以下の内容はhttps://bassa2015.hatenablog.com/entry/nowinterより取得しました。


【情報求ム】光が丘の小学校にはなぜ冬がないのか

いい時代になった。

日常の些細な疑問もインターネットで検索すれば大概出てくるもので、これで「サイゼリヤ」と「サイゼリア」のどちらが正しいかもう迷うことはない。

逆に、解決しなかった疑問は際立って印象に残るもので、自分にとってそれは「光が丘の小学校にはなぜ冬がないのか」という謎に他ならない。

 

練馬に「光が丘春の風小学校」という一風変わった名前の学校があるのを知ったのはいつの日だったか。初めて見たときはなんかおしゃれだなーと感心していた。

春があれば、じゃあ夏はどうなんだと気になるのが、好奇心の使いどころというもので、実際に調べてみると「夏の雲小学校」というのも存在した。それどころか「秋の陽小学校」というのもあるではないか。

 

ははーん。これは春夏秋冬なんだな。

ラノベのヒロインみたいな名前の付け方をしよって、と練馬区の小学校一覧のページをスクロールしていたが、不思議なことに気づく。

あれ、冬は?

冬がないのだ。

 

春・夏・秋と来れば、その次に冬が来てもおかしくはないはずだ。

本来あるべきものがない気がして、とても違和感を覚える。

みかんのないこたつ、具のないグラタンコロッケバーガー石川さゆりのいない紅白歌合戦……

そんな光景が頭の中に現れては消える。

 

なぜ、光が丘の小学校には冬がないのか。

すぐさまインターネットで調べるも、理由は不明。同じ疑問を持った人は見つかれど、まったく答えの手掛かりはなく、頭の片隅にモヤモヤが残る結果となった。

 

だからといってふいに答えが降ってくるわけでもなく、なんとなく気になっているうちに時間だけが過ぎていくのであった。

 

光が丘を歩く

そこから何年かして、実際に光が丘に行く機会があった。

光が丘は東京都の練馬区板橋区の一部にまたがるエリアで、東京ドーム40個分の一大都市だという。

東京に住んでいる人は都営大江戸線の終着駅として名前を見たことがある人も多いだろうが、日本全国に知れ渡っている地名かというと、光が丘の住民には悪いがそこまでではないような気がする。

しかしながら、歩いてみると唯一無二の個性があり、かつ住みやすそうな街であることがわかった。これはまじで。

まず圧倒されたのは光が丘公園の木々の多さだ。

この公園がとにかく広くて、調べたところ上野公園や代々木公園よりも面積が広いという。バーベキュー施設やテニスコートもあるので、新宿から電車で20分弱で行けるのにも関わらず、休日に歩いてレジャーに繰り出せるという好立地だ。

うらやましい限りである。

実際に住んでみるとなかなか違うのかもしれないが、ファーストインプレッションはだいぶ好印象だ。

 

次に驚いたのはおびただしい数の団地の群れ(としか表現しようがないものたち)である。

地理院地図より

地図を見るとわかりやすいが、光が丘は公園と団地がそのほとんどを占める。明らかに学校の建物と同じ大きさの建造物が至る所にひしめき合っているのが分かるだろうか。

 

実際に見るとこんな感じ。

少し入り込むと、あたり一帯が団地しか見えなくなる。めまいがしそうなほどの世帯数にただただ茫然と立ち尽くすしか手はない。

賃貸戸数12,000戸、都区内最大級の団地群の名は伊達じゃないぜ。

 

余談だが、光が丘は映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』のロケ地でもあるそうで。

何も考えずに歩いていると、こんな景色にばったり出くわすことになる。

このアングル、なんか見たことがある気がするな。

「事件は会議室で起きてるんじゃない!」のまさに現場。テンション上がってきた。

 

もろもろ探索をしていると、光が丘の公園ガイドがあった。ありがたい。

注目してほしいのがこれだ。

 

「四季の香小学校」だと……?

なるほど、小学校の名前に「冬」は寒々しい感じがして不適切だから、「四季」にでもしたのか、と早合点しそうになったが、この説は早々に自分の手で却下された。

 

四季の香小学校の命名理由を調べてるうちにたどり着いた練馬区議会の議事録に、驚くべき事実が書かれていたのであった。

議事録は平成22年4月に新たに開校する4校の小学校の学校名が決定したので報告するものだが、この4校は元々あった小学校が再編してできたものだというのだ。

内訳はこの通り。

なるほど。第一小学校と第二小学校が合併して「四季」になるのなら、これは秋のあとの順番にある学校ではなく、春の前の順番にある学校であるようにも思われる。

また、議事録にはそれぞれの校名は近隣にある公園の名前から付けたとも書かれていた。

公園、たしかにあったぞ。


そうか、これは「光が丘の小学校にはなぜ冬がないのか」ではなくて、「光が丘の公園にはなぜ冬がないのか」という謎だったのか。ヒントは公園にある。

それにしても光が丘、小学校多いな。

 

公園に行こう!

実際に公園に行けばなにか分かるかもしれない。

そんな安直な考えで私は公園へと向かった。まずは「春の風公園」だ。

というのは嘘でルートの都合上、ぜんぜん違う順番だったのだが、各公園の目印になった看板がある。

めちゃくちゃに土にまみれているが、よく読むとこう書いてある。

春といえば、そう、お花見。この公園にはサクラがたくさん。春の風に花びらが舞い、風車が回り、心もおどる……

案内看板、にしてはちょっとポエティックなような。

なるほど、名前にちなんで季節ごとの特色を生かした公園づくりをしているというわけだ。春はお花見、いいじゃないか。

 

次は夏。公園の入り口に立派な石碑があった。

この類のものは見つけたり見つけられなかったりしていたのだが、総じて子供が自転車を停めてサドルの上でおしゃべりをしていたりすることが多く、写真としてはコンプしきれてない。

無論、それが本来の公園の使い方ってもんなので、以降はあるべき箇所に写真がなくても許してほしい。(ただの言い訳)

夏の雲公園にも看板があった。そこにはこう書いてある。

まっ青な空にまぶしく湧き立つ入道雲。飛び散る汗も気にならない、夏はぼくたちのもの。

まるで地元出身の絵本作家が書いたかのような、魂のこもった文である。「ぼくたちのもの」はこの熱量にさすがにこちらも照れてしまう。

自分が公園を作る担当者なら春夏秋冬の公園にそれぞれ季節の木や花を植えて終わりにするところだが、夏だからひまわりとかアサガオではなく、アスレチックを置くという発想がすごい。

どことなく長編映画が始まる予感すらする。

庵野監督!光が丘をモチーフに撮るなら、春・夏・秋の3部作と「四季」で4本は行けますよ!

 

つづいて秋の陽公園。

田んぼに水車、そして雑木林。なつかしい武蔵野の風景が、もうすぐよみがえる……

急にノスタルジックを煽ってくる。

さっきまでの元気はどこへ行ったのか。

公園内にはたしかに田んぼがある。

これで「なつかしい武蔵野の風景が、もうすぐよみがえる」というのは、誇大表現に思えるが、まぁいいだろう。

ここまでは季節ごとに異なるストーリーが浮かんでくる。

 

そして四季の香公園

わが家にまちに、みどりを育て、楽しもう。珍しい木や草、きれいな花たちに出会えるよ。

うーん。なんかテイストが違うかも。

子どもの頃の破天荒な友人と同窓会で再会したら公務員になっていたような、そんな思いがけないよそよそしさを感じる。

おまえに教えてもらったあのバンド、おれはずっと聞き続けてるんだぜ。的な。

四季の香公園にはローズガーデンがあり、たくさんの人で賑わっていた。過去には温室植物園もあったという。

明らかに冬ではないな。やはり、この疑問を解き明かすのは難しかったのか。

 

集まるヒントらしきものたち

また地図があった。とにかく光が丘には地図が多い。

探してるから見つけているだけなのかもしれないが、体感として多く感じる。

地図をもとに探索を進めると、春夏秋以外にも小規模な公園や橋に季節にちなんだ名前がついていることが分かる。

「ひまわり橋」「月見大橋」「あかねぐも公園」

これは何かのヒントになりうるだろうか。

 

図書館にも行ってみる。郷土資料のコーナーに行けばある程度何かが分かるだろうという魂胆である。

ざっくりダイジェストで説明すると、郷土資料には、戦時中に成増飛行場があった場所に、戦後は米軍の宿舎が建ち、返還された土地にできたのがこの光が丘だということが書いてあった。

では、返還された土地に街づくりを行った住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)の資料を見れば何か分かるかもしれないということで、次にこのあたりの資料を調べてみる。

光が丘の開発計画自体は「グラントハイツ跡地開発計画(1978)」として策定されているが、街区内の緑化計画について書かれた資料*1も見つけることが出来た。

 

そこにはこのような記載があった。

毎日の暮らしの中でグリーンウォッチングが楽しめる街――「わが街は植物園」それが光が丘パークタウンの緑化計画コンセプトとなっている。

 

また、「四季をテーマとする公園緑地の拠点づくり」としてゾーニングについても記載があった。

(前略)地区全体の公園緑地を,A 光が丘公園,B ゆりの木通り,C 四季の香公園,D 春の風公園,E 夏の雲公園,F 秋の陽公園にゾーニングし,緑道,広場,歩道橋,コミュニティ道路などのシステムとあわせ,歩車道分離の公園緑地ネットワークを完成している。

奥貫隆「花と緑の住宅地開発 光が丘パークタウン――わが街は植物園構想」『新都市』43巻2号,1989年,p35より引用

つまり、光が丘の公園群は「わが街は植物園」構想に基づき配置されたものであり、緑化を目的とするものとして「冬」エリアは構想から外れていた、ということなのではないか。

前提として、四季がテーマであれば冬がないのはおかしいが、あくまで緑化計画の中に四季のエッセンスを組み込んだということであれば、納得がつく。

 

……納得がつくのか?

 

いや、やっぱり冬がないのは気になる。

実はどこかに冬があるんじゃないのか。

 

奥貫隆「花と緑の住宅地開発 光が丘パークタウン――わが街は植物園構想」『新都市』43巻2号,1989年,p35より引用

と再び資料を見つめていると、怪しいエリアがあることに気づく。

光が丘を外周に沿って南西から順に周ると「春の風公園ゾーン」「夏の風公園ゾーン」「秋の陽公園ゾーン」の次に「ゆりの木通りゾーン」というのがあるじゃないか。

もちろん「ゆりの木通りゾーン」にも公園(近隣公園)がある。とりあえず行ってみよう。

 

光が丘に冬来たる?

ゆりの木通りを目指す道中に「光が丘第八小学校」の標識を見つけた。

第一から第七の小学校はすべて再編されてなくなってしまっているが、これから向かうゆりの木通りのエリアには第八小学校が残っていたのだ。

 

ゆりの木通りエリアに到着。

イルミネーションもクリスマスツリーもなく、特にこれと言って冬の気配はしない。

この木が何の木だったかは記憶が定かではないが、ゆりの木の見頃は5月から6月ごろらしい。あれ、冬の植物じゃないんだ。

どうも雲行きが怪しいぞ。

 

地図を見つけた。

光が丘第八小学校の斜め向かいにも小学校があるのに、どうしてここは再編されなかったのだろうか。

そして気になるのは、ゆりの木通りエリアは練馬区板橋区の区境にあるということだ。

 

すべてのピースが揃ったかもしれない……

ここである仮説が浮かんでくる。

 

区を越えた練馬区側と板橋区側では名づけのルールが違うのではないか。

事実、光が丘の公園のまわりには小学校が2つずつ配置されていたのに対して、「練馬区立光が丘第八小学校」の斜め向かいにあるのは「板橋区赤塚新町小学校」である。

練馬区のルールでいえば、本来ここは光が丘第九小学校になるのではないのか。

 

そして、板橋区側にある公園(近隣公園)の名前はこうだ。

板橋区赤塚新町公園!!

ぜんぜん四季じゃない。

これはもうただの妄想に過ぎないのだが、ひとつの説が出来てしまったのでいちおう聞いてほしい。

ゆりの木通りエリアや赤塚新町公園は元々「冬エリア」として想定されていたのではないか。そして、ほかの公園と区が違うために名前が揃わなかったのではないか。

どうだろうか。

 

まったく根拠のないオチになってしまって申し訳ないが、物語として楽しむならこういう結末が楽しいだろう。

ただ、それを断定できる情報は全くないので、もし経緯を知っていたら誰か教えてほしい。

自分で調べても、検索エンジンやAIに聞いても分からないことを、人に聞くと解決するということは往々にしてあるかと思うので、最後はそこに希望をかけたい。

 

結論

・光が丘の小学校に冬がないのは、再編時にそれぞれ近隣の公園の名前を付けたから。

・光が丘の公園には「春」「夏」「秋」はあるが、「冬」はない。「四季」はある。

・光が丘の公園群は「わが街は植物園」構想に基づき配置されたもので、エリアは「光が丘公園ゾーン」「四季の香公園ゾーン」「春の風公園ゾーン」「夏の風公園ゾーン」「秋の陽公園ゾーン」「ゆりの木通りゾーン」の6つにゾーニングされている。

・それぞれのゾーンには公園が配置されているが、板橋区にある「赤塚新町公園」だけゾーンと公園の名称が一致していない。

・その理由は不明。ゾーンに冬が設定されていない理由も不明。ただし、「わが街は植物園」構想は緑化を目的としたものであるから、そのために冬が入っていない可能性が考えられる。

 

長々と書いたのにまったく気持ちのいい結論にはならなかった。

わざわざ文章にする必要もない気もするが、こうしてインターネットの片隅に残しておくことで、ふと気になった誰かのモヤモヤを減らすことにつながればと思ってここに記すことにした次第である。(これがモヤモヤを増やす結果につながるかもしれないが)

 

ということで、「光が丘の小学校にはなぜ冬がないのか」は結論が出ませんでした。

もし何か知っている方がいたら、ぜひコメントやX(@denshamachi)等で教えてください。

 

もしくは練馬区長に立候補をお考えの皆さん。「冬の星公園」を建てるなら今がチャンスですよ。

*1:奥貫隆「花と緑の住宅地開発 光が丘パークタウン――わが街は植物園構想」『新都市』43巻2号,1989年,p34-41.




以上の内容はhttps://bassa2015.hatenablog.com/entry/nowinterより取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14