コーヒーカップの把手(とって)から右手指を離し、
「明日は、午後になってから旅行のための買い物に出かけて、夜になったら八木(やぎ)さんと小泉(こいずみ)さんの『女子校2期先輩コンビ』と出会うの」
と、真向かい座席の利比古(としひこ)に、余裕タップリに予定を知らせる。
どういうわけか、利比古の眉間が険しくなっていく。
どうしてよ。
「明日になってからでも間に合うの、旅行の買い物? お姉ちゃんの高知旅行、来週の火曜日からだったよね? しかも、3泊4日なんでしょ?」
不審(ふしん)かつ不信(ふしん)の眼で言ってくるわたしの弟。
弟は、弟から見て左サイドの喫茶店の窓外(そうがい)に視線をやや寄せて、
「今日の予定を変更してでも、買い物を終えてしまって、旅行に備えるべきでは……」
ふーーーん。
つまり、わたしの可愛い弟は、高知旅行当日までに準備が間に合うかどうかが、とっても心配なワケだ。
わたしの荷造り能力(スキル)その他(た)を過小評価していて、『弟として、急(せ)かさなければ……!』と焦っている。
弟のお気持ちは……正直なトコロ、あんまりわかんない。
だから、
「利比古、あんたは、『女子の買い物』にヒョコヒョコとついてくるつもりなの?」
と、もてあそんでみる。
『女子の買い物』という部分を強調したおかげで、弟は教科書通りにたじろぎ、教科書通りに眼を泳がせる。
左手を強く握り締め過ぎているのが気になったので、姉として、
「女子の身支度なんだから、男子のあんたが出しゃばる必要無し。心配し過ぎで肩にチカラが入り過ぎてるのも良くないわ。どうして左手をそんなに握り締めてるのよ? ゲンコツが出来る勢いよ」
わたしのズバリな指摘によって、利比古が左手に籠めたチカラが急速に弱まっていく。
項垂(うなだ)れるように俯いちゃった利比古を目(ま)の当たりにしたわたしは、もっと可愛がりたくなって、
「コーヒー、おかわりしましょうよ」
項垂(うなだ)れ感の充満した声で、弟は、
「お姉ちゃんだけでいいよ」
と言うけど、
「NGよ、わたしだけなんて」
とピシャッと告げて、喫茶店における滞在時間の引き延ばしを確定させる。
× × ×
左斜め前を歩く弟がわたしに背中ばかり見せてくる。もてあそばれ可愛がられて不貞腐(ふてくさ)れているみたい。
わたしが距離を詰めていったら、
「旅行前にスタミナ切れを起こさないでよ」
と、ピリピリした声で弟に言われたけど、
「あんた、わたしの体力を舐め切ってるんじゃないの? かわいくなーい」
食い下がる弟は、
「でも、採用試験落っこちちゃったショックの名残りが、まだ……」
「もう『あれ』から約1ヶ月も経過してるのよ? ショックもすっかり和(やわ)らいでるし、ダメージもほとんど癒(い)えてるし」
そう言ってから、弟の背中目がけて、さながら「ダメ押し」のごとく、
「オンナノコをあんまり甘く見てほしくないんですけど☆」
と『決め』の台詞(セリフ)を言って、遂に立ち止まらせる。
「……今日のお姉ちゃん、なんか下品だよ」
「わるかったわね」
不愉快なキモチになど全くなっていないわたしは、本気度皆無の反発コトバを言ってあげた後で、
「わたし、あのベンチに座りたいんだけど」
「え、ベンチ? どこにベンチなんて」
びっくりした利比古が辺りを見回したから、わたしは利比古の顔をようやく垣間見るコトができた。
垣間見れて嬉しいわたしは、
「あんたの右前方よ。ちょっと遠くて大きさも小さめだから、見つけづらかったかもね。座面(ざめん)が高い位置にあるから、是非とも腰掛けてみたくなったのよ」
言うやいなや、スタスタと利比古の横を通り過ぎ、あっという間に目的のベンチの座面に腰掛ける。
口を引き結びながらわたしの前方にやって来る利比古に向かって、
「こういうベンチだと、わたしの脚も、少しは長く見えるようになるかしら?」
と問う。
利比古は反射的に、短めスカートから伸びるわたしの両脚に視線を落とすが、そこはやっぱりオトコノコで、すぐに視線を外して大げさに上を向いてしまう。
恥ずかしそうに顔を逸らし、
「何がしたいの。どこまで理想が高いの。お姉ちゃんは、今のままで、じゅうぶん……」
「『美脚(びきゃく)じゃんか』ってハッキリ言ってくれたら、お小遣い3万円あげるわ」
「ばばばっバカなコト言わないでよっ!!」
またもや背中を見せてしまう、わたしの弟。
不満なワケでもないから、弟のソフトな背中をジックリ味わいながら、プールサイドでバタ足をするように両脚を動かしてみる。
弟は、谷崎潤一郎には、永遠になれそうにない。
よーく理解できた。
× × ×
「――脚フェチじゃない方が健全なのは当たり前よね。文学者とかには向かないのかもしれないけど」
マンション入り口間近でいきなりそうコメントしたわたしに驚愕し、利比古の背中が大げさに伸び上がった。
「ぼく、お姉ちゃんに不健全なトコロを見せたコトなんか1度も無いし、他のヒトにだって……!!」
大げさに振り向いて大げさな声をあげる利比古。
可愛いけど、
「喚(わめ)くのはやめなさい」
と笑って叱り、
「わたしもあんたは『不健全の反対』だって認識してるから。そこは安心して。だけど……」
利比古の眼に、不安が漲(みなぎ)ってくる兆しアリ。
不安になり始めてゆく弟に構うこと無く、
「残念ながら、わたしの方は『しばしば』不健全になっちゃうの」
と告げ、ぐいぐいっ、と距離をゼロに近づけていく。
168センチの弟を見上げてみる。
「ねえ」
と、見上げながら、軽く呼びかけて、
「わたしの身長、164とか166とかの方が良かった? もしかして、『160.5』しかないっていう『現実』を、残念無念に思ってたりする?」
眼のサイズを大きくして、呆然状態に片足を突っ込ませる弟。
わたしが見上げ続けてくるから、黙(もだ)す時間が長くなってしまうけど、
「160.5で、じゅーぶんだよっ」
と、顔を赤くしながらではあったけど、わたしの『ありのまま』を認めてくれる。
「そーっか」
視線を相手の両眼に固定させながら呟くように言ったわたしは、
「あんたがそう言ってくれると、わたしのあらゆるコンプレックスが吹っ飛んでく」
追い込まれた弟はやっぱり顔を逸らして、
「『あらゆる』って、なんなのっ。余計なひらがな4文字だよね? お姉ちゃんのコンプレックスなんか、どうせ片手で数えるぐらいでしょっ」
とコトバを吐き出してから、
「お姉ちゃんに見つめられると、お姉ちゃんを直視できなくなっちゃうんだ。直視できなくなるあまり、首を痛めたりするコトも、ある……。どうしてなのか、わかる?」
「『美人過ぎるから、見つめ合うのが苦しくなる』」
「……大正解」
弟がそう答えた途端に、弟の両腕を抱き込み、わたしのカラダでカラダを包み込む。
「てぃっ、てぃっ、TPO」
包まれた利比古は懸命に喚くけど、
「言えてないわよ」
と、姉であるわたしは無慈悲になって、
「もう少しで、『ティッピー』って言っちゃいそーじゃないの。『ご注文はうさぎですか?』のチノちゃんの頭部に乗ってるアンゴラウサギじゃーないんだからっ☆」
「よっ読んだり観たりしたコトあるのお姉ちゃん!? 『ごちうさ』だよ!? きらら4コマだよ!?」
「失言~~」
「ななな……!!」
「女子がきらら4コマ読んだりきらら系アニメ観たりしたら罰金取られる法律なんてあると思う? そんな法律存在しないわよね? 明らかに失言。法治国家も見くびられたモノねぇ」
今度こそなんにも言えなくなる利比古。
利比古の温かみの全部を包み込んでいるから、わたしの口から出るどんなコトバも、弾むように楽しい響きを兼ね備えている。