リビングの窓際。
愛(あい)とあすかが弱々しい表情になっておれの眼の前に立っている。
普段の攻撃性はどこに行ってしまったというのだろうか。おれを頻繁に罵倒してくる『ふたり暮らし』のパートナー。おれを頻繁に罵倒してくる妹。そんな両者であるはずなのに、今の立ち姿からは攻撃性のカケラも感じられない。
おそらく、おれに助けを求めている。
おれに助けを求めようとする理由は何なのか。
打ち明けようとしてくれないから、困り始める。
何も言おうとしない愛とあすかの瞳の弱々しさが深まっていく。涙が出てくるほどには潤んでいないが、キモチの落ち込みを如実に表しているかのようだ。
× × ×
夕食時から『何かがおかしい』という感覚はあった。2人とも最小限の会話しかしなかったから。おれの真向かいに並んで着席していた2人は、おれが作った夕飯を黙々と食べていた。単調に箸を動かして、カキフライや和風シーフードサラダを口に運んでいた。
『美味しくいただいている』という風な様子を感じ取るコトができなかった。落胆するのではなく困惑してしまった。美味しくないのなら『美味しくない!』と攻撃的な態度と口調で言ってくるのが常なのに、不満をコトバにして発してくる気配が微塵も感じられなかったから。
『ごちそうさま』を言わずに愛が先に席を立ち、食器を黙ってキッチンに運んでいった。やや遅れて、同じく『ごちそうさま』を言わずにあすかが席を立ち、食器を黙ってキッチンに運んでいった。
愛もあすかも、おれの帰宅時刻よりも前にマンション部屋に入っていた。
後悔しても仕方が無いのは分かっているが、仕事から帰ってきて2人の姿を眼に入れた時から違和感を持つべきだったのかもしれない。
おれがキッチンで調理している時点では、2人がネガティブな状態になっているのにほとんど気付けていなかった。テレビのニュース番組をリビングのソファでお喋りもせずに眺めている2人から異変を読み取るべきだったのかもしれない。夕飯の調理に没頭し過ぎていたのが良くなかったか……。
× × ×
口数が少ない。実の姉妹の如き仲良しコミュニケーションが見られない。
かといって、両者の間に亀裂が走っている様子は全く見受けられない。
だって、もし亀裂が走っているのなら、現在(いま)みたいに寄り添うようにして立っていたりはしないだろうし。
リビングの窓際までおれを追い詰めてきた愛&あすかの表情は未だ弱々しさに溢れている。
『弱々しく追い詰めてくる』なんて奇妙な表現かもしれない。ただ、『強気に追い詰めてくる』のなら、抵抗するから、リビングの窓際までもつれ込んだりはしない。『弱々しく』追い詰められるからこそ、リビングの窓際という瀬戸際の地点まで来てしまっているのだ。『弱々しい』追い詰めに対しては抵抗のしようも無い。なす術(すべ)も無く、瀬戸際にハマり込み始めている。
……だが、この状況を打開しないワケにはいかないキモチもあるので、
「何か言ってくれないと、こっちが困り果ててしまうんだが」
と告げてみる。
何か言ってほしい。無言のままでは何にも進展しない。記録的な口数の少なさが泥沼への接近を助長しているのだ。自覚を持て、2人とも。
「問題があるんだろ? 問題があるから、おれを頼ろうとしてるんだろ? こんなシチュエーションに持ち込んでまで……」
最後まで言い切ろうとする寸前で、おれは口を止めてしまった。
愛とあすかの瞳の『弱々しさレベル』が2段階ぐらい上昇しているのに気付いてしまったのだ。
危険を感じる。少しでも強めな言い方をしてしまったら、涙がぶわぁ……と溢れてきてしまいそうだ。泣かれたら、こっちのピンチが2段階以上上昇してしまう。泣かれたあとで何が起こるか分からない。事態を予測するのが怖い。
涙を溢れさせないように接するしか無い。
アタマを必死に働かせ、できる限り優しく接する方法を絞り出そうとする。
猶予(ゆうよ)は、ほぼ無かった。一刻も早く優しくしてやらないと、泥沼にズブズブ入り込んでしまう。おれも、愛も、あすかも、3人とも、泥沼の中に……。
そんなのは本当にイヤだ。
イヤだったら、どうすればいい?
――おれが、状況を変えていくしか無いだろ。この瀬戸際を。眼の前の2人がどうしようも無くなりかけていて、おれまでもが窮(きわ)まりかけている、この瀬戸際を。
おれが変えようとしなければ、誰が変えるというのだ。
眼の前で、自分の恋人と自分の妹が、SOSを発しまくってるんだぞ!?
恋人と妹を救ってやれない戸部(とべ)アツマなんて、戸部アツマじゃない。
『主人公になりたい』だとか『ヒーローになりたい』だとか、そんな意識なんか持っていない。
眼の前の2人を目一杯の優しさで包みたいだけだ。
優しさで包み込む。毛布でくるんで温かくしてやるみたいに。
……そのためには、『言語』という道具では、ダメなんだ。
即効性があるのは、コトバによる包み込みじゃない。
おれのカラダを使うんだ。
物理的な手段こそが、事態を動かし、状況を変える。
スキンシップが、瀬戸際から抜け出すための唯一の決め手になる。
スキンシップ。おれの得意技。
……誇れない得意技な気もするが。
眼前(がんぜん)の恋人と妹の目線が下降してきている。
左側の恋人がいつもの恋人と真逆ならば、右側の妹もいつもの妹と真逆。
猶予は、尽きた。
ためらわず、左側の愛に左腕を伸ばしていき、右側のあすかに右腕を伸ばす。
前のめりになりながら、愛の背中に左手を押し付け、あすかの背中に右手を押し付ける。
おれの左胸に愛を押し当て、おれの右胸にあすかを押し当てる。
2人とも細身だから、抱き込むのは簡単だった。
女子のカラダの感触がどうこうとか言ってる場合では無い。当然だ。不埒な動機で抱き込んでいるのとは全く違うんだからな。
ただ、
『こんなに弱り切ってても、カラダの温もりはちゃんとあるんだな』
とココロで呟くのぐらいは……許されると思うが。
× × ×
「……『ふあん』が、あるの」
『2人同時HUG(ハグ)状態』の持続の中で、あすかの消え入りそうな声が鼓膜をくすぐってきた。
「『ふあん』って、漢字2文字の『不安』か?」
おれが問うたら、
「その『不安』以外に何にも無いでしょっ」
と弱々(よわよわ)に反発すると同時に、おれの胸を頭部でグリグリしてきた。
『痛くなんか無いぞ』と優しく言おうと思っていたら、
「アツマくんっ、わたしもね、あすかちゃんもね、『不安』に襲われて、『不安』に縛り付けられそうで……」
という悲鳴が、愛から飛んできた。
少しだけ苦笑いしながら、
「じゃあ、おれが、不安から守ってやる。こうして抱き締めてれば、不安も攻撃できないだろ」
と言い、愛の背中をポンポンと2回叩き、その次にあすかの背中もポンポンと2回叩く。
それから、
「背中、擦(さす)ってやったら、絶対に楽になるから」
と言った1秒後に、2つの背中を同じチカラ加減で擦り始める。
「詳しい事情を訊くのは、おまえらが少しはマシになったとおれが判断したあとだ」
擦りながら告げるおれ。
ダサいセリフっぽくはあるが……これ以上無いほど優しくするコトができているんだから、ダサいセリフも余裕で許容範囲内だろう。