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ニッカ余市の蒸留器誕生の地を訪ね 2

検索、検索、自転車、自転車、
時は地獄の季節に変わった。
全く解らない、
ニッカの蒸留器が大阪は港区で作られたと言う事実、
その私の前に大きな壁が立ちはだかる。


戦争・・・
そう1945年 3月13日 14日、
大阪大空襲、最も被害を受けたのが、
その港区だった。
戦前は大阪で最も人口の多い町が、
改めて空襲直後の画像を何枚も見たが、
何も無い、
全くと言って良いほど何も無いのだ。


こんな町をどうやって再建したと言うのだ。
父や母達に、桁外れの底力を感じた。
おのずと頭が下がり、
感謝せずにはいられない、


しかしどこにあったのだ。
その鉄工所は、
いや、本当にあったのか、
名簿のようなものは無いか、
これはどうだ。


港区にある「三社神社」

石柵、玉垣だったか、
これがある。

全て調べたが無い、

ここにも無い、

無い・・・


しかしこの神社にかなり近い名前の会社を見つけた。
製作所・・・
直接聞きにいこうかな・・・
気味悪がられるだろうな・・・
寒いなあ・・・




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