田舎道を日食なつこさんを聴きながら、気持ちよく走っていた。

車の通りも少なく、雪道は走りずらいとこもあるけれどお気に入りのコース。

車道のシマシマ感が美しいなーと思いながら走っておりました。
で、
不意に目前に何か大きなものが通り過ぎた。
エゾ鹿でした。

私の前方5m程前を対向車線から横切り、畑の方へ走っていった。

ツノが立派な大きな雄鹿だった。
今まで車を運転してて何度か鹿が飛び出してきて危ない目にあった経験はあるんだけど、走っててこんな近くで遭遇する事があるなんて。
もう少し私が速く走っていたら、真っ直ぐ前しか見てない鹿の事だから接触してたかも。
あんな大きな鹿だから、私なんぞは突き飛ばされるだろう。
もしかしたら、立派なツノがうまい具合にザックリ刺さって大怪我、もしくは死んでいたかも。
鹿が私に気づいて立ち止まる可能性もあっただろうし、威嚇され、攻撃される場合もあっただろう。
いつもこの道を走る事が多いけど 今回みたいのは初めて。

「動物 飛び出し注意」の幟もあるんだけど 人ごとのような気がしてた。
とにかく無事で怪我なく帰宅できた事に感謝した。
で、
ここ数ヶ月で、同僚が難病になって退職したり、ご近所の方の手術への不安話を聞いたり、友達の兄弟が亡くなったり、中山美穂さんが亡くなったりで
「生きること」「死ぬこと」にどんどん意識する事が増えてきた。
子供の頃のペットの死から始まって、何度も「死」に寄り添って 義父母の時は「こんなにあっけなく人は死ぬのか」と「段々弱って眠るように死んでいく」を見せてもらって、義父母に身をもって学ばせてもらったんだなって思った。
で、
自分も年齢を重ねてきて、側にある「死」を若い頃より意識するようになった。それはイコール「生きる」を意識する事になり、自分の人生はこうしたいという思いに繋がり。
今こうして走れているだけで奇跡みたいなもんで、何かを達成したとかいうのはプラスαの「おまけ」の楽しみを頂いてる感が強い。
「おまけ」は欲しい時はすごく欲しくて、たまの大当たりに喜んだりするけれど基本である「走れる事の幸せ」がより沁みるお年頃になってきてるなーと実感してる。
で、
そんな話をしてたら同僚が言った。
「一日一生」だよねって。
今日一日を一生だと思って生きる明日はまた新しい人生、あせらず、あわてず、あきらめず、無理をしない
https://butsudanyasan.net/column/1536/
鹿に激突しなかった私は、まだ何か生かされてる意味があるらしい。
鹿に激突死っていうのも、なんとなく自分に似合ってるような気もするけど。
また大切に一日一日を過ごそう。

今年生まれの子ギツネだと思うんだけど、立ち止まったら寄ってきた。
モコモコが可愛い( ´∀`)
キツネの応援ももらって、今日も「一日一生」気分で全力で呑んだいい夜でした(そっちかーい・笑)
同僚の言葉セレクトがありがたかった♪
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