職場に残業用のお菓子が置いてある。残業するメンバーはそこから自由にお菓子を持っていっていいのだ。今日中身を確認すると、袋の中に最後の1つが残ったチョコがあった。ぼくはそれを遠慮なく自分の席に持っていった。空になった袋をぼくがゴミ箱に捨てた。
「最後の1つを取らない」。こういうことってよくある。お菓子もそうだし、みんなで食べているときのからあげだってそうだ。こういうとき、ぼくは率先して最後の1個を食べる。遠慮はない。とにかく食べる。食べてしまう。
最後の1個を食べないのは、思いやりなのだろう。はたまた「遠慮」か。でも少し考えると、みんながみんな最後の1個を食べないと、袋にはずっと最後の1個が残ってしまう。お皿には最後のからあげが残ってしまう。テーブルはもういっぱいだ。そして次の料理が運ばれてくるときに「じゃあ食べちゃいますね」と誰かが言って、それは食べられる。
ぼくはこの思いやりを「ミクロの思いやり」と呼んでいる。確かに一見すると一歩引くのは良いことのように思える。自分が好き勝手好きなものを食べるのでなく、自分は我慢して誰かのために譲ってあげるのは良いことのように思える。誰もが食べたいものを食べる場ならば、相手のことを考えて自分は遠慮することは美徳とも言えるだろう。
でも往々にしてみんな最後の1個は食べない。全員が全員「ミクロの思いやり」という狭い視野で、狭い親切をするから、最後の1個は食べられない。だからぼくはそれすらも思いやって最後の1個を食べてあげるのだ。これは「マクロの思いやり」だ。場の全てを読み切って、全体の中で本当に求められている行動をぼくはするのだ。もしかしたら「図々しいやつ」と思われるかもしれない。「がっついてる」と思われるかもしれない。でもそれでもいいのだ。なんて思われてもいい。ぼくが全員の代わりにそう思われてあげるのだ。誰かが食べないと最後の1個はなくならないんだから。その1個をぼくが引き受けてあげているのだ。だってぼくは「大人」なんだから。
最後のチョコは甘かった。でもたぶん最初のチョコと同じ味だと思う。
今週のお題「大人だから」
