

2020年に閉鎖された作家・志賀直哉の旧居(尾道市東土堂町)を、文化交流施設として復活させる企画が始動した。22日に「保存活用委員会」の初会合が開かれ、研究者や学生、地元住民らが参加した。
近代文学を代表する作家の志賀は、父との確執で東京を離れ、1912~13年に尾道市の千光寺山中腹にある平屋建ての三軒長屋に住んでいた。
尾道水道を望む6畳と3畳の2間に、かまどのある土間という質素な家だ。ここで代表作「暗夜行路」の構想を練ったとされ、作中にも尾道での暮らしが描かれている。
(「朝日新聞デジタル」:2024年6月27日。菅野みゆき氏の記事)
詳しくは、↓
https://www.asahi.com/articles/ASS6V45XHS6VPITB00VM.html
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志賀直哉は、東京の家族や友人から離れて、尾道の、坂の中腹にある三軒長屋のひとつに半年ほど住んだ(1912〜1913年)。
完全にひとりになって、長編小説『時任謙作』を完成させるためだった。
しかし、直哉の自伝的な構想だった『時任謙作』は、書いても書いてもおもうようにならず、半年ほど滞在して、東京に帰ることになる。
執筆本位にいえば、失敗だった。
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しかし、尾道の滞在は、そのときは苦しんだものの、のちに「清兵衛と瓢箪」や「児を盗む話」という短編小説に実を結ぶ。
(「児を盗む話」は、評論家の話題にのぼることが少ないが、尾道へやってきた孤独な青年が、話す相手もなく次第に神経を病んでいく…という「奇妙な味の小説」。結末がちょっと怖い)
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そして、書きあぐんだ『時任謙作』は、『暗夜行路』とタイトルをかえて、それから26年後、奈良の「志賀直哉旧居」で完成された。
『暗夜行路』に、尾道の体験が描写されている。
景色はいい処だった。寝ころんでいて色々な物が見えた。前の島に造船所がある。そこで朝からカンカーンと鉄槌(かなづち)を響かせている。同じ島の左手の山の中腹に石切り場があって、松林の中で石切人足(いしきりにんそく)が絶えず唄を歌いながら石を切りだしている。その声は市の遥か高い処を通って直接彼のいる処に聴えて来た。
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夕方、伸び伸びした心持ちで、狭い濡縁(ぬれえん)へ腰かけていると、下の方の商家の屋根の物干しで、沈みかけた太陽の方を向いて子供が棍棒を振っているのが小さく見える。その上を白い鳩が五六羽忙(せわ)しそうに飛び廻っている。そして陽を受けた羽根が桃色にキラキラと光る。
六時になると上の千光寺で刻(とき)の鐘をつく。ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。
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滞在期間は半年でも、志賀直哉にとって、尾道は重要な地であり、描かれた尾道は、風景描写の名文のひとつとされている。
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「千光寺と坂の街と志賀直哉旧居」(toriyamaさんの動画)。2分45秒。
www.youtube.com