくる。すぐに他人に言いつけて勝とうとするとか、ひとときの人気者になろうとか、つまり個としてよりすぐ集団として振る舞おうとするのはつまらん!ということだ。論破とかいうのも、あれは結局他人にアピールするための振る舞いでしかない。
脱線したが、話したいことを話せる関係性とはいいものだな、と思う。しかし自分も、話の軸が知らず知らずに他人に移っていて、「そんなことは〇〇に失礼ではないか」みたいなことを考えがちなので、つまらぬ人間にならないようにしたい。