例によっておれよりも愛(あい)が早起きだった。早起き愛ちゃんは例によって、キッチンで野菜を軽快に切っている。
誰も真似のできないようなスピードのキャベツの千切(せんぎ)りだ……と感心していたんだが、
「兄貴、何ボーッとしてんの? 棒立ちになっておねーさんの作業を背後から眺め続けてるだなんて。わたしじゃなくても呆れちゃうよ」
キツいコトバを浴びせてきながらグングン足を進め、おれの左真横(ひだりまよこ)までやって来るあすか。
おれがあすかに眼を寄せた1秒後に、おれの左脇腹にチクチクとした痛みが走り始める。あすかがおれの左脇腹を右手でつねり始めたのだ。ずいぶんチカラ一杯つねってくるんだもんなー。
「ヘラヘラ笑い禁止」
兄の左脇腹をつねり続けながらピシャリと言う妹。
「あれだろ? あれなんだろ?? これ以上笑い続けたら、おれのカラダにパンチを食らわせてくるんだろ」
「大正解!!」
左脇腹から指を離した1秒後に右ストレートパンチを繰り出してくる妹。
おれは、右ストレートパンチされた部分をワザとらしく擦(さす)りながら、
「おれ譲りのパンチの威力だった。流石だった」
この返答がマズく、あすかの右足スリッパの裏面がおれの左足の甲に直撃し、おれは朝っぱらから結構な痛みを覚えてしまうのであった。
× × ×
『おねーさんを手伝う以外の選択肢は無いんだよ!!』と眼を見開きながら怒鳴りつけてきた朝の妹。
本当に良く出来た妹である。兄ながら、そう思う。現年齢22歳なんだからもう少し落ち着きを持った方がベターであるとも感じてはおりますがね。
× × ×
そして時間は10時間以上経過する。
扉を閉めて靴を脱ぐおれの目前におれの妹が立っている。
謎の腕組み。謎のドヤ顔。
それから、エプロンの装着。セルリアンブルーといった色合いのエプロン。エプロンのバリエーション、ずいぶん多いよな。この部屋のどっかに隠し場所でも設けてんのか?
脱いだ靴を正しい向きに揃えたおれが足を一歩進めると、
「お風呂、仕上がってるから」
妹よ、なんなんだその表現は。
『お風呂』が、『仕上がってる』? それは一体どのような状況であるというのか。帰宅早々おれに疑問符を生じさせてくるだなんて、ちょっとヒドい。
「おまえはそんなヘンチクリンな表現でおれに何を要求しようとしてるのか」
「『ヘンチクリン』はNGワード!!」
ドヤッ……とした笑みを絶やさず叫んでくる妹。終わらない腕組み。
「兄貴をお風呂に入れさせたいがための表現に決まってるじゃん。理解力に乏しいねー」
あすかさん。実のお兄さんをあんまり過小評価し過ぎないでください。
『理解力に乏しいねー』ってそんな声音で言われたら、怒っちゃうヒト多いと思うよ? おれは耐えられるけどさぁ。
兄であるおれに対しておれの帰宅早々にヒドい態度で接してきている妹が、くるっ、と敏捷に反対方向を向いた。
「お風呂入ったあとで、『ご飯を手伝う』のか『わたしに仕事の報告をする』のか選んで」
なんやねん、その2択。
夕飯の調理を手伝うのか。それとも、妹に勤務の報告をするのか。
いずれにせよ、おれを休ませる気は少しも無いみたいである。
「あすかー? ちょっとだけ、『妥協』してくれんだろうか」
背中に声掛け。
「『妥協してくれ』ってのは、つまり、『風呂から上がったあとで、おれに少しだけ休憩時間を与えてくれ』ってコトだ」
「早くお湯に浸かってほしいんですけど。ぬるま湯に浸かるのはイヤだったでしょ、兄貴は?」
おれに背中を向けている妹は非常に涼やかな声。
「ぬるま湯は誰だってイヤなんでは」
おれが疑義を呈したら、
「わかってないわかってないわかってない」
と何故か『わかってない』を3度繰り返し、
「『2択』、やーめた。風呂上がりのバカ兄(あに)を強制的にキッチンに向かわせて、そのあとでタップリとお仕事レポートを言わせるんだ。バカ兄を屈伏させる以外にやりたいコトが浮かんでこないし」
……妹よ。
素直にお風呂、入ってあげるから。嗜虐(しぎゃく)趣味も、ほどほどにね??