「あすかさん、卒業論文は順調なんですか?」
10月最終日の夜。邸内(ていない)で2番目に広い『リビングB(仮)』。ぼくから見て左斜め前のソファに座る利比古(としひこ)くんが、ぼくから見て右斜め前のソファに座るあすかちゃんに問い掛けた。
あすかちゃんはすぐに応答してあげない。
応答してあげるコトが、できないのだ。
「あすかさーん?」
彼女の名を再度呼ぶ利比古くんが、
「内定式も終わってるんですし、卒業論文以外の必要単位も全部取ってるんですし、提出期限に向けて、卒論執筆に専念するだけなんでは?」
と言うが、言われたあすかちゃんは、俯(うつむ)き、くちびるを噛み、それから、
「どこで知ったの、『卒論以外の必要単位は全部取ってる』ってコト」
と、細い声を出す。
さほど間(ま)が置かれずに、利比古くんの口から、
「あすかさん本人から伝えられたんですけど」
という答えが出てくる。
単位取得状況を利比古くんに直接伝えた、と指摘されたあすかちゃんは、ビックリしてしまったみたいで、斜め下方向を見続けながら、口を半開きにする。
× × ×
曖昧な表現もかなり含ませながら自らの卒論執筆について何とか語り終えたあすかちゃん。
利比古くんの顔をマトモに見られないままに、
「利比古くんの大学のキャリアセンターって……規模、すっごく小さそうだよね」
と、1学年下の彼に過激なコトバをぶつけていく。
「イヤだな~」
ハンサムな利比古くんは優しい苦笑いで、
「ぼくの大学をどれだけ過小評価したら気が済むんですかね~」
と軽く躱(かわ)す。
テーブルを隔てて向かい側の利比古くんの上半身に上手く視線を当てられないままに、
「だって、一橋大学と学生数ほぼ変わんないのに、一橋大学よりも偏差値がずーーっと低いじゃん」
と、あすかちゃんは反撃。
「どうして、比較対象が、国立(くにたち)市の名門国立(こくりつ)大学?」
疑問を呈す利比古くん。ぼくだって疑問だ。
自らの右サイドへと過剰に視線を逸らしつつ、あすかちゃんは、
「……近いから」
と答える。
「近かったですっけー」
と利比古くん。
「近いんだよ」
と、自分の右サイド向きっぱなしのあすかちゃん。
「ぼくの大学の最寄り駅、国立駅ではないんですがねー」
と利比古くんは朗らかに。
「ち、ちかいったら、ちかいのっ!」
やけっぱちの如(ごと)く喚(わめ)く、あすかちゃん。
ツンツンときどきデレデレな女の子みたいだ。
× × ×
気を取り直して立て直すまでに大分(だいぶ)かかったものの、あすかちゃんの視線の角度もようやく上昇してきて、不完全ながらに、向かい側ソファの利比古くんに向き合えるようになってきている。
彼女は、腕組みをしたかと思えば、
「利比古くんは、ニート志望じゃーなかったよね?」
とヒドいコトを言う。
「あいにく、社会の歯車志望です」
利比古くんは爽やかに即答。
それから彼は、
「やっぱり、映像関連の職種がいいですね。学部の授業でもサークルでも、それを一番学んでるんですし」
と、自らの志望をチカラ強く伝えていく。
が、伝えられた彼女は、苦々しそうに、
「ええーっ」
と声を発したかと思えば、
「わたし、そーゆーココロ構えが、一番『あぶない』と思うんだけど」
とコメント。
「と、言いますと?」
揺るぎ無き落ち着きぶりでもって、利比古くんがあすかちゃんに問う。
「それを逐一(ちくいち)説明してあげるのに、この時間帯とこの場所は、ふさわしくないっ」
あすかちゃんのこんな応答。
ワガママだ。
ワガママな彼女に対して、利比古くんは、自らの微笑みを絶やさない。
彼の微笑みには1ミリメートルの隙(スキ)も無い。ずば抜けて美青年な彼の微笑(びしょう)が綻(ほころ)ぶ可能性は極めて低い。
微笑み通す彼。
睨みつける彼女。
微妙過ぎるほど微妙な沈默が、少しの間(あいだ)漂った……のだが、
「あすかさんの今着てるTシャツなんですけど」
と、利比古くんの口が開かれ、
「明らかに、ロックバンドのサカナクションのアルバムジャケットがモチーフになってますよね?」
という問いが発せられる。
「……」と、真下を向いてしまったあすかちゃんが黙(もだ)す。
当然というか何というか、利比古くんは平静を保ち続け、あすかちゃんのコトバを待つ。
――ややあって、
「いきなり話題をドラスティックに変えてこないでよ。わたしの兄貴だったら、カラダ叩いてたトコロだよ」
と、ピキピキと不満を述べる声が聞こえてきた。
床に目線を突き刺すあすかちゃんは、
「そーだよサカナクションだよ」
と答えて、
「モチーフになったアルバムのタイトルはオブラートに包む。Tシャツの製作にまつわる◯◯もオブラートに包む。……理解してくれるでしょ」
と、キワどく答えを紡(つむ)ぐ。
「流(ながる)さんも、理解してくれますよね……?」
利比古くんだけではなく、ぼくにも理解を求めてきた。
ぼくの方を向きながら理解を求めてきてくれたら、もっと嬉しいんだけどな。