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【愛の◯◯】『おねーさんらしさ』を取り戻し切れないから

 

不注意で、わたしの着ているワンピースにコーヒーをこぼしてしまった。

ワンピースの汚れを見つめ続けるわたし。ほとんど黒に近い焦げ茶色が右脇腹の下から右太ももの上方まで広がっている。

動揺しているから、対処の仕方が分からなくなる。アクションが起こせない。カラダのあらゆる機能が一時停止中。

コーヒーを衣服にこぼすような失敗は、ほとんどしたコトが無かったのに。コーヒーの扱いにもコーヒーカップの扱いにも自信しか無かったのに。

失敗するはずも無いのに、失敗した。

眼が回りそうになる寸前……!!

……だけど、助けを求められる人物が、眼の前のベッドに座っている。これもまた、事実なのであって。

あすかちゃんが、あすかちゃんの部屋のベッドに座っているのである。

助けを求められるのなら、遠慮せず求めればいいはず。……本来ならば。

だけども、あすかちゃんは、わたしの妹分的な存在。

いつもは、あすかちゃんの『おねーさん』をしている。だから、今みたいに『おねーさん』らしく無くなっている状況は、いちばん難儀な状況。

助ける立場なら、『おねーさん』を全うできる。でも、助けられる立場だと、『おねーさん』を全うできない。

わたしが妹みたいになって、あすかちゃんが姉みたいになる……そんな立場の逆転が、怖い。

恐る恐る、わたしはわたしの目線を上げる。

あすかちゃんはとっても落ち着いていた。わたしとは対照的。立場の逆転がもう既に起こっているみたい……。

彼女の柔らかい微笑の度合いが増した。わたしのカラダを包み込むワンピースが冷たくなる。両脚が震える寸前になる。

「おねーさん、着替えましょ? わたしの服、貸してあげる」

まるで20代後半に差し掛かったオトナ女性のような声が聞こえてくる。

コトバを噛み砕くのに時間がかかる。

やがて、彼女のコトバがカラダ全体に浸透していく。鼓動の速度が一気に上昇する。

言われちゃったから、もう制御できない。「落ち着き」という概念が剥落(はくらく)していく。

わたしよりもオトナになったあすかちゃんを上手に眼に映せなくなり、

「わたしのカラダとあなたの服が合うかしら……?」

と透き通らない声で言ってしまい、

「じょ、上半身とか、特に」

と、考えうる限り最も不甲斐無い声で言ってしまう。

「だいじょーぶだいじょーぶ」

小学生以下のコドモの頭頂部を撫でつけるような声が聞こえてきた。

カラダやココロのいろんな部分が乱れながらかき混ぜられるのを自覚する。

眼を閉じて口を結んで身を縮める。

今のあすかちゃんは、わたしの100倍オトナっぽい表情になっている。

100倍オトナっぽい表情になっている可能性のオッズは、1.1倍。

 

× × ×

 

彼女の服が上下ともにシックリ来るのがつらかった。

 

ベッド付近のカーペットであすかちゃんと隣り合って、ほとんど体育座りの姿勢で、クロップドパンツの包んでいる両膝に両手のひらを密着させている。

流れてくるのは、名前も知らないバンドのオルタナティブ・ロック。

「たぶん、UKじゃなくって、USよね」

とわたし。

「正解」

とあすかちゃん。

「西海岸?」

とわたし。

「ふせーかい」

とあすかちゃん……。

 

× × ×

 

不甲斐無いばかりの日だ。ワンピースをコーヒーで汚してあすかちゃんに助けられちゃったり、音楽の知識であすかちゃんに負けちゃったり。

繰り返すようだが「立場の逆転」が起こっている。普段、あすかちゃんはわたしを実の姉のように慕ってくれている。だけど、今日に限っては、あすかちゃんがわたしの『おねーさん』。

 

『おねーさん』属性を取り戻せないままに夜になってしまった。

今は、わたしがあすかちゃんのベッドに腰掛けている。『寝転びたい』というキモチを懸命に抑え込みつつ。寝転んだら、あすかちゃんに対して弱さを見せ過ぎてしまうから。弱さを見せ過ぎてしまうと、引きずる。向こう1週間は引きずる、間違い無く。

勉強机手前の椅子に腰掛けているあすかちゃんが、背すじをピン! と伸ばしながら、

「そろそろ、お風呂、行きますか?」

猫背と言っても過言ではないわたしは、

「それもそうね」

すかさず、といった感じで、あすかちゃんが、

「お風呂に浸かったら、おねーさんの『おねーさんらしさ』も、戻ってくるんじゃないかな」

と言ってきた。

ヒヤリとなりながらドクドクという心音(しんおん)を聞くわたし。

 

× × ×

 

あすかちゃんの見解はかなり的を射ていた。お湯に浸かったら、少し楽になった。あすかちゃんは空気を読めるしわたしの状態を推し測るのが上手だから、大きな浴槽の中であまり声を発するコト無く見守ってくれていた。

 

再びのあすかちゃんルーム。

かなり整ってきている。わたしも、やればできる。あすかちゃんの貢献の方が確実に大きくはあるけど。

整うから、ポワポワしてくる。パジャマがカラダに馴染み、甘えたいキモチがココロを浸す。

甘えたい、という感情は重要だった。

結局、本来の『おねーさんらしさ』は取り戻し切れなかった。こうなると、この夜の間(あいだ)だけは、開き直る以外無くなってくる。『おねーさんらしさ』を取り戻そうと頑張るよりも、諦めるほうが何倍も良(い)い。チカラいっぱい精いっぱい甘えて、あすかちゃんと共に夜を明かすのだ。

それ以外――何ができるっていうんだろう。

 

「あすかちゃん、ごめんね。わたし、『おねーさんらしさ』、とうとう取り戻し切れなかったわ。期待に応えられなかったわ」

カーペット上のわたしは、ベッドに着座中のあすかちゃんを正座に近い姿勢で見つめながら、

「ご相談……なんだけど」

と、火照る顔で切り出していく。

苦笑混じりのあすかちゃんが、

「わたしのベッドで一緒に寝たいんですね?」

と、もう核心を突いてくる。

一瞬は、ドキリとなる。でも、いきなり核心を突かれるのもある程度想定はしていたから、立て直して、あすかちゃんの顔から眼を離さないであげて、

「大正解。大的中」

と応える。

「やっぱりだ」

そう応え返すあすかちゃんは、わたしの甘えたいキモチを120%把握している。

お腹の上の方から胸に向かって、くすぐったさがせり上がってくる。

当然、いい意味での、くすぐったさが。

 

 




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