ひとつ前の記事では、「リーダーズ」シリーズの「まえがき」を紹介しつつ、ついでに「初版」、「プラス」、「第2版」、「第3版」、(おまけとして)「非売品プラス」の発行年と内容についても簡単に触れておきました。
実際にその内容がどう変わってきているのか、ふたつの例で見てみることにします。
ひとつ目は、前回のスクリーンショットにも見えていた hack とその関連語 hacker です。「ハッカー」については、『非売品 リーダーズプラス』(1984年)の「まえがき」で
今回は特に「押韻俗語」と「ハッカーの俗語」を大幅に採り入れた.(中略)「ハッカー」(hacker)というのはコンピューターを使うのがうれしくてたまらない人のことであるが,この人たちの俗語には独特の想像力がみられる.
と語られていたことを前回ご紹介しました。
hackとhacker―単語の歴史
『リーダーズ 初版』(1984年)には、まだ動詞 hack (ここで扱っている意味の)は載っていません。hacker のほうが載っています*1。
hacker
―n. ハッカー 《(1) 主に楽しみとしてコンピューターシステムに取り組んでその機能を最大限に引き出そうとする人, それができる人 (2) 他人のシステムに侵入する人》. 【R1】
まだ、"悪くないほうの意味" が先に書かれています。
そして、動詞 hack が初めて登場するのが、ハッカー俗語に目をつけた『非売品 リーダーズプラス』(1984年)です。
hack1〔ハッカー〕 n.(一応用は足りる)急ごしらえのもの;申し分のないできのもの;うまいやり方:みごとないたずら.―vt., vi. 機能するようにまとめ上げる〈together〉;コンピューターをやる,〈プログラム〉に取り組む,好んでやる,ハックする;...にいたずらをする;時間をむだにする.Hack,hack.〔ハッカー〕じゃまた;やあ.hack up 急いでこしらえる;(なんとかするために)〈...に〉 取り組む 〈on〉.Happy hacking〔ハッカー〕さよなら。How's hacking?〔ハッカー〕やあ、どうしてる。
(斜体と太字は原文ママ。以下同)
(用例部分は、わかりやすいように「~」の部分に単語を充当)
まだ記述が荒削りな印象はあるものの、コロケーション情報なども盛り込まれています。ただし、ここではまだ "悪くないほうの意味" だけなので、コンピューターなどに「侵入する」意味は出てきていません。これが、10年後の正式版『リーダーズ・プラス 』(1994年)でこうなります。
―vt.
2《口》〈コンピューターシステムなど〉に侵入する.
3《ハッカー》 a 機能するようにまとめ上げる 〈together〉; 〈プログラム〉に取り組む; 〈ずさんなプログラムを〉でっちあげる, 作る.
b …にいたずらをする.
―vi.
2《口》 コンピューターやプログラミングに一心不乱に取り組む; ずさんなプログラムを(適当に)作る[でっちあげる]; コンピューターシステムに侵入する〈into〉.
Hack, hack. 《ハッカー》 じゃまた; やあ.
hack up 急いでこしらえる; (なんとかするために)〈…に〉取り組む 〈on〉.
Happy hacking. 《ハッカー》 さよなら.
How's hacking? 《ハッカー》 やあ, どうしてる? 【プラス】
自動詞と他動詞に分類され、"悪いほうの意味" がトップに立ちました。自動詞で「侵入する」の場合に〈into〉をとるというコロケーション情報も加わり、だいぶ詳細になっています。
『リーダーズ 第2版』(1999年)には、『ブラス』の意味がちゃんと採用されました。
―vt
3《口》〈コンピューターシステムなど〉に侵入する; 〈プログラム〉に取り組む; 〈ずさんなプログラムを〉でっちあげる, 作る.
―vi
4《口》コンピューターやプログラミングに一心不乱に取り組む; ずさんなプログラムを(適当に)作る[でっちあげる]; コンピューターシステムに侵入する〈into〉. 【R2】
ところが、『プラス』にあった "Happy hacking." や "How's hacking?" という用例はなくなってしまいました。これは続く『リーダーズ 第3版』(2012年)でも踏襲されており、
vt.
4〈コンピューターシステムなど〉に侵入する;〈プログラム〉に取り組む;〈ずさんなプログラムを〉でっちあげる,作る.
vi.
4 コンピューターやプログラミングに一心不乱に取り組む;ずさんなプログラムを(適当に)作る[でっちあげる];コンピューターシステムに侵入する〈into〉.【R3】
語義区分などを除いて記述は変わっていません*2。つまり、『プラス』に載っていた用例は、『プラス』でしか確認できないということになります。
"Happy hacking." などの用例がなくなったのは、さすがに「ハッカー俗語」すぎて最近ではあまり聞かれなくなったから、なのかもしれません。でも、『プラス』に残されたこの用例を知らなかったら、翻訳者のなかでも愛用者の多いこのキーボードの名称の意味がわかりにくくなりそうです。
この記事のなかに「「HHKB」という名前に込められた想い!」というトピックがあり、そこに "Happy hacking" の意味が書かれています。
過去の辞書をこんな風にたどっていくて、こういう発見もあったりするわけです。リーダーズを引くときは、『プラス』の項目にもぜひ目を通してみてください。
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Eastwood―固有名詞をめぐる楽しい記述
もうひとつ、著名人の人名を取り上げます。誰でも知っている Clint Eastwood です。
初版には載っておらず、やはり『非売品 リーダーズプラス』(1984年)で立項されました。
イーストウッド Clint ~(1930- )《米国の俳優;テレビ俳優を経て,マカロニウェスタンのヒーローとして人気を獲得後,Hollywoodに戻り,現在はアクション英語のスターへ;まぶしそうに細めた目(squint)がトレードマーク;A Fistful of Dollars(荒野の用心棒,1964年),Dirty Harry》
(赤字は引用者)
この赤字部分が、いかにも「豆知識」っぽい感じじゃありません? 辞書を読んでいてこういう記述があると、この項目を書いた
執筆者の楽しそうな顔
が浮かんでくるようで、こちらも楽しくなってきます。正式な『リーダーズ・プラス』(1994年)になると、さらに充実してきます。
イーストウッド Clint Eastwood(1930‐ )《米国の映画俳優・制作者・監督; 陸軍除隊後, Los Angeles City College で学び, 俳優となる; テレビシリーズ `Rawhide' に出演したのち, マカロニウェスタン(spaghetti western)ブームのきっかけとなった Sergio Leone 監督のイタリア映画 A Fistful of Dollars(荒野の用心棒, 1964)その他の成功でスターとなり, 米国へ帰って Malpaso Productions を設立し, Dirty Harry(ダーティ・ハリー, 1971)のあと Play Misty for Me(恐怖のメロディ, 1971)で監督を兼ねる; その後, Honkytonk Man(センチメンタル・アドベンチャー, 1982), Pale Rider(ペール・ライダー, 1985), Unforgiven(許されざる者, 1992, アカデミー作品賞・監督賞)などを制作・監督・主演; 1986‐88 年 California 州 Carmel 市市長をつとめた; まぶしそうに細めた目(squint)に特徴がある》.
Encyclopedic Supplement(前記事を参照)という英語名称にふさわしい充実ぶり。そして、豆知識ポイントだった「まぶしそうに細めた目」は健在です!
これが、R2、R3では、スペースの関係もあったのでしょうが、まったくつまらない"語義"になってしまいました。
イーストウッド Clint(on) ~ Jr. (1930- ) 《米国の映画俳優・制作者・監督》.
もちろん、クリント・イーストウッドほどの著名人なら、今ではちょっとネット検索すればいくらでも情報は得られます。でも、
まぶしそうに細めた目(squint)がトレードマーク
などという愉快な記述にはそうそう出くわさないのではないでしょうか? 実際にどんな表情なのか――もしご存じなければ――、こちらをどうぞ。
これも、ネット検索では得られない、
辞書ならではの楽しみ
のひとつです。こういう例はいくらでもありそう。『リーダーズ・ブラス』の価値は今なお高いと断言できます。
ちなみに、マカロニウェスタン*3時代の名作『荒野の用心棒』の原題が A Fistful of Dollars であることも『プラス』でわかります。その続編である『夕陽のガンマン』は、邦題だとつながりがわかりませんが、原題は For a Few Dollars More。しゃれてます。