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2025年読んで印象に残った本(一般書編)

さて、毎年恒例のお正月に昨年読んだ本を思い返そうのコーナーです。2024年は下記の記事としてまとめました。お正月から急性胃炎らしきものを発症しており遅くなりました。

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私はソフトウェアエンジニアをしているので、ソフトウェアエンジニアないしはITエンジニア向けの技術書を読みます。今回は一般書編です。

免責事項

毎年恒例ですが、

  • 本を横に置きつつもまあまあ記憶に頼って書いている箇所があります。なので、事実誤認は少なからず含まれる可能性が高いです。
  • Amazonアソシエイトリンクが付与されているので、苦手な方はご自身で再度URLを編集するか検索し直してください。

印象に残った本たち

サム・アルトマン

サム・アルトマンのこれまでの経歴や、今のAI時代がどのような経緯で成り立っているかをキャッチアップできる本です。今年一番おすすめです。

2025年は、結局最初から最後までAIの話題で持ちきりでした。2024年と比べるとさらにAIの性能は向上しており、ほんの数ヶ月前にできなかったことができるようになっている、という進歩の仕方をしていました。我々ソフトウェアエンジニアは失職が囁かれるようになっており、仕事をしなくて済むようであればぜひ仕事を奪っていって欲しいところです。まあ一方で、世間の方が思うような「全自動化」の未来はしばらく来ることはなさそうで、むしろ中途半端な自動化に終わることの懸念の方が最近私は強いのですが…。

OpenAI創業がどのような経緯でなされたのかや、それをとりまくシリコンバレーの人々の動向を知ることのできる一冊でした。本書を読んでいて飛び出してくる人物はほとんどレジェンド級ばかり。ポールグレアム、ピーターティール、イーロンマスク、スティーブジョブズなどなど、現在のIT時代を築き上げた人々がたくさん出てきます。サムアルトマン自身はその中の一人だったというわけです。そして、彼は次にAI時代を始めることになりました。

OpenAIというと1年ほど前にサムアルトマンが突然解任され、会社がどうなるかわからなくなった時期もありました。また、イーロンマスクとはあまり仲がよくなさそうで、時折Xwitter上でもレスバをしているのを見かけます。背景に何があったのかについてももちろん詳しく解説されています。とくにその中の解任劇でクローズアップされた、加速主義vs効果的利他主義の対立は今も続いており、別の意味で私も関心を寄せています。これについては後ほど別のセクションで書き留めておきたいと思います。

AIは私たちの学び方をどう変えるのか

教育現場におけるAIとの付き合い方や、未来の教育の形を考えさせられる本です。

ChatGPTを教育現場でどう使うかは、昨今大きな話題になっているように思います。大学のレポートでChatGPTの出力結果をそのまま提出したところ、無事に不可になったなどは枚挙にいとまがありません。そうしたレポートを受け入れる教員側のこうしたテクノロジーへの付き合い方がまだうまく示されていない一例だと感じるとともに、教育を受ける側もまた、AIの出力結果をどう評価すべきかを理解できていない一例だと思っています。

本書を書いたサルマン・カーン氏は、10年ほど前に話題になった記憶のある「カーンアカデミー」の創業者です。カーンアカデミーのようなオンラインでの授業を提供するサービスは、真っ先にChatGPTなどのようなツールに代わられてしまい、教師が不要になるのでは?という危機感が多少あったように思われます。がそうではなく、教師はAIの力を借りることによって、これまでケアできなかった部分にケアできるようになるというのです。ChatGPTはご存知の通り、究極の「個別指導」を行うことができるからです。

さて先に示した大学のレポート例で、どうChatGPTを使うべきかでおもしろい例があったので紹介しておきましょう。まず大学のレポートを書く際に、ChatGPTの利用とその伴走によるレポート作成は前提とします。これは避けられないからです。一方で、ChatGPTに「この学生がChatGPTをどのように利用したのか」や「この学生は自身のレポートをどれくらい自分の手で書いたのか」を証言させられるようにしておきます。こうすると教員側はChatGPTに聞けば、学生がどのようなプロセスの最中でChatGPTを利用したかを追跡できるというわけです。そうした状況を用意する手間はかかりますが、ChatGPTとのよい付き合い方ではないでしょうか。実際、カーンアカデミーではそのような利用がなされているようで、なかなか賢い使い方だと思いました。

ZERO to ONE

こちらは読んだことのある方も多いでしょう。私もパラパラと会社で借りて数年前に読んだきり、内容はさっぱり忘れていました。なぜ再び手に取ったかというと、サムアルトマンの本を読んでピーターティールを改めて思い出したからです。改めて読んでみるといろいろ思うところはありました。

今でも印象に残っているのですが、就活の頃外資系金融などを見ていたとき、「winner takes all」という言葉を聞くことがありました。文脈的には単に金融街まことしやかに語り継がれる金融街の厳しい掟のことを指していたかもしれませんが、一位と二位のプレイヤーの間にはとても大きな差がある資本主義の厳しさを表していたとも記憶しています。この言葉に加えてピーターティールは多分、競争をそもそもしようとしてはダメだし、競争していてもダメで、常に考えるべきは「独占」の方だというはずです。独占企業は、他のプレイヤーとは比べ物にならないくらいの圧倒的に多くの富を手にするというのが、資本主義の現実でもあります。[*1]

AIの未来について10年以上前にいろいろ言っているのも示唆的です:

強いAIが予想のつかない謎でなくて現実の可能性だとしても、すぐには実現しないだろう。コンピュータが人間に取って代わるかは二二世紀の心配事だ。でも、遠い未来の心配ごとがぼんやりしているからといって、僕たちが今はっきりとした計画を作るのを諦めていいわけがない。機械嫌いは、いつかコンピュータが人間に取って代わるなら、そもそも開発すべきでないと言う。熱狂的な未来派は開発すべきだと言う。両者の考え方にダブりはないけれど、漏れはある––冷静な人たちが今後数十年でより良い未来を作っていく可能性は、その両極端の間のどこかにある。これからのコンピュータは、これまで人間がやっていたことをさらにうまくやるだけじゃない。これまで想像しなかったことを実現する助けになってくれるはずだ。

ピーターティールと言えば強めの加速主義者ないしはリバタリアンとして知られており、私はどちらかというとそちらの印象も強いです。そもそもルネジラールに師事していた哲学系の出身ですしね。先に出てきたサムアルトマンとはまた少し異なったテクノロジーに対するスタンスを持っています。ピーターティール、イーロンマスク、サムアルトマン、ジョージソロスといった"live players"(社会を前進させる人々)の思想の微妙な違いを紹介している動画もありおもしろいです。

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良い戦略、悪い戦略

「戦略的思考」といわれたとき、なんのことを指しているかわかりにくいことがあるはずです。それが一体何なのかのイメージをつけるのに最適な一冊です。

この本は再読で、後述する技術書に出てきたのでもう一度読んでみようと思い読みました。戦略論ではよく知られた本ですね。発売されたのはたしか10年前とかで、その当時少し読んだのですがあまり重要性がわからずそのままでした。今読み返すと割と宝の山で、何度も読み返していろいろ確認したくなる一冊だと思います。ルメルトの続編『戦略の要諦』も最近読みましたがすばらしくさまざまな洞察に富む一冊で、合わせて読んでみるとよいと思います。

ルメルトの戦略論は極めてシンプルで、良い戦略には1. 診断、2. 基本方針、3. 行動の3つが備わっていることだと言います。要するに現状を分析して取り組むべき課題を見極め、そこから見つかった課題にどう取り組むかの方向性を示し、最後にどうするか解決策を練る、たったこれだけのことです。戦略というとどうしてもミッションビジョンに逃げがちですが、そうではないのです。しかし一方で同時に難しいと感じるのは、経営課題や技術戦略課題といった抽象度の極めて高いお題について、論理的思考力を発揮しながら一貫した記述を作り上げることの方でしょう。ここで大半の人はうまくいかなくなります。この点についてはルメルトはとくに処方箋を書いていないような気もしており、引き続き職人芸では…と思わなくもないですが、本書に出てくる大量の例を通じて感覚を掴むことはできるといえばできます。

ルメルトの戦略論の好きなポイントは、ミッションやビジョンあるいは、偉大なアイディアに一切頼りにいかないところです。よくある戦略論では、いわゆるカリスマ性や人を惹きつけるストーリーテリングのような、若干科学的ないしは実証的な話とは少し遠いものが多く、再現性に乏しいと感じられるものも多いです。ルメルトはそうではなく、戦略とは仮説であると言います。戦略の策定とは科学的な手法なのです。これなら私のようなソフトウェアエンジニアでも活かせそうに聞こえてきます。

もしロシアがウクライナに勝ったら

もしロシアが勝った場合どうなるかというシミュレーション結果を掲載した一冊です。

さてシミュレーション上はどうなるかというと、まずエストニアが攻撃されます。最初の標的はバルト三国とのことです。次にNATOは集団防衛条約第5条を通じた集団的自衛権を発動できません。アメリカはこの件に積極的には関与しません。ロシアは得意のさまざまな陽動作戦と中国の助けを借りながらさまざまな作戦を成功させ、結果ロシア-中国のヘゲモニーが出来上がるというのが本書の大まかな流れです。パクスアメリカーナが終わるのでは、というのをこの結果は示しています。

本書の主張の核となる部分は、実は今回の戦争はパクスアメリカーナの終焉を意味し、その結果グローバル全体に影響の及ぶものなのだという点です。たとえばロシアは作戦の中で親露国であるマリにも手を伸ばしています。NATOの集団防衛条約がアメリカのNOで機能しないということは、巡り巡って日本や韓国、フィリピンといったアメリカの傘にいる国々の防衛戦略を見直さざるを得ないことを間接的に意味します。この前三菱UFJ銀行が出していたマクロ経済の予想でも、米中の最もありえるシナリオとしては台湾情勢に関する現状維持なのだという見方がされていたのをはじめとし、お互いに今のところ踏み込まず現状維持を決め込むのだろうという見方が強そうです。が、その結果は覆る可能性が高いのでしょう。

本書の出版は西欧社会の多くの人に今目の前にある現実とその影響を知ってほしいから行われたのだろうと考えます。社会的な無関心や支援疲れによる影響は本文中でも指摘されている通りです。残念ながら中露とは政治体制の異なる我々は、多くの人の団結がなければ我々の社会を守ることが難しいのです。当然特にロシアはその部分に民主主義の弱さがあることをわかっていて、社会的な分断を起こそうとSNSを通じてプロパガンダを流していると言われています。流されていることに気づきさえすれば策を打てるかもしれませんが、今のところ民主主義社会はこれに対する有効な策を打ち出せていません。

戦争日記

ロシア-ウクライナ戦争に関する報道を見ていて一番不満だったのが、なかなか市井の様子が伝わってこないことでした。報道機関の役割上致し方ありませんが、ずっと政治の話に終始しているのです。一方で国家に動員されて巻き込まれる形で戦争に参加させられた市民は、一体どのような生活を普段しているのでしょうか。戦場のリアルはどうなっているのでしょうか。報道では常にそれぞれの正義を永遠に追究していて、こうしたリアルに目を向けることができないと思っていました。

本書を通じて知るのは、子どもたち、戦場、ウクライナ人兵士、ロシア人捕虜、市井の生活などさまざまなリアルです。たとえばキーウに住むIT企業勤務のソフトウェアエンジニアは、停電のスケジュールがあるので深夜働き日中は寝る生活を送っていたであるとか、ロシア占領下になった地域のロシア化教育の仕方などなどです。最前線はそうはいかないかもしれませんが、人々は引き続き自分たちの国と生活を守る行動を続けているということだけはわかります。

本書で語られるのは友と敵の世界(つまり政治の世界)とは無縁の、正義でも悪でもない世界です。読みかけなので今回はリストには挙げませんが、東浩紀も近著『平和と愚かさ』で「正義か悪かの対立とはべつの、もうひとつの判断基準がある」という話を語っています。これは『資本主義だけ残った』という書籍を書いたセルビア出身のミラノヴィッチ氏がNATOセルビアへの空爆に対して寄せた投稿に続けた文章の中で語っていました。どこかで戦争が起こると、正義とするか悪とするかのどちらかを必ず白黒つけて判断させられる空気になります。日本のワイドショーでも「ロシア政治の専門家」が、「プーチン政権はまもなく瓦解する」と毎週のように言っていました。私の考えでは政権というのはそんなに簡単かつ短期間に瓦解しませんし(するときはするのだけど)、実のところプリゴジンの乱が起きた際、主要国はあれだけの核戦力を持ったロシアの政権が倒れると後々収拾がつかなくなることから肝を冷やしたというくらいです。そうしたさまざまなファクターが絡んでくるのですから、事はそう単純ではないのです。話は外れましたが、正義と悪のそのあいだにある市井の人々の考えを知りたかったのです。本書はそれをある程度叶えてくれたと思います。

ところで戦場のリアルを知りたいという話で行くと、実はアゾフ連隊が戦闘の動画を公開しています。FPSゲームの銃撃戦とは全く異なり、緊張感が違います。というのもFPSとは異なり銃弾が当たれば確実に怪我、最悪死にます。リスポーンできません。そうなると、相手に身を出しての撃ち合いにはならないようなのです。同様に建物の中に潜んでいる気配にも気をつけねばなりません。建物の中にいた人が味方とは限りません。などです。これが戦場のリアルです。YouTubeを通じて知ろうと思えば知れる時代であることも同時に痛感します。自ら一歩踏み込んで、自ら見て、自身で考えることもできるのです。

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ロシア政治

ここ数年続いている最後の東欧情勢趣味の一冊は、ロシア政治に関する本です。単に私がロシア政治に詳しくないだけなのですが、我々の社会からすると「ええ…」という感想が出てしまうこと畢竟です。

詳しい感想などは上半期の書籍紹介でも記しました。

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ロシア政治でやはり特徴的なのは選挙操作です。人が休暇に入るタイミングを狙って野党票を得にくくするなどの操作はまあ行われているようです。一応ロシアでも選挙は実施されているのですが、完全に公正な選挙かというと我々の基準から見ればNOなんでしょうね。あまり想像に難くありませんが。

また、ロシアは法治国家なのか…?という点について疑問を持つ方も多いと思います。たしかに恣意的な法の運用は(我々の基準から行けば)多いようですが、大半の日常的な司法判断は適切に行われている方なようです。市民が国家を訴えることも実はできるようなのですが(権威主義体制の国にしては驚きかも)、ちゃんと市民側に合理性がある場合は国も敗訴します。一方で、重要な局面では政治の介入が想像通り行われるようで、本書では他の専門家の言葉を借りる形で、ロシアの法体制を「法は影響力を持つ、常にではないが」と評していました。これが実情なのでしょう。

とはいえ、こうした権威主義体制を分析する際「悪だ」という先入観から入ってしまうと、現実の分析が難しくなると思います。政治体制というのは歴史を見てもさまざまありますし、我々の社会とは価値観を共有できなそうだが相手の体制も否定しない態度、というのが今後求められるのかもしれません。そもそも民主主義を採用する国の方が少なくなりつつあると言いますしね。今後我々西側に求められるのは、政治体制上の価値観を共有しない国(つまり我々が普遍だと思う価値観)とどう付き合うかなんでしょうか。ちなみに、最近この手の分析を読んだ中でもっともよかった分析は下記の書籍でした。

庭の話

三が日で読み終わるかなと思ってリストアップしたら、まさかの体調不良で読み終わりませんでした。ごめんなさい。以下は読んでいる箇所までのざっくりした感想です。

この本の主題はSNSのようなプラットフォーム上で繰り広げられる言論活動と、それが招いた社会的な分断を、次にどのようなコミュニケーションの仕組みを用意して解決していくのか?という話だと思っています。「いいね」でポストの価値が決定されるシステムは承認地獄を生み出し、アルゴリズムによって数理的に弾き出された「おすすめ情報」は結果的にエコーチェンバーを引き起こしただけでした。これを改善する新しいプラットフォームとして、「庭」という概念を導入するというのが本書の大まかな道筋です。

ところで今の社会は「anywhere(要するに我々ITエンジニアのように、グローバリゼーションの恩恵をしっかり受けどのような場所でも同じように働けるような人)」と「somewhere(グローバリゼーションの流れからはまったく取り残されており、その土地その場所でしか職を得られないような人)」な人々に分断されているという文脈で、somewhere側の人々が「社会への手触り感」みたいなものを求めて怪しい理論を支持して世の中を動かそうとする、という話がありましたがそれは疑問に思いました。手触り感というのは要するに自分が社会を動かせているという実感すなわち社会参加だと思うのですが、そんなに社会参加したくなさそうな人であってもそうした活動を行なっていることがあるからです。ここに本書の議論の前提があるように思え、somewhere側の人々の解像度にやや疑問を持っています。この辺りは、今後の議論で何か示されるのかもしれず、引き続き読み進めていきたいと思っています。

科学的思考入門

ビジネス書の「思考」とは違った、一段と深い水準における「思考」を学べる一冊だと思います。大学生のうちにこの本が出ていれば…と思う一冊でした。

科学的思考というと社会人になってしまえば使わないのでは…?と思いきや、科学的思考ができていないからこそハマる罠のようなものが実務ではたくさん転がっていることに気づきます。際たる例は語の定義が甘いまま進む論考、そして会議やポストモーテムでよく見る因果関係の取り違えです。これらは定番中の定番であり、私自身も何度も日常的にハマっている…かもしれません。

近年話題の陰謀論も、科学の営みを理解していないからこそ、世の中の「説」がどう評価され、合意形成を得ているかに対する想像力が働かず起こっている現象かもしれません。もちろん科学的思考ができれば陰謀論に陥らないという図式は成立しませんが、目の前の事象をどうマシな方法で考えるべきかを知っていれば、ある程度防げる類の言説なように思っています。

本書の内容はアカデミックの文脈なので切り取って日々の生活に応用しようとするのは誤用かもしれませんが、実務の現場にいると「モデル化」への指向が弱いなと感じることが多々あります。せっかく目の前の事象を解くのだから、世界観を作り上げてさまざまな場面で応用可能にしたらよいのにと思うことは仕事をしているとままあるわけですが、なかなか必要性が伝わらずに苦労することがあります。この辺りの話は5章に出てきます。

アラン

『幸福論』を通じてアランを知ったタイプなんですが、あまり入門書らしい入門書が出ていなかったと思うんですよね。本書はなかなか珍しい(と思ってますが違ったらごめんなさい)アランの入門書で、アランの思想の入門というよりかはアランという人がどういう人生を歩みながらどういうタイミングで著作を残していったか、どういう考えに至ったかが辿られて行きます。

アランの人生はほとんどまったく知らなかったのですが、二度の大戦を経験している上に、一度は自ら志願して従軍し、戦場を生で見ていたようです。戦場での経験をもとに『マルス』という本を書き上げていたのも知りませんでした。幸福論はたしかにポジティブな主張が多いと感じるものの底抜けのポジティブさではなく、どこか現実主義的な(というか、諦めというか悟りを含む)ポジティブさがあるなと常々思っていました。戦場という限界状態を経験した人だからこそ言える本当の幸福とは何かが綴られていたのだなと改めて思わされました。

形而上学とは何か

抽象と具体の行き来みたいな話が最近話題のようですが、せいぜい思いつく限りでレイヤーをひとつあげた話に終始していることが多そうですね。もっとも、ビジネスの現場で扱っている具体的な話であればそのくらいのレイヤーで済みそうなものですが、世の中のもっと抽象度の高い話をきちんと議論する際には、もうひとつ上のレイヤーの抽象度から物事を扱える枠組みが必要になります。ここまで抽象度を高めればさすがに原理と呼べるレベルまでやってきそうですね。巷のビジネス書では得られない知見がここにあります。形而上学の入門にとてもよい一冊で、哲学の知識がとくになくても読み始められると思います。

形而上学というのは古代ギリシャくらいに伝統を持つ哲学の一分野で、かなり昔からさまざまな議論が繰り返されてきました。扱う内容としては、たとえば「ある事物同士が似ているとはどういうことか」「全体は部分の総和以上のものになるのか」「世の中の存在は、物によるのか、それとも事によるのか」「因果関係が成立するとはどういうことか」「1時間前の自分は今現在の自分と同じと言えるのか」などです。私が個人的に最近注目しているのは因果の成立の話で、実務上もうまく説明するためにどうしたものかと思い悩むことがあります。本書ではたとえば、因果について考えるためにいくつかこれまで議論されてきた説が、強いポイント弱いポイントとともにクリアに説明されています。そうした思考の手助けになるでしょう。

まったく新しいアカデミックライティングの教科書

すでに別の記事で感想を書き記していますが、本書の主張で知ったのは、論文を書く際には必ずしも問いは必要ではなく、それより重要なのはアーギュメントであるという点です。アーギュメントというのは、論文の核となる主張内容を一文で表したテーゼです。テーゼというのは論証が必要な主張という意味を持ちます。ビジネスの文脈で言えば「ポジションを取ること」になるでしょうか。妙に浅く言い直されてしまったような気がしますが。いや浅すぎるか。

加えて私が重要だと思ったのは、昨今AIの登場で「問いを立てる」ことばかり注目されていますが、実のところ問いというのは主張から逆算して形式的に成立するものに過ぎないと著者が指摘している点です。論証可能な主張を立てられているか、あるいはちゃんと主張をしているかというのは日々の我々の仕事でも見直せる話なように思います。論証が必要な主張をきちんと組み立てられるかはある種の思考力であり、たとえば意思決定の場面でそうしたアーギュメントを適切に組み立てられるかは、業務効率や意思決定の精度に関わると考えています。

NEXUS 情報の人類史

サピエンス全史の著者がAI時代の到来に際して書いた一冊ということでちょっと話題になっていましたね。私も例外なく読み進めていました。いかんせん議論が長いので、完全にすべてを理解しきれたとは言えませんが。前半は歴史の読み物としておもしろく、後半は普通にゾッとする話が書かれていました。

今回のAIの発展で組み上げられているものは、これまでの情報伝達の仕方とは異なり本質的に「可謬」だと言います。ハルシネーションが代表例ですし、あるいはポピュリズムからやってくる陰謀論の類もそうした情報の代表例といったところでしょうか。なので我々の政治体制も、こうした相手の伝達してくる情報が誤りうることを想定した作りになっていなければならないわけです。そうした「自己修正メカニズム」の代表例としては、弱いものとしてはカトリック教会のネットワーク、強いものとしてはアカデミックな科学雑誌などで行われる科学者同士による査読があげられます。我々の民主主義社会も、その複雑性から、実はいわゆる権威主義体制と比べて自己修正メカニズムの働きやすい仕組みだったりするのです。

が、民主主義社会にももちろん弱点はあります。それはAIの登場により、「今議論している相手が人間なのか?AIなのか?」という疑念が生まれはじめていることです。これにより次に直面するであろう困難は「今話している相手は我々なのか?AIなのか?」となるでしょう。そうするとどうなるでしょうか。民主主義が前提としてきた熟議のメカニズムがワークしなくなるかもしれません。恐ろしいですね。今求められているのは、より強い自己修正メカニズムであり、それらは政治的な意思である、というのが私が本書から感じ取ったことでした。

ところでこの議論をどこかで見たなと思ったんですが、東浩紀氏の訂正可能性の話にとても似ていますね。最近改めて参照したかったなと思ったのを思い出したので、改めてメモ。

積んでるけど紹介したいもの

さてここからは2026年向けに積まれている書籍です。これらを読むと半年くらい使いそうですが、ゆっくり読んでいきたいと思います。関心のあるテーマの記録として書き留めておきます。

加速主義と長期主義

サムアルトマンの本で加速主義と長期主義というか効果的利他主義というかとの対立が話題になっていました。シリコンバレーのAI開発の最先端ではこの2つの主義の対立も動いているという話は前々から聞いてはいましたが、実際に書籍でさまざまな話を読むにつけ、現実っぽいのだなあと思うようになりました。

加速主義の方はなんといってもドゥルーズガタリの現代進化系ということでもちろん存在は知っていましたし、何冊か実は書籍を読んでいます。日本だと下記の新書がとても入門としてはよくできていて、個人的にもおすすめです。今年に入って改訂版が出たようで、実はすでに家に積んであります。最近の動向が乗っているそうでとても楽しみにしていました。

長期主義の方は前に現代思想の本で特集されていてチラッと読んだきりで、あんまり深く理解していないなと思ったので一冊買いました。今調べたら、長期主義は効果的利他主義から進化したものなのでしょうか?まだ1章をとりあえず読んだ程度で、これから入門するレベルなのでよくわかっていません。

どちらの立場を取るかは難しいですね。たしかに自分の子どもたちの世代くらいまでは責任範囲だと身をもって感じられるものではあるのですが、長期主義の主張のように何世代も先のことを考慮して今どうするか意思決定すべきという議論は、なかなか現実感がなく難しいところがあります。想像の働かないものに対して解像度を低いまま議論を進めてもまともな結論を得られないのは世の常で、そういう意味ではちょっと楽観主義的すぎる態度にも見えています。野放図なテクノロジーの自由な濫用がよりよい社会を形作るかというと、残念ながら昨年読んだ『技術革新の1000年史』にもあったように、テクノロジーで富を得た人は良いものの得られなかった人の格差は単に広がるだけで、別の主従関係を生むだけになりそうですね。

ドゥルーズ生誕100周年に際して

さて昨年は哲学者ジル・ドゥルーズの生誕100周年でした。100周年でしたが、あまりドゥルーズ自身の著書や関連書籍は読み進まず、2026年に持ち越されました。何冊か関心を持っている本を紹介しておきます。

最初はドゥルーズの哲学原理です。これは私が学生のころに出版されていて一度読んだ記憶があるのですが、文庫になってました。書いました。内容は結構忘れたので、また読みたい。

ドゥルーズと芸術論について論じた書籍はそう多くなく、本書は欧米圏では結構有名な書籍がようやく邦訳されたもの(という理解)です。これも読みたいが、いかんせん私が『フランシスベーコン』などの芸術論は基本未読なのでまずそこからな気もしてしまいます。ちょっと読んだ限りでは、第1章でドゥルーズの芸術周りの議論をかなり綺麗に整理しているので、そこだけ読むでもよいのかもしれない。

関連して下記も一読したいところです。

これも昔とても古い書籍を図書館で読んだ記憶だけあります。文庫本として復活です。ドゥルーズ自身の研究論文を元に構成された22歳に出版された書籍らしいです。

『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』も、新しく100周年記念版が出るようで楽しみにしています。アンチ・オイディプスは実は手元にないもののたまに参照したくなるので欲しかったです。

まとめ

次は技術書編を書いています。お楽しみに〜

*1:とまあピーターティールはいうわけですが、一方で独占を許しすぎて一部の人に富が集まりすぎるのも考えものではあります。アメリカの社会的な文脈には正直詳しくありませんが、アメリカ社会は少々極端なようには見えますね。実際アメリカ出身の人にいろいろ聞くと、自国の良いところは個々人が自分を最優先するところだし、悪いところも同様に個々人を最優先することだ、なんて聞くこともあります。




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