今回は、数年前から帽子屋の推し辞書として紹介している『例解新国語辞典』を取り上げます。最近の版は、箱のデザインが2種類(通常版とポップ版)あります。
中学生以降を対象にしたこの辞書、序文は「とびらのことば」と題され、珍しいことに詩のような体裁になっています。このスタイルは初版から変わっていません。
最新の第十一版については、オンライン版(ことまな+)でも見ることができますが、できるなら書籍版で見ることをおすすめします*1。
データ
最新版:第十一版(2024年12月刊)。
発行元:三省堂
媒体:書籍、ことまな+
第十一版の「とびらのことば」
この辞書で、
こんなことを考えながら
ことばを使いこなす
力を高めてください。
第十一版の「とびらのことば」はこんな四行で始まります。
一般的な辞書の序文/まえがきでは、編集方針や編纂者の思いを語るのが定番ですが、この辞書は開くとすぐ、利用者つまり中学生を中心とする青少年に向けたメッセージになっています。そのうえで
ふだん何気なく使っていることばを、あらためてひとつひとつ
丁寧に眺めてみると、いままで気がつかなかった多くの発見が
あります。
と、平易な言葉で辞書の役割がつづられ、
たくさんのことばの中から、
どのことばを選んで、どう組み合わせるのか、
無限の可能性が豊かな表現力を生み出します。
言葉がもつ"無限"の力に触れていてなかなか素敵ですが、ここに「類義語」のことと「コロケーション」のこともさりげなく含まれている点が高ポイントです。
目や耳に入ってくることばのすがたを深く丁寧に探っていき、
その先にある広大なことばの世界を見渡すことができれば、
もっともっと上手にことばを使えるようになるはずです。
これが肝心の中学生に届いているのかどうかは、はなはだしく心もとないのですが、少なくともわたしたち翻訳者には深く響きます。わたしたちは日々、「ことばのすがたを深く丁寧に探り」ながら「もっともっと上手にことばを使えるように」なりたいと願っているからです。
そして、この辞書はかなりの頻度で、その願いに応えてくれます。
第八~第十版の「とびらのことば」
さて、わたしの手元にはいま最新第十一版のほかに
初版
第八版
第九版
第十版
があります。「とびらのことば」はスタイルこそ初版から同じなのですが、内容はもちろんいろいろと変わっています(第二版から第七版までがどうなっているのかが気になります。目下、順次買いそろえているところなので、そろいしだい更新します)。
まず、冒頭は直前の第十版までこうでした。
この辞書で、
こんなことを考えながら
ことばの力を高めてください。
つまり、「ことばの力」だったのが「ことばを使いこなす力」に変わっています。第十版が2021年刊行、第十一版が2024年刊行(わずか3年!)。この間に、この辞書を編んだ方々の願いが「ことばをしっかり使いこなしてほしい」に変わったのかもしれません。なんとなくわかる気がします。
もっとおもしろいのが、中盤にあるこの連です。
男女によって違うことば
年齢によって違うことば
相手や場面によって違うことば
地方によって違うことば
(第八版~第十版まで同じ。太字は引用者)
これが、第十一版ではこうなりました。
相手によって違うことば
年齢によって違うことば
場面によって違うことば
地方によって違うこと
(太字は引用者)
「男女」だった箇所が「相手」になっています(あわせて3行目の「相手」がなくなっている)。理由はもちろん、世の中の流れとそれに伴う辞書界の変化から容易に理解できます。ぬかりありませんね。
そして、
ふだんわたしたちは、たくさんの書きことばや
話しことばに出会っています。
として列挙される媒体の推移にも注目したいところです。
教科書、雑誌、新聞、小説、エッセイ、
漫画、テレビ、ラジオ……
(第八版、第九版)
これが、第十版ではこう変わります。
教科書、ウェブサイト、雑誌、新聞、
小説、エッセイ、
漫画、テレビ、ラジオ……
中学生が日ごろ目にする媒体の順……ではなさそうですが、「ウェブサイト」が入りました。ただ、第八版は2012年、第九版は2016年なので、これに関してはちょっと対応が遅かったのでは? と思わないでもありません。
さらに、第十一版ではこうなりました。
教科書、雑誌、新聞、
入門書、ノンフィクション、小説、エッセイ、
漫画、テレビ、ラジオ、インターネット……
いきなり細かくなっています。「インターネット」になったのは、おそらく「ウェブサイト」以上にSNSなどの存在が大きくなったという理由でしょう。でも、「ノンフィクション」が加わった理由はよくわかりません。 中学生がノンフィクションをよく読むという調査結果でもあったのでしょうか?
初版の「とびらのことば」
さて、同じスタイルではありますが、初版までさかのぼると「とびらのことば」の様子はだいぶ違います。ちなみに、刊行は1984年です。
ことば
ひとつのことば、
このことばを使って
どんなことがいえるだろう
どんなことばとくむと
力が出てくるだろう
ほかのことばでも
言い表せるだろうか
最近の版よりもさらに詩的ですが、内容はしっかり実用的です。字下げした三連では、一連目で語義のこと、二連目でコロケーションのこと、三連目で類語語のことに触れています。
これに続く箇所も素敵です。
ことばは、使うためにあります
聞いたことば、
読んだことば、
出会ったことば、
それは、どう使われていたのか
こんどは、自分が、それをどう使おうか
この2か所がどちらも辞書の使い方について「受信」と「発信」の両方を表していることに注目してください。
また、最近の版ではなくなってしまった、編纂者たちの思いも述べられていました。
この辞書をつくりながら、
つくるわたしたちが、まず、
日本語を
見つけよう、見つけようとしました
あなたは、前から日本語を知っています
でも、ことばの味わいは、いくらでもあります
もっと、もっと、日本語を見つけましょう
「見つけよう、見つけようとしました」「もっと、もっと、日本語を見つけましょう」
胸の熱くなるひと言です(つい多めに引用してしまったのはそのせいです。なにとぞご容赦ください)。
見つけよう
翻訳者に限らず、言葉を扱う仕事の人間は、いつもこの思いに突き動かされているのでしょう。検索ボックスに何か入力して返ってくる結果を見るのとは明らかに違う心と脳の動きが、そこにはありそうな気がします。
おまけ―「例解新」の「れんあい」
「男女」が「相手」になったような配慮が、辞書本文にも現れていることは言うまでもありません。よくネタになる「れんあい」の項目を並べてみます。
男女がたがいに相手をすきになり、いつもいっしょにいたいと思うこと。|類| 恋。
(初版)
男女がたがいに、または一方が、相手をすきになり、いつもいっしょにいたいと思うような気持ちになること。|類| 恋。
(第八版)※第九版では「たがい」が「おたがい」に。
どの版でこの記述になったのか不明ですが、「または一方が」というのが、なんとも切ないです。
好きな人と、恋をしたり、愛し合ったりすること。|類| ロマンス。
(第十版、第十一版)
ここで「男女」という記述が消えました。ついでに、類義語欄は「ロマンス」になりました。語釈に「恋」を使ってしまったせいでしょう……。
でも、いまどきの中学生って「れんあい」を辞書で引いたりしないですよね、きっと^^;
*1:「ことまな+」を見られる人なら、書籍版を持っているはずなので。