日本中央競馬会のホームページを閉じる。ブラウザも閉じる。ノートパソコンを折り畳み、勉強机の中心部から遠ざける。
勉強机の中心部に、参考書・問題集・過去問集の類(たぐい)を積み上げる。
か弱いわたしだから、積み上げていっただけでも疲れてしまう。備え付けの椅子の背もたれを『よすが』として、カラダを少し休める。
それから、ようやくにしてペンを持つ。
京都市左京区に所在する某・国立な大学法人の過去問集は分厚い。流石に分厚い。
分厚いんだけど、それだけ、攻略のし甲斐があるってコトよね。勉強以外もそうだけど、攻略し甲斐がある方が、わたしは楽しくなってくるわ。
――どの教科の過去問に手をつけるのかは、昨夜から決めていた。
世界史。
× × ×
1年分解いてみた。
本当はもう2年分ぐらい解いてみたい。でも、意欲が思うように高まってこない。
近所の図書館が休館日じゃなかったら、単一教科の過去問3年分なんて「お茶の子さいさい」なんだけどなー。図書館が休みで自宅学習を強いられているからか、モチベーションの上昇速度がとってもスロー。
場所、変えたいわね。
……戸部(とべ)アツマくんの仕事場の『リュクサンブール』に突撃してみようかしら。
……やっぱしやめておこう。モチベーション上昇も兼ねた気分転換のために彼に迷惑かけたりするのも悪いし。
ノートパソコンに前のめりになって土日の中央競馬の結果を確かめたり、両親の眼を盗んでBSのチャンネルで放送されている麻雀番組を視聴したりと、『真面目ちゃん』とは遠く離れた25歳の大学受験生である事実は否定できない。
だけど、全てにおいて不真面目で悪い子であるワケでも無い。
カフェ『リュクサンブール』で一生懸命働いている腐れ縁の男の子に対する配慮ぐらい……してあげられる。
そういうココロ配りもできるのが、葉山(はやま)むつみという、25歳の大学受験生。
× × ×
お父さんが日本酒をロックグラスに注ぐ音が微(かす)かに響く。
ダイニングテーブルで向き合いながら、左手で頬杖をついて、お父さんがロックグラスを口に運んでいくのを眺める。
コトン、とロックグラスを置くお父さん。
「明日が一応、第1次選抜の発表日だったよな?」
お父さんが、この夜初めて、わたしの受験のコトに言及してくる。
「一応、ね。マークシートの使い方を間違ってない限り、足切りされるコトは100%無いわ」
わたしは応答。明るい笑顔が父娘(おやこ)のやり取りには大事だから、『お父さん大好きスマイル』を育てていくのを頑張る。
「じゃあ、京都に向かって、キモチを一直線に伸ばしていけるな」
お父さんはそう言いながら、微笑みを顔いっぱいに広げてくれる。
「お父さんのそういう表現、わたし、好き」
娘から送り届けてあげるキモチ。小さな胸の奥にくすぐったさみたいなモノが芽生えているのはヒミツ。
「しょーがないな、むつみも」
若干の照れ声でそう言ってくれたあとで、
「幾つになっても、『お父さん大好きっ子』なんだもんな」
「受け入れてよ~」
すぐさま、右手をヒラヒラ振りながら、お父さんに応えてあげる。
「そりゃあ受け入れないワケも無い。むつみがおれを信頼してくれるように、おれもむつみを信頼してやる。愛してやる」
とっても嬉しいコトがお父さんの口から放たれた、直後に、
「だが……おれのコトばっかりで、いいのか?」
え。
……まさかの、お叱り?
わたしがお父さんに愛情寄せ過ぎなのが……気になるとか?
ファザコン……ダメなの?
「なーんだなんだ、哀しそうな眼になりやがって」
ニコニコスマイルを見せつけてくるお父さん。
硬直するわたしに向かい、
「キョウくんのコトだよ」
と、『彼』の名前を出して、いちばんの弱みを突いてくる……!!
× × ×
メロンソーダの助けを借りて、顔やココロの熱を冷やした。
真向かい席では、お父さんが未だに晩酌を続けている。
テーブルの手前部分に両手を重ねて、晩酌のお父さんに眼を凝らす。
ふと、思う。
『京大に合格したら、両親と離れ離れになる。わたし、その事実を、上手に受け止め切れるかしら……?』
覚悟していても、覚悟しているからこそ、離れ離れになる時のコトへの意識を強めてしまう。
とっくに25歳だとか、そういうコトは関係無い。わたしはたぶん、何歳になっても、ホームシックに陥っちゃうタイプ。
幼馴染のキョウくんは、わたしの弱さを埋めてくれる存在。キョウくんに『埋め続けてもらう』ための話し合いが、実は既に為されていた。キョウくんとキョウくんのご両親がこの家に来てくれて、わたしとわたしの両親も合わせて計6名での『家族同士の会議』をした。
キョウくんとの関わりについては盤石、なんだけど……。
やっぱし、お父さんとこうやって1:1で向かい合っていると、センチメンタルなキモチが溢れ出てくるのを抑え切れなくなっちゃってくる。
お父さんの顔は、幾つになっても憧れの対象。
そんな憧れの対象を眺めつつ、わたしは、こういうシチュエーションでは絶対に打ち明けられない過去の『大事件』を思い浮かべていた。
15歳の時だった。
着替えているトコロをお父さんに偶然見られてしまった。
わたしがわたしの部屋ではない場所で着替えていたのが主な原因。他にもいろんな「偶然の作用」が働いていたと思うんだけど、お父さんには過失は無い。お父さんは何にも悪くなんかない。
だけど……。
どんなブラジャーを持っているのかをお父さんに知られてしまったショックと痛みで、2週間以上も、お父さんと口をきくことが、わたしは、できなくって。
夜、ベッドの中で、
『お父さん、そろそろ、わたしのコトがキライになっちゃったかな……??』
と、真剣に悩みまくっていた。
キライになるワケなんか、無いんだけどね。
あの時の拒絶は、15歳らしからぬ拒絶だったんだろうか。それとも、15歳らしい拒絶だったんだろうか。
どっちにしろ……すっごく、懐かしい。