
★
9月5日(金)。雨。
カズオ・イシグロ原作、石川慶監督『遠い山なみの光』の公開初日。クルマで行ける「ウニクス南古谷」へ、Sさんと見にいく。運転はSさん。
雨でフロントガラスが曇る。室内を内気循環にしたり、風を窓向きに調整したり、雨が吹き込まぬ程度に窓を少しだけ開けたりして、運転席の視界を確保。
奮闘しながら「ウニクス南古谷」までたどりつく。
★
ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロが自身の出生地・長崎を舞台に執筆した長編小説デビュー作を映画化したヒューマンミステリー。日本・イギリス・ポーランドの3カ国合作による国際共同製作で、「ある男」の石川慶監督がメガホンをとり、広瀬すずが主演を務めた。
(略)
(略)かつて長崎で原爆を経験した悦子は戦後イギリスに渡ったが、ニキは母の過去について聞いたことがない。悦子はニキと数日間を一緒に過ごすなかで、近頃よく見るという夢の内容を語りはじめる。それは悦子が1950年代の長崎で知り合った佐知子という女性と、その幼い娘の夢だった。
(「映画.com」より)
★
1950年代の長崎と、1980年代のイギリス。ふたつの時代が映画の舞台。
ふたつの時代に登場するのは悦子という主人公。
1950年代は広瀬すずが、1980年代は吉田羊が、悦子を演じる。
吉田羊の登場シーンは、英国で育った娘・ニキとの会話で、セリフは全部英語。イギリスに長く住む50代の婦人として、吉田羊は、外国の広い庭の家──その風景によく馴染んでいる。
★
回想するのは悦子。
1950年代、長崎──悦子(広瀬すず)と佐知子(二階堂ふみ)の出会いからはじまる。
二人の共演も、この映画を見る楽しみだった。
彼女たちの背後に原爆の被爆体験がちらつくが、表立っては描かれない。
この作品は何事も露骨には描かれない。説明が少ない。
ストーリーの構成もそう。
わたしは、一般的なミステリーのように、いろいろな謎が最後に解決してスッキリ終わる、という構成は好きじゃない。
つまりは、映画や小説が終わっても、登場人物たちの人生は、その後も続いていく──そんな終わり方の作品が好ましい。
この映画『遠い山なみの光』は、どうなんだろう?
終わり間際にきて、「え?──これはなんなの?」と疑問符がわきあがってくる。
★
YouTubeで、三宅香帆さん(若き文芸評論家)が、カズオ・イシグロの作品は、回想者が「信頼できない語り手」であるのがポイント──といっていたのを思い出す。
映画『遠い山なみの光』を見る上で、それがヒントになった。
「信頼できない語り手」(=人間の回想はしばしばウソがまぎれこむ)というキーワードを覚えておくと、この映画で「迷子」にならずにすむ、と思う。
見たあとで疑問が残ったら、誰かと話し合ったり、映画雑誌を読んだり、YouTubeの解説を見たりすればそれも楽しいし、疑問は疑問のままで時間をかけて自分のなかで咀嚼していくのも悪くない。
★
今、カズオ・イシグロの原作を読んでいる。
原作を読み終わって、まだ映画館で上映されていたら、もう一度見にいきたい。