前回の記事、
のなかで、「#翻訳者になるまでにどんな勉強をどのくらいの期間やったか」を詳しく書く代わりに、過去記事へのリンクを張りました。が、いま見たら冒頭が重複していました。たぶんココログで冒頭の箇所と「続きを読む」の範囲がうまくいってないようです。なので、少し編集を加えてこちらに再掲することにしました。
なにしろ、いまの自分をつくった大切な製造工程についての記事なので。
----------ここから転載引用。太字の指定は今回----------
はじめにお断りしておきます。
英語の恩師のことを書こうとしています。もしその内容が identification の手がかりになってしまった場合は、関係各位にご寛恕を請うばかりです。なお、恩師は十数年前に鬼籍に入っています。
私が恩師の英語指導を受け始めたのは、小学校5年の終わりくらいでした。近所の農家の、たぶん末っ子だった方で、その当時は上智の外国語学部(ロシア語)を卒業し、2年間ほどの留学を経てさらに東京外国語大学の英米語学科に入学し直してまた学生をやっていた頃でした。
週2回、各2時間というスケジュールで通い始めましたが、私のほかは恩師の親戚の子たち――私より数年年長――だけでした。いっときは、私ひとりだけだった時期もあったので、いま思えば何ともぜいたくな準個人指導だったわけです。1回あたりの授業時間も、しばらくすると恩師の気分でいくらでも延びるようになり、何年かのちには毎回5、6時間以上が当たり前という状態になっていました。
いまでもPCに座っていくらでも英文に向かっていられるのは、もしかしたら、このとき身についた体力のおかげかもしれません^^
余談ですけど、それだけ長時間になってくると、家の方がおやつや夜食を出してくれるようになって、「フレンチトースト」なるものを初めて食べたのも、たぶんそのときです。アイスクリーム添えでした。
次回の範囲を読んだうえで新出単語をすべて調べておくというのが、各回の予習課題で、最初からいきなり
研究社の『新英和中辞典』
を与えられました(時期からいって第3版です)。表紙がとれて補修するくらいまで使い込んで、いまもどこかに保管してあります。「単語を引いたら、引くたびに赤鉛筆でチェックを付けておいて」と言われたので、基本単語などは、それこそ何十個もチェックマークが付いています。
授業は、「あと追い読み」とその訳出を中心に進み(生徒が複数のときは輪読方式)、その合間に単語や文法の解説、発音指導などが入るという形式でしたが、文法解説にはいきなり高校並みの文法用語を使い、発音指導にも最初から発音記号を導入するという「容赦のなさ」が恩師のスタイルでした(もしかすると、当時は、相手に合わせて加減するということを知らなかっただけかもしれませんが)。
中学生用の標準教科書の1学年分を2か月ほどで消化するというペースだったので、半年くらいで中学3年までの範囲が終わります。そうすると、次は別の出版社の教科書3学年分を終わらせます。そんなコースを3~4社分繰り返し、その間にもL.A Hillなどの教材を副読本にして、とにかく「英語をたくさん読ま」せてくれました。
中学生の課程が終わると、次は高校用の教科書を同じように数社分総ナメします(CROWNをはじめ、めぼしい高校用教科書は、このとき全部こなしたことになります)。それがおおよそ終わったのが、中学2年の頃。
そのタイミングで英検2級を受け、合格。いまでは、2級なんて小学生でも受けてますが、あの頃はまだけっこう珍しかったようです。二次試験の面接官が私の顔を見るなり、けっこう驚いてました^^; しかも、その日はたまたま鉄道のストライキがあり、会場だった成城高校までたどり着くのに苦労したので、英語の面接のはずなのに日本語で「大変だったでしょう……」という会話になって拍子抜けもしました。
それ以降のテキストは、「英語の素材ならなんでも」という感じで、
・PenguinやPuffinのペーパーバック
・英字新聞/雑誌の切り抜き
・Progressシリーズ(私立中高で採用されることが多い有名な教科書)
・大学入試向け参考書・問題集
・大学入試問題
などを手当たり次第に「大量に」こなしました。この頃、ポロボロになった英和中の次の辞書として指定されたのが
『研究社 現代英和辞典』
いまのリーダーズの前身です。
英語だけではなく、英語圏の文化についても教えようとしてくれたので、
・イソップ童話
・シェイクスピア
・聖書
・Nursery Rhmes(Mother Goose)
・Alice in Wonderland
・The Wizard of Oz
なども教材になりました。Alice in Wonderlandを読んだときなどは、岩崎民平の訳本も併せて鑑賞しました。文化といえば、映画に連れていってくれたこともあって、観たのはチャップリンの『独裁者時代』でした。そのあで確か、当時オープンしたばかりのマクドナルド1号店に連れていってくれました。ビッグマックを食べるのにえらく苦労したのを覚えています。
東京外語に受かったときには、入学祝いとして、当時まだ初版だったランダムハウスをいただきました。
こんな勉強方法を7年以上も続ければ、いやでもそれなり以上の英語力を身につけられるでしょう。恩師が私につぎ込んでくれた指導の質と量を考えれば、いまの自分の英語力には未だ恥じ入るばかりなのです。
----------転載引用ここまで----------
当時のエピソードも交えて書いたら、この何倍にもなるのですが、それはよほど暇があったら試みます^^;