167センチの川口小百合(かわぐち さゆり)さんの体型にメイド服がフィットしています。姿見の前に立つ小百合さんが身にまとっているメイド服は元来わたしの所有物でありました。「スペア」のメイド服という位置づけでした。いつものメイド服が何らかの事情で着用できなかった時のためのモノでした。でも、今後は小百合さんに譲り渡しても良いのかもしれません。わたしとほとんど身長の変わらないカラダに合っていますし、姿見に映る彼女の表情がとても嬉しそうに見えますから。
「蜜柑(みかん)さん、私、良い意味で、自分が自分じゃないみたいです」
喜びの声を上げる小百合さんがいました。
「メイド服を『着てみたい』って蜜柑さんに伝えてから、時間はずいぶん経っちゃってましたけど」
と言った後で、
「もっと素早くメイド服を着られる方法が知りたいです。教えてくれますよね、蜜柑さんなら?」
わたしは素直に、
「お教えします、幾らでも」
と言ってそれから、
「そのメイド服は、あなたに差し上げたいと思います。良く馴染んでいるみたいですし」
「ホントですか!?」
即座に叫んだ小百合さんが、クルリと振り返ってきました。
産まれた年度はわたしより6つ下。若々しさが眼に焼き付きます。
× × ×
本日の日曜日は小百合さんの『メイド体験学習』の日となりました。メイド体験を熱望していた彼女の想いに応えてあげたワケです。3連休中日(なかび)の今日は『体験学習』には『うってつけ』でした。なぜなら、邸(ウチ)のお嬢さまが日中(にっちゅう)ずっと外に出ているコトになっているからです。お嬢さまがヒョコッと現れて空気を読めない発言をしてくるのがいちばんイヤでした。しかし、仕事休みのお嬢さまは『昼飲み』がメインの外出をしていますので、邪魔をしてくる存在が無く、問題無く『体験学習』を進めていくコトができるのであります。
時刻は午前10時を少し過ぎたトコロです。
2階フロアの廊下にわたしと小百合さんは立っています。
「では、あなたには、まずは廊下に掃除機をかけてもらいましょうか」
そう告げるわたしは黒塗りの掃除機を小百合さんに手渡します。某・円盤型のあのお手軽掃除機メカではありません。ル◯バくんが頭角を現す前の時代の掃除機であります。ル◯バくんを導入しない理由は様々にあるのですが、住み込みメイドの事情により説明は割愛いたします。
さて、
「掃除機を前に押し出していくよりも、後ろに引く方が、汚れを吸い取れます。後ろに引く動作に意識を向けてください」
とアドバイスしてあげて、わたしはわたしの右手のひらを小百合さんの左肩に軽く置いてあげます。
仄(ほの)かに顔を赤らめてわたしに眼を寄せる小百合さん。
だったのですが、
「初耳です、『後ろに引いた方がよく吸い取れる』だなんて」
と言われましたから、わたしの中で不安がジワジワと湧き出しかけてきたのであります……!!
× × ×
「……小百合さん? あなた、お家(うち)で掃除機をかけるコトは……」
わたしの訊く声が弱々しくなる原因は、掃除機を動かす彼女の手つきがあまりにも雑であまりにも乱暴だったコトでした。
お掃除をする習慣が無いとしか思えません。
「私の部屋以外は両親が全部やってくれるんですよー」
小百合さんはそう無邪気に言って、
「で、私の部屋は、某・ル◯バくんにいつもお任せ♫」
「そ、そーでしたならっ」
焦るキモチを隠し切れないわたしは、
「是非とも、この場で、掃除機の動かし方を憶えていただきたく……」
「ハイ!!」
言い切る前に、小百合さんの快活な声が耳に響いてきました。
無駄に快活なので、焦りが増します。
しかしながら、年上の女性(オンナ)としての立場を守り通したくて、懸命に、
「……廊下は、切り上げましょう。部屋掃除のレッスンに移りましょう。わたしについてきてください、わたしの部屋まで案内するので」
「えっ!? 蜜柑さんルームを、わたしが掃除するんですか!? それは責任重大!!」
無駄にテンションが高い……。
若いから!?
× × ×
わたしルームの後でバスルームの掃除もレクチャーしたかったのですが、諦めました。
危なっかし過ぎる小百合さんの掃除機の動かし方を見ていたら、破損されてしまいそうな私物(しぶつ)が幾つも思い浮かんできてしまいましたから。
わたしのベッドに掃除機がガンガン追突してガンガン音を立てていたので、できるだけ柔らかに『ここらへんでやめておきましょう』と告げ、小百合さんの手を止めさせたのでした。
階下(した)に下りてダイニング・キッチンに入りました。
何の期待もできませんでした。掃除の習慣が無いのが露(あら)わになったコトによって、料理の習慣も無いであろうコトが容易に想像できましたから。
キッチンに俎板(まないた)を置きながら、
「小百合さん。約20年のあなたの人生の中で、包丁を手にしたコトはどのくらいありましたか?」
と問うてみましたら、
「5回か6回ですかねー。家庭科の調理実習の時ぐらいかなー?」
というあまりにも都合の悪いお返事がやって来ましたので、カラダに汗が染み通ってきてしまいます。
メイド服に身を包んでいるがゆえに、汗びっしょりになってしまうとカラダの重みが激しく増してしまうのですが……。
「じゃ、じゃあ、具材の切り方を教えたりするのは、次の機会ね」
ついにタメ口に移行してしまうわたしは、冷蔵庫の方を向きます。
「あなたには、野菜を洗うのを担当してほしいわ」
そう言いながら、大きな冷蔵庫の扉を開こうとする、のですが、
「お肉は?」
という問いが耳に突き刺さってきたので、わたしのカラダとココロのかなりの面積が凍りついてきてしまいます。
「お肉は、洗わないんですか?」
ふたたびの問いかけ。
わたしの左サイドに立っている「問いの張本人」に恐る恐る眼を寄せて、
「……言ったわよね、あなた? 調理実習が、あったって。まさか、お肉を一切使わない実習だけだったなんて……」
「忘れたんです、ぜーんぶ」
朗らかに言う彼女を目の当たりにした瞬間、女性の大敵たる『冷え』がカラダにもココロにも拡散していくのを自覚します。
ヴィヴァルディの「冬」の旋律が恐怖を伴ってわたしを襲撃してきます。
もちろん、開きかけた冷蔵庫からは冷気が漂い……!!
× × ×
「ホンネを言ってもいい?」
リビング。小百合さんとは大きめのテーブルを挟んで向かい合い。背筋を伸ばし切れないままに、
「『これほどまで』とは思わなかったわ」
とキモチを吐き出すわたしは、
「メイドの技術をホンキで身に付けようとするのなら、相当長いスパンで見ないといけない……そう思わざるを得ない。あなたの覚悟次第ではあるけれど。小百合さん、あなたの意志の問題よ。根気や忍耐力がじゅうぶんにあって、モチベーションも高く維持し続けられるのなら、わたしは『つきあってあげる』」
いったんコトバを切り、真向かいに座る彼女を凝視して、
「どう? わたしに『ついていける』自信と『ついていきたい』キモチ、あなたには、ある??」
相当くたびれてしまっていたのも相まって、
『あきらめてほしい』
というような感情の色も濃くなってきていました。
強く言う方が、この娘(こ)のためにもなる。諦めに誘導した方が、この娘のためにはプラス。
そういった思いが着実に強まってきていたのでした。
が、
「ありますよー」
と、弾むような声の返答があちら側から来たモノですから、主に上半身が冷え込みを始めてしまいます。
「かっ……軽々しく、答えるべきでは、ないって、わたし、思ってるんだけど」
小百合さんに向かって、たどたどしく言うのですが、
「『覚悟』も『意志』も、簡単には手放さないし、手放しません」
と、何故かチカラ強き声が返ってきて、
「前に話しましたよね? 高校時代に、生徒会長やってたって。生徒会長みたいな責任の重い役目をやり遂げられたから、『やり通せる強さ』が身についたんです」
背筋をほとんど伸ばせなくなるわたしは、
「生徒会長とメイドの仕事は……繋がらないわ?」
背筋が対照的にぴん、と伸びている小百合さんは、
「『繋がる』っていうのが、私の考えです」
そしてそれから小百合さんは、今のわたしが99%作り上げられそうにない微笑を作り上げたかと思うと、
「と・こ・ろ・で」
「……なんなの?? 話題を急に換えられても、対応できない」
追い込まれるわたしに配慮を示してくれない小百合さんの口から、
「『他人行儀だ』って思っちゃうコトがあって」
たっ、たにんぎょーぎ!?
だれが!?
わたしが!?
わたしが、小百合さんに対して、他人行儀!?
「そんなにうろたえなくてもー♫」
微笑に苦笑が少し混じる小百合さんの口から、今度は、
「しょーじき、『さん』付けは、好きじゃなくって。小百合『さん』って蜜柑さんに呼ばれるの、ちょっと居心地悪いかもって。だから、小百合『ちゃん』呼びにしてもらうとか……もちろん、『小百合』って呼び捨てにしてくれても、全然構いませんし☆」
という、わたしを激しく動揺させてくる発言が……!!