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ジークアクス感想

めちゃくちゃだったけど、なんか好きな作品だったな。

11話の最後なんて、シャアが赤いガンダムコクピットに乗る→マチュが追いかけてコクピットの前へ→ガンダムが発進!なぜかマチュは安全な位置まで離れている、というシーンが繋がらないというアニメとしてあるまじき事をやっていた。

他にも、毒ケーキの話では、車のシーン→格納庫のシーン→車のシーン→ホテルの前のシーン→格納庫のシーンってなんじゃそりゃ~。「ケーキ美味しかったですか?」でエグザべ君が車のドア閉めるのって、エグザべ君は答えたけど視聴者をミスリードするためだけにカットしたってこと? 完成した後「これじゃわかり易すぎる」と時系列をバラバラにした『2001年宇宙の旅』のキューブリックかよ。しかもその後、同期殺されたのに窓でけーって言ってるエグザべ君どういう心情。

でも、最終話で明かされた「守られるだけの存在に価値はない」というテーゼ、これは珍しくて面白い。

守ることを主題にした作品は数多い。今ふと浮かんだのは『銀魂』。

でもその反対のジークアクスのテーマは、危うさを含んでいる。マチズモだし、リバタニズムだ。

でも、ここまで徹底的にガンダムというIPを守らなかったジークアクスだから説得力がある。

このラインで振り返ってみると、ジークアクスで負けるのはいつも守る/守られる側だ。

弱すぎてがっかりしたサイコガンダムに乗るドゥー・ムラサメは守られていたし、シイコは家族のいる生活も守ろうとしていた。

逆に「守る」の対極である、他人を盾にしたり、攻撃的になる行為をしたニャアンはすべてを手に入れた。

一貫してたと言えるんじゃないでしょうか。

ジークアクスにおいて、ガンダムとは何なのだろう、というのを映画館で見たときからずっと考えていた。ジークアクスが2025年の日本を描こうとしているのは明確だ。この現在の日本において、手に入れてすぐにキラキラを味わえるもの、というと僕はスマホ(あるいはSNSの承認)しか思い浮かばなかった。

ちょうど、マチュはスマホにヒビが入ったことによって、ガンダムを手に入れる。

シュウジは空っぽさはインフルエンサーあるあるなのかな。マチュのクラスメイトがオンラインカジノの話をしていたのも印象的だ。

そういった、現代の若者の価値観に警鐘を鳴らすのではなく、ニュータイプとして認めたジークアクスは面白い観点だと思う。

ニュータイプといえど、結局は戦ってしまう」というのを「自由のために戦えるのがニュータイプ」と読み替えたことはどんな意味を持つのだろう。僕は「ニュータイプ」を単純に新世代のメタファーだと思っているけど、今の若い人たちに「自由のために戦える」印象はあるだろうか。うーん、あるようなないような。まぁどっちにしろ富野監督は戦いを肯定してる時点で絶対怒るだろうけど。制作はウクライナ侵攻前からだろうから、戦争がリアリティ無かった時代の最後の作品かも。

他作品の視聴の前提や、SNSでのバズりを狙ったかのような設定の羅列は、作品単体として評価できないという声もある。バスク・オムとかなんだったの。

現に一緒に見ていた妻は、サイコガンダムが他のMSより大きいことに気づいていなかった。普通サイズのMSと並ぶシーンがないからだ。多くの視聴者は事前知識としてサイコガンダムは大きいと知っているから、そう思って見ているだけだ。

なのでこれは一理あるが、マーベル映画が映画じゃないと言われてアカデミー賞取れないのと同じで、誰かが考える映画の定義に外れていても、面白けりゃいいんじゃないの。

そういうカテゴリが曖昧なところから、新しいものが生まれるかもしれないからさ。

まるで倍速視聴しているようなスピードで情報量を口に詰め込まれる感覚は新鮮だった。最近の実写映画だと結構そういうのはある(エブエブとか)し、マンガもジャンプ+の連載作品なんか1コマだって無駄にしてない。カートゥーンアニメは10分で物語を見せてくれる。それに比べると日本のアニメはかったるい。1秒も退屈させない工夫がある、とは言えない。ジークアクスは尺が足りないのではなく、高速で話を展開させるノウハウが日本のアニメに蓄積されていないのかなと思った。

僕はジークアクスくらいの情報密度のアニメをもっと見たいぞー。




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