以下の内容はhttps://belphegor729.hatenablog.com/entry/watabiba2より取得しました。


🦫映画「私がビーバーになる時」ネタバレ感想|ディズニーが描いた“暴走する正義”の物語

ディズニー/ピクサー最新作「私がビーバーになる時」。

池袋で娘と「超かぐや姫」を観に行ったとき、劇場がこの映画のポスターで埋め尽くされていて、娘の琴線に触れてしまった。

その流れで観ることになったのですが――
正直、かなり意外な作品でした。

一言で言うと
ディズニーらしからぬテーマを真正面から描いた野心作。

 

この感じはズートピア(2ではなく1)に近い。

万人向けの作品ではなかったものの、そうではなかったからこそ万人に見てほしい。

そんな不思議な作品でした。

まだ見てない?そんな人は、見ていない人に向けた紹介記事を書いているので、まずはそちらを見ていただいて、あるいは観ずに、そのまま映画館にGoです。

 

belphegor729.hatenablog.com

 

 

 

「私がビーバーになる時」は暴走する正義を描いた意欲作

本作何が意外だったかって、「誰かのために」「不正を許さない」という正義感を無謬なものとして無批判に称賛せず、むしろ、行き当たりばったりの正義は有害である、という厳しい視線を子供向けのルックの映画に入れ込んだことなんですよね。

 

動物の住処を守ることは大事。でも、動物を大事だと思っているのがメイベルだけなら、それは独りよがりの正義でしかない。

自分がそう思っているのだから周りだってそう思っている、というような過剰な自信ははたから見ると暴走ですよね。

確かに市長は不正をしていたけど、それが早い段階で市民にばれたとしても、そこまで高速道路反対運動は広がらなかったと思うんです。

「確かに、住処を奪われたのはかわいそう。でも、別の場所で生きているんでしょ?」

と。

もちろん、そこに対するエクスキューズとして、新しい住処はもうキャパオーバーだからビーバーの池を取り戻さないといけない。という事実もしっかり盛り込んでいます。

そこも丁寧だなと思いました。

池を取り戻す理由も正当性もあるけれど、じゃあその手段は正当なのか。

理解を得られていると言い難い状況で一人暴走するメイベルの行動が、次の暴走を生み出す。

正しいことのために誤った手段をとった結果、守るべきものに害が及ぶ。

あるいは、誰からの理解も得られずにエコーチェンバーの中で先鋭化する。

そういった不幸って、世の中にたくさんあるけど、多くのメディアは見ないふりしていると思うんですよね。

これをディズニーが描いた、というのは結構思い切ったことをしたなと思いました。

 

 

メイベルのキャラクターの絶妙さ

メイベル、ここ最近のディズニーでは意図的に好感度の低い主人公にしているんじゃないかなという気がしています。

結果的に視聴者の好感が得られなかった主人公はそこそこいる気がするんですけど、

メイベルの行動は危うさがあり、作品内でも”良き行い”とは見なしていない。

例えば、星つなぎのエリオで宇宙人を呼び寄せるため、最終的に町全体を停電させたことに対して、エリオはペナルティを負っていない。

作品内で、”危うい行為”だとみなされていないことに結構フラストレーションを感じて、作品自体もあまり好きになれなかったのですが、メイベルは違う。

動物のためといいながらも、根底には祖母との約束があり

しかし、「なにかと繋がれば怒りは静まる」という祖母の教えは全然守れていない。

そんな彼女が孤立するのは当然で、彼女の短慮が、先代の女王によって抑えられていたタイタスという大きな悪意を呼び覚ましてしまう。

まぁ女王もなかなか攻撃的でしたが・・・

また、うまいなぁと思ったのが、彼女が怒りに身を任せたときに、物語が悪い方向に転がっていくんですよね。

  • 評議会で、池を取り戻したいという議題が軽く流されたとき。
  • 焚きつけすぎて虫の女王が予想を超えて苛烈化し、あおり返されたとき。
  • 市長を助けに来たはずなのに、市長が思った通りに動いてくれなかったとき。

こうやって列挙してみて気が付いたのですが、彼女は他人を自分の期待通りにコントロールしようとする癖があり、他人が自分の期待する動きをしなかったときに、怒りのスイッチが入る。

怒りのスイッチが入り、それに身を任せた結果、よりハンドリングが効かない状況に陥る。

 

怒っても、怒りに身を任せてはいけない。すごく大事なことです。

「憎悪の空より来りて、正しき怒りを胸に…」が決め台詞のゲームが昔あったのですが、まさにこういうことなんだなぁ。

そして、間違いに気づき、反省し、謝罪する。このプロセスもちゃんと描けている。

 

池の自然を取り返したかったのに、手段を考えなかった結果、より大きな悪意を呼び寄せ、守るどころか火の海にしてしまった。

そこで目が覚めたメイベルが、真に反省し、償いをする。

言葉が通じなくても、思いが通じ、森の動物たちと力を合わせて消火活動をする。

めちゃめちゃ感動するシーンでした。

自分さえよければいいと博士の研究である「ホッパー」を盗んで、結果として博士の研究は中止に追い込まれる。

映画ではちゃんと、彼女が犯した罪とその結果まで描き、謝罪をさせているんですよね。謝罪し、許され、次の関係が生まれる。

ある意味で、主人公を一種のヴィランとして描き、ヴィランからの再生の物語を描いたともいえると思います。

 

お互いが歩み寄るために必要なことは考えることを辞めないこと

本作が出した結論も、ものすごく現実的で、だからこそ私の心に刺さるものでした。

みんながみんな、譲れないものがある。そして、みんながみんな全くの悪人でも、全くの善人でもない。

市長はずるはしたけれども、環状道路の建築は市民の望みでもあった。

メイベルも、動物のためといいながら、すぐに怒りに飲み込まれ、悪手に近い手を取り続けて取り返しがつかないことをした。

お互い、良い面もあり、悪い面もあることを知り、理解し、そのうえで、みんなにとっての最善が何なのか、考えることを辞めないこと。

事件の中で、市長は動物たちにも生活があり、事情があることを知った。

メイベルは、動物たちは一方的な被害者ではなく、加害者になりうる存在だという事を知った。

 

そんな二人がお互いを理解し、歩み寄る。

100点の答えなんてない。でも答えを出すことをあきらめない。

個人的には、大事なのは”お互いが”というところだと思うんですよね。

世の中一方的に「私のいう事を聞いて」「彼らの思いに寄り添って」というけれども

”私”、”彼ら”は相手に寄り添う姿勢がまったくないことが多い。

まさに序盤のメイベルがそう。序盤の市長もそう。

永遠に譲歩し続ける関係性は、いつか破綻する。虫族の王タイタスのように。

フラストレーションが積み上がり続け、いつか暴発する。

まぁ難しいんですけどね。相手があることなので。

だからこそ、この結論にたどり着くために、本作では大災害ともいえる事件を起こさないといけなかったのかも。

 

ズートピア1との相似点

前の章で、被害者が加害者になりうる。という話をしたのですが、視点がズートピア1で私が感銘を受けたところと似ているなと思ったんですよね。

本作は、被害者がやっていいカウンターにも限度がある、というところを、メイベルに大きなしっぺ返しを食らわせることで描いていると思っているのですが、

ズートピア1は、弱者というステレオタイプを利用する悪人がいることを描いた作品だと思っていて

被害者、弱者、という非難しにくいカテゴリの人間も非難されうる。という事を、フィクションの中で描いてくれることの貴重さをすごくかみしめているんです。

あまり深くは触れませんが、ここ最近は、被害者だから、弱者だから、嘘をついてでも気に食わないものを非難していい、というような風潮が見え隠れしてしんどい。フィクションでもそういうのすごく多い。同じディズニー作品ですが、本作はよく「ウィッシュ」や「白雪姫」と比較されて論じられていますが、ウィッシュはまさに真逆の作品なんですよね。

たとえ、被害者、弱者であっても、相手を非難するために取る手段は正当でないといけない。

これって、本当に大事なことだと思うので、そういった意味でも、多くの人にこの作品を見てほしいと思うんです。

見終わって1日たってこの記事を書いているので、結構セリフとか抜け落ちちゃっているので、もう一回見たいなぁという気持ちはあります。

それくらい刺さった作品でした。

正直ここ最近のディズニー作品ではトップクラスに良かったです。

 

 

関連記事

話題に出したディズニー作品、白雪姫とズートピアの感想記事です

白雪姫からちょうど一年か・・・

belphegor729.hatenablog.com

 

ズートピアはオールタイムベストの1本なんですよね。

belphegor729.hatenablog.com

 

 

 

 

関連商品

 

私がビーバーになる時 (ディズニー・プレミアム・コレクション)

  • 永岡書店
Amazon

 

 




以上の内容はhttps://belphegor729.hatenablog.com/entry/watabiba2より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14