大井町侑(おおいまち ゆう)さんが朝から俺のアパートに来てくれている……のだが、彼女の様子がかなり心配だ。
どう考えてもくたびれ気味なのだ。女子の調子を見極めるのに慣れていない俺の眼すらも誤魔化せないほどに。顔から、エネルギーがほとんど感じられない。特に、瞳から、いつもの凛とした輝きが失われている。そして目線は終始下向き。LED照明は点(つ)いているのに、彼女の周りがなんだか薄暗く感じられてしまう。
昼飯時の少し前。漫画制作の手を止めて、ベッドにチカラ無く座っている大井町さんを眺めている。腕組みして、大井町さんに視線を当てている。彼女が声を発するコトは無い。『どうして漫画を描(か)かないの……?』とすら言ってこない。もしかしたら、俺が心配しているのが伝わっているからこそ、コトバを出しにくくなってしまっているのかもしれない。
漫画を描くのを継続する状況では無いと思った。グズグズしていて判断を延ばすのは良くない。グズグズしていたら大井町さんが今よりもっと悪い状態になってしまうかもしれないし。
彼女を守りたいから、判断を早める。彼女を守るべきだから、判断を早める。
「なあ、大井町さん」
呼び掛ける。
彼女の目線は上がらない。
それでも、構わず、
「今の俺には、漫画を描くよりもやらねばならんコトがあると思うんだ」
と告げ、
「だから、それを優先させる」
と告げると同時に、椅子から腰を浮かせる。
彼女の目線がやや上がった。
俺は、まっすぐに、ベッドへと歩み寄った。
「助けを求めにくいキモチも、分からんでは無い。寄りかかろうとするのを躊躇(ためら)いたくもなるよな」
と言ったあとで、
「だけど、俺の本音を吐かせてもらうと、くたびれてるんなら、素直に言ってきてほしい。今のきみは、強がりが出過ぎてると思う」
彼女の口元が弱々しくなるのを俺は感じ取った。
『強がりが出過ぎてる』と言ったら、ますます強がって、両手をキツく握り締めたりする……そんな懸念はあった。
ただ、彼女は握り拳を作り上げたりはしなかった。ベッドの上に両手のひらを当てているに過ぎなかった。
俺から結構手痛く指摘されたのに、カラダにもココロにもチカラが入っていない。
本格的に、漫画制作ドコロでは無い日曜日になってきた……それを自覚する。
俺の方から彼女に向かって更に距離を詰めてみる。
両肩に両手を置いてやるのが最低限の務めだと思った。そのあとで包み込んでいくかどうかは、彼女の反応次第になってくるが。
だから、両手を差し出していこうとした。
しかし、彼女の動きの方が早かった。
カラダを一気に前に傾けてきたかと思えば……俺の胃袋の辺りに頭部の感触を与えてきて。
× × ×
抱き締めてきた手の感触が背中から消えないまま、昼飯を作って食べた。
午後1時を過ぎているのだが、俺は手を動かしていない。ベッドの方にカラダを向けている。大井町さんの寝姿をジッと見ているのだ。
靴下を履いたまま大井町さんは寝転んだ。どうやら、靴下を履いたまま眠るのが習慣になっているようだ。きっと、確固たる理由があるのだろう。『必ず靴下を履いて眠るんだね』とか訊いたら不愉快さを顔に浮かべられる恐れがあるから、何も言わないでおこうと思うけど。
『就寝時に靴下を履く・履かないとか、そういうトコロに、女子と男子の違いがあったりするのかな……』
彼女の寝姿を見つめながらこういうコトを思ってしまった。思ってしまった数秒後に、恥ずかしさがこみ上げてきてしまった。土日は一緒に過ごす時間が多いからといって、こんなコトを思うなんてあまりにも不埒だ。
目線が下がってしまう途中で、彼女のカラダが少し動くのが眼に留まる。もしや、目覚めの兆しなのかも……と思い、目線を下げるのを中止する。
× × ×
寝起きの眼をパチパチさせたすぐあとで俺の眼差しに気付き、猛スピードで顔を赤く染め上げた。
それから現在に至るまで、大井町さんの赤面は続いている。
「あなた……いつから、そうしてるの?」
振り絞られる声。震えを帯びているのは否めない。
俺は、
「自炊の昼飯を食った直後から」
と本当のコトを答える。
「漫画は……漫画は、どうしたのよっ」
彼女は前のめりになって慌てるが、
「『漫画より、きみの方が大事だ』って言ったら、怒るかな」
と、敢えて言ってみる。
ベッド座りの彼女が身を縮めてしまう。いつもは凛としている瞳が困惑し切っている。
彼女が彼女で無くなり過ぎると、マズいコトになるかもな……と懸念を覚え始めていたら、
「……漫画とわたしを天秤にかけないで。新田(にった)くん、あなた、前提から間違ってる」
と、彼女の声。
ふるふるとした震えを纏(まと)った声ではあったけど、攻撃性の含まれたコトバを言われたのは本日初めてだったから、少し嬉しい。
「じゃあ、天秤にかけたりは、しない」
アッサリと引き下がる俺。
ただ、『言い足りていない』という思いがあったから、
「大井町さん。今から俺が言うコト、よく聴いてほしいんだが」
と、彼女を見据えながら、要求する。
説教などするつもりは無かった。
だけど、説教までは行かなくとも、厳しめのコトバを投じてみたかった。
距離を詰めたいキモチがある。できることなら、距離を、限りなくゼロに近付けてみたい。
お互いに好きなのだから。
「――打たれ弱い面もあるってコト、もうちょい自覚した方がいいと思う」
俺は言った。淀み無く言えた。
『きみのコトを思って言ってるんだ』とか、そんな余計なセリフは付け足さない。そんなセリフを付け加えてしまったら、彼女に対して誠実で無くなってしまう。
彼女の強がりを是正したいのなら、余計なコトを言い過ぎてはいけない。
眼を閉じる彼女がいた。
赤面は絶賛継続中だ。
立ち上がるしかない。それ以外の選択肢は俺には無い。
美少女ゲームでたとえるのなら、4つあったはずの選択肢がいつの間にか1つに限定されてしまっている……といったトコロだろうか。
もっとも、美少女ゲームを購入したコトもプレイしたコトも、23歳の現在に至るまで1回も無いワケなんだが。