炎天下を大学のキャンパスへと歩くのはとてもツラい。キャンパスはマンションから距離が近いからまだマシだが。就職とか卒業とかそういった件にまつわる手続きをしなければならなかった。こんな時期に手続きの必要を生じさせてしまった責任は僕の方が重い。自業自得と炎天がコラボレーションして、僕の気分を重々しくさせてくる。
手続きはどうにか終わった。キャンパス出入り口への道の途中にある自動販売機コーナーに早足で歩いていく。電子マネーを使って素早く塩レモン風味の天然水を購入する。それからより一層早足になり、キャンパス出入り口へとグイグイグイと突き進んでいく。
通りには自動車の音が喧(やかま)しく響いている。『たまには公共交通機関を使ってみようか』と思う人々がなかなか増えないのは僕としては遺憾だ。自家用車を所有するというのはよほど心地良(い)いのだろうか。モータリゼーションとかそういうモノを批判したり否定する気は無いが、クルマを持つコトで産まれる愉悦感のようなモノを僕は共有できない。
『東京23区っていう、国内で鉄道網が最も整備されてる場所だっていうのに……』とココロの中だけで軽く不満をこぼし、『眼の前の交通量が半分ぐらいになったら、鳥の鳴き声も存分に聴けるようになるだろうに……』とココロの中だけで甘い願望を抱く。
生粋の「野鳥好き」であり、森の中での囀(さえず)りをこよなく愛する僕は、都心の真ん中で自動車やバイクのエンジンの爆音に脅かされながら、横断歩道の信号待ちをする。
燃えるような直射日光がやや和らぐ。向かい側で信号待ちをする人物の形がハッキリと見えてくる。
行々子(ぎょうぎょうし)の鳴き声の如く、僕はギョギョッとしてしまった。
横断歩道を挟んで向こう側に立っている見覚えのある女子の姿が視界でクッキリとなっていくに連れて、衝撃は増し、脚は竦(すく)み、行き交うエンジンの爆音は耳から遠のいていく。
× × ×
戸部(とべ)あすかだった。6月9日産まれ。とある高校の同期。特技は文章を書くコトとギターを演奏するコトで、とりわけ文章執筆においては日本国内の高校生の中で『2位』になった実績がある。
身長155センチ。両肩にかかるぐらいの黒髪も太めの眉毛も、『最後に顔を合わせた時』から変化がない。
そして、体型も変化がない。細身(ほそみ)だ。ライブハウスでギターを鳴らすのを聴いている時、『細身なのに、パワーのある演奏をするよな』と思っていた。ライブが終わった後で、『パワーのある音を出せる秘訣は何なんだ?』と訊こうとしたコトもあったが、できないままに終わった。
体型も変わらないし、いかにもバンドガールらしい(?)派手な絵柄の描かれたTシャツも、『つきあっていた』頃を想い起こさせる……のだが、
「どこ見てんの、ミヤジ!? いやらしい。別れてから久方ぶりの『ご対面』だってゆーのに、そういう視線、普通、する!?」
と、僕の進路に沿うようにして左横を通行している僕の元・カノジョから、痛烈な罵倒の一撃を食らってしまうのであった。
歩行者用信号機の横で立ち竦(すく)んでいた僕に突進してきた戸部あすかは、しばらく僕を離すつもりは無いようだ。
とりあえず、
「いや、どんなロックバンドをモチーフにしたTシャツなのかな、って、気になって……」
と、あまり言い訳になっていない言い訳を返す。
よく見たら、シャツの肩部分にかかる辺りのあすかの黒髪が、軽く縮れている。
もうすぐ大学を卒業して社会人になるのはあすかも変わらない。某・スポーツ新聞の記者になるという情報は、かなり早い時期に耳に入ってきていた。彼氏彼女でなくなってから会っていないのだから、当然間接的に知ったのだが、今、久々に遭遇して、あすかの黒髪の僅かな変化に気付き、あすかが社会人に片足を突っ込んでいるのを深く実感し始めていて、時間の経過も思い知らされている。
黒髪をジッと見られるのも気に障るのか、
「あんた、眼の付けドコロがイかれてるんじゃないの!? 胸の次は、髪に大注目!? 30代後半のセクハラオヤジみたいじゃん。ゆとり世代になっちゃったんだね、中身が!!」
……こんなにコトバづかいが汚かっただろうか、あすかは。
高校時代とか、かなり上品なコトバづかいをしていて、『豪華な邸宅に住んでいるっていうだけあるなあ』という風に感じたコトもしばしばだったのに。
「Tシャツの柄に眼を凝らしちゃったのは、謝るよ」
と僕は言うが、それで納得するワケも無く、
「そんな言い方で謝ったコトになるワケ無いじゃん。もーちょっと、謝り方を考えて」
やや困りながらも、僕は、
「――30回連続で『ごめん』って言ったら、罪滅ぼしになるか?」
「なにその発想。そんなに発想が貧困だから、破局しちゃうワケだ。別れるのもトーゼンだったんだね、わたしたち」
くっ……!
食い下がれる余地はあるのか、この流れで……!?
「わたしの大きな胸をガン見(み)してきた瞬間に、おまわりさんに引き渡しとくんだったっ!!」
そう言いながら自分のTシャツの膨らみをボーン!! と叩くあすかが居たので、僕はその衝撃に打ち砕かれそうになる。
「またオッパイ見てきたでしょ」
無言の暴力を詰め込んだような険しい眼をあすかが示してくる。
「わたしの好物の冷たいお菓子を買ってきてくれたら、罰金1万円で許してあげる」
えぇ……。
× × ×
バニラアイスが大好物であるのはちゃんと憶えていた。というか、バニラ味以外のアイスクリームを認めようとしない女子(オンナ)だった、あすかは。
あすかの大学の学生会館に強引に連れて行かれた。入り口付近の細く狭いスペース。木造りの長椅子に腰を下ろした瞬間に、あすかはものすごい勢いでバニラアイスに手を付け始めた。背もたれが無い石造りの真向かいの椅子に腰掛けた僕は、あすかの食べっぷりを無言で見守るしか無かった。
放り投げるが如き勢いで、バニラアイス容器とスプーンをあすかが自分の右横に置いた。
「1万円」
突き刺すような声で言ってくる。
「現金以外の支払い手段は……」
ナヨナヨと僕は訊くが、
「無い」
とあすかは、冷たく。
自然と肩が落ちてゆく僕は、
「ATMに行く前に、1つだけ質問させてくれないか」
あすかは、
「場合によっては、なぐる」
落ち着きを保つように努力しながら、僕は、
「1つなら、許してくれるんだな?」
腕を組むあすかの顔に『承認』の意思が浮かぶのを元カレの僕は感じ取った。
目線を下降させないように、注意を払って、
「悩み事でも、あったりするんか」
あすかの眼の周りに『弱さ』が浮かび上がるのを元カレの僕は見逃さなかった。
弱さを示しながらも、キツい声音(こわね)で、
「鋭いんだね。啄木鳥(キツツキ)の嘴(くちばし)みたい」
と言ってくるあすか。
「バニラアイス喰う速さが、時速300キロみたいだったから」
「わたしが鳥の嘴で喩(たと)えてあげてるんだから、鳥の飛ぶ時速で喩えてよっ。わたしがそんなに東海道新幹線みたいに見えるの」
「見えないよ」
そう答えてあげたら、
「……」
と、あすかは口籠(くちごも)りながら、機嫌の悪そうな眼つきを僕に食い込ませまくってくるけど、
「教えないよ」
といきなり言い、パァッ、と腰を上げ、
「わたしがわたしの大きな胸の奥で閉じ込めてる悩み事、ミヤジなんかに教えたら、『負け』だと思ってるし」
と言ってきたかと思うと、
「渋沢栄一1枚に過ぎない罰金のコトなんか、どーでもよくなってきちゃった」
と……捨てゼリフのような口調で言うと共に、どういうワケか、座り続けの僕の前まで何歩か距離を詰めてくる。