休み明けだからか、大学でお勉強していると結構くたびれる。授業を2(ふた)コマ受けただけで肩が凝(こ)る。徐々に慣れていって消耗しなくなっていくとは思う。でも、カラダを鍛えるのを疎(おろそ)かにしていたのかもしれないわね。図書館で6時間読書し続けるのに耐えられるようなカラダを作り上げていかなくっちゃ。
今日は卒論演習もあった。わたしの卒業論文もいよいよ大詰めだ。大学での学びの集大成というだけではなく、これまでの23年間の人生の集大成なんだと思う。失敗や挫折も味わった。もちろん良(い)いコトもいっぱいあった。いろんな経験の混ざり合った23年間を卒業論文に注ぎ込みたいと思う。
2コマの授業の後で卒論演習だったから、疲労が蓄積されていたけど、演習が終わった後の学修室(がくしゅうしつ)で缶コーヒーを飲んで簡単なストレッチをしたら、ひと仕事終えた爽快感のようなモノがやって来た。
× × ×
「もうとっくに3万字は超えてるのよ」
卒業論文の作成状況をアツマくんに伝えているのである。
今は午後7時過ぎ、夕食のダイニングテーブル。わたしが夕食当番で、トウモロコシの炊き込みご飯を作ってみた。『秋が来た』という実感をトウモロコシ炊き込みご飯に託してみた。9月末になってようやく秋の気配だなんて、ちょっとおかしいんだけどね。眼の前の彼氏が果たしてトウモロコシ炊き込みご飯に『秋』を感じ取ってくれているかどうか。
アツマくんは、そのトウモロコシ炊き込みご飯を食べた後で、お吸い物をずいっ、と啜ってから、
「最終的には何万文字になるのやら」
と言ってわたしを見てくる。
「教えないわ」
わたしはニッコリとして答える。
「ズルくね?」
と彼。
「ズルくないわ」
とわたし。
「なぜ『ズルくない』と言い切れるんだ」
彼の疑問に、
「書き終わるまで文字数伏せておいた方が『フェア』でしょ?」
と答えたら、
「『フェア』である根拠は……」
とさらなる疑問を示してきたから、
「炊き込みご飯は冷めると味が落ちるわよ?」
と言いつつ、彼の大きなご飯茶碗に箸を軽く向ける。
卒論の文字数に関する疑問を有耶無耶(うやむや)にされたからか、アツマくんはいささか不満げだ。
もう夕食を食べ終えた彼は麦茶を飲みつつ、斜め横に視線を傾けて、
「ちくま学芸文庫を飯(メシ)の横に置いて食事するのは、どーなんだろーか」
と言ってくる。
「食べ終わったらコーヒー飲みながら読もうと思ってたのよ。食べ終えた後に本棚まで行って持ってくるのが面倒くさかったし」
「ふうん……」
なんだか彼が微妙な顔つき。
突拍子もないようなコトを言ってくる予兆を感じる。
長年のつきあいで察知してしまうのだ、突拍子もない発言が出てくる前に彼がどんな表情をするのかを。
「あのさあ」
ちくま学芸文庫に眼を凝らす彼が不穏な口を開いて、
「ちくま学芸文庫って、ついつい、ちくま『学術』文庫って言い間違えちまわねーか?」
何を言うのあなた。何を言い出すのあなた。
あまりにも些細なコトに眼を向けて……。
「アツマくんっ」
わたしはピリピリピキピキと、
「あなたって、講談社学術文庫を講談社『学芸』文庫って言い間違えるほどに愚かだったの!?」
アツマくんは不可解な笑い方をして、
「『愚か』と言うのは余計だし、NG大賞」
わたしは瞬時に両手の拳で卓上を叩いた。まだ片(かた)していない食器類が少し震えた。
「わたしだったらそんなケアレスミスしないわよっ。『学芸』と『学術』を取り違えたりなんか……!」
「ホントかぁ~~?」
おマヌケ彼氏は浅ましき態度で、
「いつだったか、おまえが『ちくま『学術』文庫』って言い間違えてたのを聞いた憶えがあるぞよ」
「……『あるぞよ』って、何よ」
わたしのツッコミも虚(むな)しく、
「このブログの過去ログ探ってみたら、『ちくま『学術』文庫』って誤記が見つかるかもな。管理人がいい加減だから、大きなミスをするコトが多いんだ」
と、メタ発言を繰り出してくる彼氏。
激しくお茶碗を投げたくなってくる……!!
× × ×
彼氏が全ての食器を拭き終わった瞬間に、左手首を右手で掴んで、本棚ゾーンまでグイグイと引っ張っていく。
「暴力を振るわなかったわたしに感謝してよね」
文庫レーベルの名前のややこしさをめぐる茶番劇を踏まえて、彼氏に感謝を要求する。
「おれに難しい本を読ませたいみたいだな」
感謝の代わりに訊いてくる彼氏。
「ちくま『学芸』文庫か講談社『学術』文庫を読ませたいんじゃねーのか?」
ヘラヘラ笑いで訊く彼の上半身中心部をパンチする、のをガマンして、
「読書は、させたい。でも、何を読んでもいい。あなたの自由」
「ほぉ」
わたしに1歩近寄る彼は、
「おまえにしては珍しく、寛容なんだな」
わたしは、
「度を越してくだらない本を選んだら、後で怒るけど」
カラダの向きを本棚に転じる彼は、
「くだらない本など、この世には無いような気もするが」
と言いつつ、20世紀前半の海外小説が並んでいる棚に手を伸ばし、
「おれはスタインベックの『怒りの葡萄』を読むぞよ、愛(あい)ちゃん☆」
と気色悪い口調で気色悪いセリフを吐いてくる……。
わたしは彼の左手首を右手で再び掴む。今度は、彼が痛がるレベルの強さで掴んでいく。
「おーい、愛さーん、ボーリョクですかー?? 『暴力を振るわなかったわたしに感謝してよね』って言ったのは、どこの誰だったかなー??」
「うるさいこんなの暴力じゃないっ」
キレるわたしは、
「まさか、『怒りの葡萄』、未読だったってゆーの!?」
「未読だよ」
瞬時に答える浅ましき彼氏。
さらにキレるわたしは、
「あなた大学の専攻が英米文学だったでしょ!? しかも卒論がホイットマンの翻訳だったんだし、アメリカ文学寄りだったはずよね!? 今頃になって『怒りの葡萄』未読をカミングアウトするなんて、恥ずかしさを感じないワケ!?」
叫ぶように怒ったから、呼吸が少し荒くなってしまう。
――いきなり、頭頂部にくすぐったい感覚がやって来た。アツマくんが手を乗せてきたのだ。
『落ち着かせたい』という彼のキモチに、全く素直になれない。今晩眠りにつくまでずっと素直になれない。
「……宮本常一(みやもと つねいち)」
ぽしょ、とわたしは声をこぼす。もちろん、彼氏の顔もカラダも一切見ていない。
「宮本常一を読みたいんだな、おまえは」
チカラ強くて優しい声を送り届けてくる彼氏に、
「今夜は、『民俗学ガール』になりたいの」
と、言ってしまう。
彼氏が恥ずかしいセリフを言うから、わたしまで恥ずかしいセリフを言っちゃった……!!