僕の右斜め前の席は羽田愛(はねだ あい)さん、僕の左斜め前の席は大井町侑(おおいまち ゆう)さん。羽田さんの奥には戸部(とべ)アツマさん、大井町さんの奥には新田俊昭(にった としあき)。女子より男子の方が男子である僕と距離が遠いから、なんだか違和感がある。裏返せば、女子の方が僕と距離が近いというコトだから、緊張感は拭えない。
「『漫研ソフト』の同期が全員揃えて良かったわねえ」
大井町さんが言った。
「しかも、アツマさんも来てくれてる」
そう言ってから、大井町さんはお造りの皿に箸を伸ばす。
アツマさんの出席が本当に嬉しいらしい。アツマさんのコトを「師匠」と思って慕っているとか……。ただ、いったいどのような師弟関係であるのか、僕には良く分からない。アツマさんをリスペクトするキモチならば理解できるけど。
「ねえ脇本(わきもと)くん」
ビールの中ジョッキを持ちながら大井町さんがこっちを向いてきた。
「わたし、『新田くんトレーニング計画』を立ててるの。アツマさんの指導のもとで筋力トレーニングさせて、カラダを鍛えさせるの。ほら、筋肉がついてた方が、漫画を長時間描けるでしょう? 新田くんには、1日15時間ぐらい漫画を描いてほしいから」
「エッ、そんな計画、初耳だぞ」とアツマさんの声が上がる。
「今まで話してなくてすみませんでした」と言いながら大井町さんがアツマさんに微笑みかける。
「アツマさんなら、新田くんを一人前のカラダに仕上げてくれるはずだから」
ビールジョッキ片手の大井町さんはなぜか照れ顔になりつつ言う。
しかし、大井町さんの期待も虚しく、
「筋トレを無理強いするのは、どうなんかねぇ」
とアツマさんに言われてしまうから、彼女はビールジョッキを置いて一気にうつむいてしまう。
「僕も無理強いはどうかと思うよ。新田にその気があって、自分から進んでトレーニングに取り掛かるのなら、効果はあると思うけど」
本心を伝えてみた。アツマさんに同調するカタチとなった。トレーニングを強制される新田は可哀想だと思ったから、大井町さんのプランに反対を示した。
一旦置いたジョッキの取っ手を掴み取り、大井町さんは中身をぐいぐいと飲み干していく。
大きな音を立ててジョッキを置いてから、
「脇本くんお代わりを頼んでちょーだい」
とかなりの早口で要求してくる。
「お代わりって、ビール?」と僕。
「ビール以外何があるの」と大井町さん。
「あなたの手元に都合良くタブレット端末があるでしょーが」
と彼女は言い、
「端末を操作してくれなかったら、あなたのコト『ワッキーくん』って呼ぶわよ!?」
と、僕の背中を冷え冷えとさせてくる。
「侑ちゃん、脇本くんを『ワッキーくん』って呼ぶ気があるのかぁ」
アツマさんが言って、
「侑ちゃんは、そーいうトコロが、カワイイよな~」
と言いながら微笑む。
大井町さんの顔全体が赤くなった。
「不用意発言不用意発言!! アツマくんあなた何を言ってるの!? 最高度にデリカシーが無かったわよ!?」
羽田さんが羽田さんの彼氏に激怒して、険しい目線を送り始める。自分の彼氏に攻撃的な羽田さんを目の当たりにして、僕の背中がより一層冷却されていく。
「俺が注文してあげるよ、お代わりビール」
ここで、新田の声が上がった。
「俺の手元にもちょうど、端末あるし」
そう言いながら、もう1つの注文用端末を指で操作し始める。
「新田くん、やるなぁ」
微笑を続けながらアツマさんは称えて、
「侑ちゃんは、こういう新田くんのカッコ良さを、もっと認めてやるべきだと思うぞ?」
と、『弟子』である彼女に優しい眼差しを送る。
「カッコ良さを、認める……?」
戸惑って言う大井町さん。
「彼のカッコ良いトコロ、もっと見つけてやればいーじゃんか」
アツマさんは軽快に応えて、
「きみの彼氏なんだからさ」
と言い足して、大井町さんにトドメを刺す。
無言に陥る大井町さん。
テーブルの端っこをつまんで視線を急降下させる大井町さんのもとに、お代わりビールが運ばれてきた。新田が素早く注文したビールだった。
大井町さんはジョッキを手に取ろうとしない。
「あなたが悪いのよー、アツマくんっ」
そう怒りながら、羽田さんはアツマさんの右腕に割り箸を食い込ませていく。
アツマさんは痛がらないものの、
「んーっ……。調子に乗り過ぎたか」
と反省する。
「そうよ乗り過ぎたのよ」
ピリピリムードな羽田さんは、
「今この瞬間に、あなたが唐揚げを口にする権利は無くなった」
アツマさんはショボーンと、
「楽しみだったんだけどな、この店の唐揚げ食うの」
非常にタイミング良く運ばれてきた唐揚げの皿を自分の手元に引き寄せ、羽田さんはレモンを強いチカラで絞っていく。
「レモンを絞る前にヒトコト言った方が良かったと思うんですけど」
アツマさんがたしなめるが、
「うるさい!!」
とアツマさんを睨み付けながら怒鳴り付けて、羽田さんは羽田さんの殺伐レベルを3段階ほど上げていく……。
こういう羽田さんなら見慣れている。4年以上も間近で見続けているのだ。彼氏たるアツマさんに攻撃的になるトコロだって何度も見てきた。
『願わくば、この場で、アツマさんに暴力を振るってほしくは無い』
そういうキモチを籠めて、僕は、
「落ち着きなよ、羽田さん」
と言い、
「その唐揚げは、全部きみにあげるよ。もうひと皿オーダーすれば良いんだし」
と言う。
「……落ち着けないもん」
アツマさんを睨み続けながら反発するが、
「こういう場でガマンできないと、来年の教員採用試験もパスできなくなるかもしれないよ? ……ほら、採用試験には、面接とかもあるんだしさ」
と僕が言ったら、ゲンコツを作ろうとしていた右手のチカラが弱まり、顔の向きがこちらに徐々に傾いてきた。
「脇本くんも言うようになったのね」
大井町さんの呟き声。
ホメてくれて、ちょっと嬉しい。
大井町さんの逆サイドの羽田さんのピリピリムカムカは続く。今度はアツマさんではなく僕を睨み付けてきた。
「脇本くんちょっといい!?」
ギスギスした声を発する羽田さん。
「あなた、先週の火曜日のコト、忘れてないわよね!?」
問いに対して僕は素直に、
「忘れてないよ。歩いてるトコロをきみに偶然目撃されて、きみの馴染みの喫茶店に連れ込まれた」
「オイオイおまえそんな強引なコトしてたのかよ」
というアツマさんのツッコミを完全スルーして羽田さんは、
「わたしとあなたの2人だけじゃなかったでしょ!? あと2人、女の子が居たでしょ!?」
「おまえまさか、女子3人がかりで脇本くんをイジメてたワケじゃ無かろーな」
というアツマさんのたしなめを完全スルーして羽田さんは、
「松若響子(まつわか きょうこ)さんと木幡(こわた)たまきさんも、あの場には居たワケなんだけど」
と女子2人の名前を挙げてから、
「松若さんにもたまきさんにも、あなたは今後、会う機会があると思うから。その時は、『ちゃんとした男の子』にならないとダメよ?」
「『ちゃんとした男の子』ってなんじゃいな。脇本くんが戸惑うぜよ」
というアツマさんの妥当な指摘を完全スルーして羽田さんは、
「特に、木幡たまきさんに対しては、ちゃんとしてあげてよね……!」
……え?
それって、どういう……。
「木幡たまきさんって確か、女子校でおまえと同じ文芸部で、『文芸書を読まない』コトで有名だった子だよな?」
アツマさんの問いを受け付けず、羽田さんは大ぶりの唐揚げをがぶっ、とかじる。
そして、僕は混乱し始めている……。