先のブログで私が自殺未遂経験者であることをのべました。本来は系統的な記述をして全容を記せれば…ですが、何をどこまで書いていいかの判断が17年経った今でも判断つきません。部分的な記述になることをお許しください。
今回は「殺意の向け先」を題材に記します。これも17年経って整頓できたことを記します。
1️⃣ 生じてしまった「怒気」「殺意」の向け先
話し合いは、そこから先の暴力的な行為を防ぐために「どういうことが起きているか」を認識するためになされるものですが、残念ながら全部が全部スムーズに行くとは限らず、トラブルが生じてしまうことがあります。更に言えば、中身次第ではそこから様々な感情を生じさせることも。
それが消化可能なものならどーにかなるかもしれません。
しかし、それがどーにかならなかったら?
その結果起きた感情が「怒気」「殺意」だったら?
2️⃣ 怒気・殺意の消化と行方①。
怒気、殺意と穏当でない言葉を並べましたね。しかし、その意思を持ったとしても「それをそのまま実行したらどうなるの」と考えることでその意思を散らすことができます。
だがここで、「散らすことのできない事象」が乗っかってしまったとしたら?敵意や感情が消化しきれずに。私は2度ほどその極致に立ちました。
17年前は「自分に向けた」。それで何やらかしたか言えば、自動車をどこかに突っ込ませて自殺しようてしました。アクセル限界までふみこんで。
しかし、同時に死ぬ際の痛みを恐がる私も存在しました。なので寸前にブレーキを踏み込んでしまう。「そのまま踏み込んで死ねば良かったのにね」などと語る方もおられましょうが、何回も何回もこれを繰り返して疲れてしまって、自殺をやめてしまいました。直後に野球の準全国大会があってそちらに気を向いたこともやめた原因になりましたでしょうか。
3️⃣ 怒気・殺意の消化と行方②
しかし、そのときに覚えた強烈な感情変化は私を苦しめました。ここで誰かに相談したり、関係の医療にかかったりすればよかったかもしれませんが、そうする手段も知らず、「どーせ言ってもわかってもらえない」と相談することもなく8ヶ月が経過した2009年5月、またも同じ原因で怒りと殺意を。しかも同時期に様々なトラブルが発生し、それを処理しきれずにストレスを溜め込んだところにそれを爆発させる事象が起きました。
先は「殺意を自分に向け」ましたが、今度は「対象者に向ける」ことに。他に抱えていた自分の出来事の色々をぶっ飛ばして実行しようとしたのですが、ここでも「実行した場合の予想されるリアクション」との板挟みになり、私の体が持ちませんでした。
6月8日、心筋梗塞 発症。
処置が早く、命こそ助かりましたが心臓の病気だけでなく他に生じた─特に精神疾患─病気がたたり、一般の同年代ができていたような社会生活を諦めることになりました。それでも私の身柄を置いてくれた団体や友誼を保ってくれた関係者にはお礼を申すしかありません。
尚、具体的な対象者に関しては公表を差し控えます。
4️⃣ 他者の尊厳を弄ぶ立花孝志は封じなければならない
ここまで私の2度の「殺未遂」を取り上げてきました。前者に関しては「瞬時的」後者は「継続的」に意が乗り、このような経過をたどった。どっちもよく止まったな…と。
今回なくなられた元県議もそーいう逃げ場、失わされたのでしょう。立花・斎藤がまいた「種」は、物事の拡散が早くなったSNS社会で拡がり、そこに攻撃の垣根の低さが加わっていとも簡単に実行させられ…となりました。
そんでいて、1月22日夕方に立花孝志が打ってきた動画には、元県議氏を尚も打つばかりか、「批判されたから自殺する」などとなめた態度が写されていました。立花孝志や斎藤元彦は逃げ場いくつもあるだろうに、それを知って侮辱に出ている(「おちょくり」表現はやめた)。
そこまでやるか。
改めて思いましたね。
立花孝志は絶対に封じなければならない、と。物事の正否以前で負の感情を撒き散らす破壊・破戒者にこれ以上力を持たせてはならない。その意を新たにしました。
そーいう思考回路が当たり前になってる今、巻き戻す作業は楽じゃありませんがしっかとした「種」、撒きなおしていきましょ。長々と失礼しました。