東京都知事選挙終わって数日が経ちます。2021年の総選挙直後にも思いましたが、どす黒い空気が漂ってる感覚が。選挙が終わった後、特に蓮舫氏に関しては政治論評とは別な意味から憎悪をぶつけられている様子が見えます。同じ候補者でも石丸伸二のは「首長になるにあたってその態度が耐えきれるのか」という疑問点が出されている部分があり、それに触れることは政治論評のうち。ところが蓮舫氏に感してはそうではない。何ていうのか、とにかくやってきたことを全部悪いことと認定し、詳しい議論出すよりは「作られたイメージを持って叩きにきている」イメージが。
昨日からは約20年前の松岡勝利大臣の自殺の件を結びつけられている。反蓮舫諸氏に言わせれば「蓮舫をはじめ当時の民主党が事務所にまで乗り込んだから松岡氏が自殺した」と言いますが、不祥事を起こした松岡氏の任務を解いて、不祥事対応させればいいのを安倍首相の体面を重視しそうさせず、在職のまま追い込ませたという見方しかできませんし、そもそも行動に疑問点があれば追求することはあり得るわけで。
何と言いますかね。
「ある勢力のを取ってる行動全部を否定する」っていうのがここにも現れて。
直接的には松岡氏に関する言論、もっと広く見てみれば「自民党あるいは権力者の不祥事を追求できなくしてしまおう」という動きすら見えるんですよ。
社会に政策を訴えなくさせる 権力の不正に対して行動できなくする そうすれば今の権力は安泰にさせられる。
蓮舫氏あるいは蓮舫氏が訴えてきた人権拡充の施策などことごとくを全部を否定して、そういう思想に助けられる人を「必要ないと切り棄てる。きょうもそういうツイートがありましたね。「救うための施策はやめろ!防止のみに力を注げ。そこから落ちたらジコセキニン」とすることによって、「今かろうじてどうにかなっている自分たちは救われる」という考えで、憎悪をぶつけてるのでしょうが、その行為がいつ何時別な反動を生むのかということを考えなければならないんじゃないんですか。
暴力で物事を解決するということはあってはならないことですが
それがあまりにも度が過ぎて生存すること、存在することそのものすら簡単に断ち切られる状況になれば、それなりの行動というのは起こさざるを得ないものなんですよ。少なくとも黙って殺されるという選択肢はありません。
こうやって蓮舫氏を叩いてる人たちは、自分たちの政策が通る可能性の高い小池百合子が勝ったことに喜んでるかといえばそうではなく、蓮舫氏とその周りに集まった人たちに対する憎悪を募らせている。この危うさを-今は私のような位置の人間が言っても「気に食わない」のでしょうが-少しでも1人でも2人でも気づいていただくことを願って今日の記事を置いていきます。
正直、ひとたび狂い始めれば私なんぞ「処分の対象」でしょうからね。本来の寿命から十数年長く行きましたもういいやという気持ちもあったりしますが、それでもせめて母親がすることができた「生きぬく」という行為だけはしたいです。今は何言っても、極論言えば呼吸するだけでも石投げつけられる状態ですが、それでも諦めない。以上です。