羽田愛(はねだ あい)に対して、『この子はちゃんとした社会人としてやっていけるんだろうか?』という思いを抱いてしまうコトがある。
大学のキャンパスのラウンジで、わたしの交際相手に関する情報を大声で開示しようとしたり。
わたしは『彼』のかつての教え子で、『彼』はわたしの恩師……。非常にデリケートな関係であるがゆえに、大学のキャンパスのラウンジは、『そういったコト』を周囲に良く聞こえるようにしゃべくる場として非常に相応しくない、はずだ。
でも、あの子は、しゃべくろうとしてしまっていた。
お行儀が悪過ぎるでしょっ……!!
× × ×
「ねえ。わたしも大学院生の身に過ぎないんだから、他人(ヒト)のコト言えた立場じゃーないかもしれないんだけどさ」
「え、お説教でもしたいの、さやか?」
わたしから見て左斜め前の椅子に座っている愛が、好奇心いっぱいの眼でわたしを見てくる。
ここは、23区内某・マンションの愛&アツマさんの『ふたり暮らし』のお部屋。アツマさんが夕食を調理してくれていて、愛はアツマさんの調理の手伝いをサボっている。
「お説教ほど長くはならないけど――」
わたしは前置きしてから、
「愛。これだけは言っておきたい」
と予告して、相手の美しく可憐な眼を真剣に見て、
「あんたは、もうちょっと『わきまえる』べきだよ」
とキッパリ言う。
しかし、わたしの忠告をあまりマジメに受け止めていないのか、愛は、
「具体性が無いわね」
と浮ついたような声で……。
「具体例を挙げていくと、『お説教』になっちゃうから」
腕組みしながらわたしは言う。
わたしと愛が着席しているダイニングテーブルには美味しそうな匂いが漂ってきているし、『お説教』を長々と繰り広げるべきではないというキモチが強くなっていた。
× × ×
「アツマさん」
ビーフシチューのお味にわたしは感動してしまって、
「こんなに美味しいビーフシチュー、今まで食べたコト無いです」
と本音度100%のキモチを伝えて、
「やっぱり、『デキる』社会人のオトコのヒトは、違う……!」
と愛のパートナーのヒトをホメ讃えてあげる。
「わたしの鍛え方がひと味もふた味も違ったからねぇ。このビーフシチューの味は、半分『わたしの手柄』なのよ」
両手で頬杖をつきながら、空気を全く読めずに言ってくる愛。
場を壊そうとするなっ。
愛を睨み付け始めようとしたわたしだったが、
「さやかさん、嬉しいよ。立派な社会人だって認めてくれて。おれ、これからも、眼の前の悪いオンナみたいな『雑音』に負けず、自分の腕前を磨いていきたいと思う」
と、右方向から、愛と相対して座っているアツマさんが言ってきてくれたから、一気にホッコリとしたキモチになるコトができる。
× × ×
『雑音』呼ばわりを根に持ってアツマさんを罵倒し続ける愛。立派なオトナの男性(ヒト)として落ち着き払って受け止めるアツマさん。夫婦ゲンカ、というより、愛が一方的に攻撃的な嫁と化している。
ダイニングテーブルの収拾のつかなさを余所(よそ)に、リビングの大きな本棚の前に腰を下ろして、わたしは2人の蔵書の背表紙を眺めている。
勝手に蔵書を読ませてもらおうかとも思ったけど、やっぱしやめた。
後ろのソファに振り向いて、腰を上げる。ソファの中央まで歩み寄って、カラダを預けてみる。衰え知らずの愛の罵倒をBGMに、ひと休み。
ちなみに、このリビングに置かれているソファは1つだけではなく、テレビを視るためにもう1つ、3人掛け程度のソファが置かれている。
――『ふたり暮らし』のお部屋情報はこのぐらいにしておいて、
『愛とアツマさんも、長~いよね……』
と、わたしはしみじみとした想いに浸り始めていく。
今みたいな夫婦ゲンカに近いシチュエーションに遭遇すると、『ホントの夫婦』への『後押し』を、ますますやりたくなってきてしまうのだ。
『学生の身分のままで結婚はしない』って、愛はわたしに既に言ってきているから、来年の3月までは、『ホントの夫婦』になるのは、ひとまずお預けなんだけども。
愛が、アツマさんに告白したのをわたしに打ち明けたのは、高等部1年の夏休みだった。
とある理由によって酷く凹(へこ)んでいたトコロを、アツマさんに見つけられ、彼に慰められ、温められた。助けられた勢いで、膨らみ切りかけていた熱くて激しい感情が膨らみ切り、ある夜、当時住んでいたお邸(やしき)の前庭付近で、アツマさんに好意を告げた。
それから、誰しもが認めるお似合いの彼氏彼女になるまでにはもう少し色んな◯◯があったんだけど、愛のアツマさんに対する愛情の注ぎ方や、愛の注ぐ愛情に対するアツマさんの受け止め方を見るのが、『わたしたち』には楽しくて仕方が無かった。
× × ×
「――あんたたちの『背中を押したい』のは、わたしだけじゃないんだよ」
わたしの突然の呟きを聞いた愛が振り向いてくる。夜道。駅へとわたしを送る途上の愛の髪留めがきらめく。夜道でも目立つ栗色の長い髪に最高に調和している、水色の髪留めのきらめきが、眼に焼き付く。――永遠に美少女たる顔は、うろたえにうろたえていたけれど。
「……どどどっどーいうイミかな」
まっすぐ見てはくるけど、永遠の美少女には少々似合わない前のめり姿勢。
あんたはもう少し理解が速いはずなんだけどねえ。
まあ、いいや。
あんたの理解の遅さは、見逃してあげる。
だけど、もう少しだけ言い足したいコトがある。
――良いかな、言っても。良いよね。
「あんたのコトとアツマさんのコトが大好きなヒトたちは、両手両足の指で数え切れないほどにいる。――それは、わかるよね」
言うのと並行して、弱々しくうつむきかけている親友と上着が触れ合うぐらいに、距離を詰める。
「あんたとアツマさんの関係、誰だって応援したくなっちゃうよ。だから、みんなが、『背中を押したく』なってるんだよ」
と言ってから、
「もっとも、今はわたしとあんた、向かい合ってるから、背中の代わりに胸を押さざるを得ないような状況なんだけど」
と、わざと、イタズラなコドモっぽく言ってみる。
「……セクハラめいたコト、言ってこないで」
フニャフニャした声で反抗の愛は、
「わたしの貧弱な胸を押してきたって、どーにもなんないでしょ」
と、自嘲気味に。
「自嘲しなくていーじゃんよ。わたしのブラジャーのサイズだって、あんたより1段階大きいだけなんだよ?」
「なっなっナニ言い出すのさやか!?!? おかしいんじゃないの?!?! いくら女子同士2人きりの夜道だからって、放送コードは守ってよっ!!」
――はいはい。
泣き出しそうな声にさせちゃって、悪かったと思います。
だけど、
「セクハラにならない部分のトコロ、押すよ」
と明確に告げて、わたしは大好きな親友女子の両肩を両手で押さえ始める。
注ぎ込みたい、応援のチカラを。
……愛の両肩、わたしより2段階は柔らかくって、押さえ心地が良いな。