今度はアカちゃん邸(てい)にお泊まりである。採用試験でしくじってから、いろんな人物といろんな場所に依存してしまっているような気がする。依存対象を増やす方が却(かえ)って立ち直りやすくなるのは知っているけど、恥ずかしい。
× × ×
『本当にごめんなさい、愛(あい)ちゃん!! 夜飲(よるの)みが、『オール』になっちゃったの!!』
アカちゃんの謝る声が、スマートフォンの向こう側の世界からやって来た。
わたしは『オール』の意味が一瞬分からなかったけど、
「徹夜、ってコトよね? 夜通し飲む、ってコトよね」
『そうなの。邸(そっち)に帰るのが、明日(あす)の朝になっちゃうの。だから……』
「アカちゃんの部屋でアカちゃんと夜(よ)を明かすコトは、できない」
『そう。そういうコトになっちゃうのよ。申し訳無さ過ぎるけれど……。『埋め合わせ』は、絶対にするから』
× × ×
アカちゃんが不在の夜になってしまった事実に直面したわたしは、ココロ細(ぼそ)さを隠せず、ソファ座(ずわ)りの身を少し小さくして、ロングスカートの右膝上(みぎひざうえ)の部分を右手でかなり強く握ってしまう。
でも、こんなコトでココロ細くなるなんて打たれ弱過ぎるし、打たれ弱くなり過ぎるのはわたしらしく無さ過ぎるから、気合いをつけて背筋を一気に伸ばし、応接間にちょうど足を踏み入れたトコロだった蜜柑(みかん)ちゃんに眼を合わせる。
蜜柑ちゃんが満面の笑みになった。
ドキッ、としてしまう。蜜柑ちゃんの笑顔は、不意打ちみたいな笑顔だった。ただの満面の笑みとは違うと感じた。どうして意味深な笑顔だと感じてしまうんだろう?
もしかしたら、わたしとアカちゃんの通話が、蜜柑ちゃんが家事をしていた場所まで漏れていたのかもしれない。だとしたら、今夜のわたしがアカちゃんと寄り添い合えない事実を既に把握しているだろうし、孤独な一夜を過ごすコトになったわたしのココロ細さにも同情を寄せているコトだろう。
ココロ細さに同情を寄せているのなら、当然の流れで、アカちゃんの不在を埋めたいキモチが芽生えてきているトコロだろうし、アカちゃんの不在を埋めるコトでわたしの寂しさも埋めてあげたいキモチも芽生えてきているトコロなんだろう。
夜になってもメイド服の蜜柑ちゃんが、真向かいのソファに優雅に腰掛ける。
「――お嬢さまが、夜を徹しての飲み会になるから邸(ウチ)に帰れない、という連絡を愛さんにしてきたんですね?」
わたしはまたもやドキッ、となりつつ、
「聞こえてたのね、わたしたちの通話が」
「丸々聞こえてました」
即答する蜜柑ちゃんが、
「お嬢さま……アカ子さんが『ドタンバキャンセル』という悪事を働いたので、愛さんには、アカ子さんのお部屋でおやすみになる理由が無くなった」
と鋭く言ってくるから、今度はなんだかゾワゾワとした感触が来てしまう。
「わたしが2階の空き部屋にお布団を敷きましょうか? それとも……」
明らかに意図的に声を溜めてから、
「わたしの部屋にわたしがお布団を敷いてあげるか、あるいは、細身の人間ならば2人が余裕で入るコトのできるベッドに、一緒に潜り込むか」
バクバクバクバクと胸の奥のドラムセットが叩かれ始める。
余裕ありまくりの笑顔やメイド服に包み込まれた素晴らしい体型が、見られなくなってきてしまう。
「わたしの部屋のわたしのベッドなら、お布団を出す手間が省けますよね。得体の知れない年増メイドでもいいのなら……幾らでも『お相手』を♫」
わたしとアカちゃんより3つだけ学年が上の99年度産まれの蜜柑ちゃんは、口笛を吹き出しそうなほどに楽(たの)しそうで愉(たの)しそうなテンションで……。
× × ×
「ああっ。わたし、アカちゃんパパとアカちゃんママに『おやすみなさい』を言ってなかった」
迂闊さを恥じて、
「ごめんなさい。わたしが、ちゃんとしてなくて」
と、メイド服からナイトウェアにお着替えしたベッド上の蜜柑ちゃんに、ぺこり、と頭を下げる。
体育座りみたいな姿勢から長い脚を徐々に伸ばしていくトコロだった蜜柑ちゃんは、
「わたしに謝られても困るんですけど♫」
と、最高に明るく……。
わたしが腰を下ろしているのは、蜜柑ちゃんルームの窓の近く。わたしから見て右斜め前に長い脚を伸ばす蜜柑ちゃんの姿がある。カーペットに腰下(こしお)ろしのわたしは、少し見上げるようにして、ベッド上の彼女にカラダを向けている。
パジャマになったわたしの背中の窓のカーテンはとっくに閉められている。それほど「夜になっている」ってコト。
蜜柑ちゃんのベッドに向かう前段階(まえだんかい)として、何かの話題で間(ま)を繋ぎたかった。いきなりベッドの中で2人一緒になるような度胸は無かった。
メイドの仕事が終わった後なのでリボンの解(ほど)かれた長髪は軽く茶色に染められている。わたしの栗色ロングヘアほどには輝いていないけど、魅力的で破壊力のある長髪であるのは疑いようも無い。そんな蜜柑ちゃんの長髪に余分な眼の凝らし方をしてしまった後で、一旦視線を外し、わたしから見て左斜め前の漫画本で敷き詰められた本棚に眼を走らせていく。
わたしが全巻読破したコトのある少女漫画を発見したので、ここに活路を見出したくて、背表紙を指差すと同時にタイトル名を言ってから、
「わたしあの漫画、全巻読んだのよ。かなりの長編よね、少女漫画にしては珍しい長さなのかも」
「ホントですか!? 愛さんも、お好きだったんですか!?」
跳ねるような声で喜び混じりに驚く蜜柑ちゃん。
「お好きだったのよ」
「僥倖(ぎょうこう)。――そうですねえ、確かに愛さんの言う通り、少女漫画全体で見るのならば、かなり長い分量の作品だったかもしれないですねえ」
わたしが指し示している背表紙の方角に顔を向けながら、
「アレを全巻読破したのならば、次に是非とも薦めたい作品がありまして」
「えっ? 気になるじゃない」
わたしが興味を示したら、蜜柑ちゃんは作品名を教えてくれて、単行本が並んでいる場所を指差してから、
「あそこにコミックス全巻揃ってます。幾らでもお貸しします、無期限でお貸しします」
だんだんココロとカラダがあったまってきたわたしは、
「嬉しいわぁ。じゃあ、借りて帰るわね」
蜜柑ちゃんはとっても幸せそうに微笑んで、
「お貸しするのは、じゅうぶんに睡眠をとった後ですよ」
前のめり姿勢のわたしは、
「それもそうね」
蜜柑ちゃんは、
「よく寝付けるような音楽でも流しましょうか? お嬢さまから借りパク状態のCDも結構あるんで。クラシックのピアノ曲とか、どうでしょう。例えば、定番ですけど、フレデリック・ショパンの――」
前のめり姿勢を続けつつ蜜柑ちゃんのベッドと距離を詰めるわたしは、
「個人的には、ショパンと安眠は結びつかないかな。無音でもいいわよ」
と言い、
「あなたが隣で寝転んでくれているだけで、スヤスヤ眠れるから」
と断言して、赤み混じりの歓喜の表情を彼女の顔の上に作り上げていく。
× × ×
「お嬢さまの無礼をお許しください」
真っ暗な部屋。右サイドから声が聞こえてくる。
同じベッドを分け合っているわたしと蜜柑ちゃん。
右サイドの蜜柑ちゃんに顔を寄せて、
「もーーっ。そんなコト言わないのよ~~? NG発言グランプリなんだからね、そういう謝りコトバは?」
苦笑しているとしか考えられない蜜柑ちゃんが、
「なんなんですか、『NG発言グランプリ』って。愛さんのオリジナリティが発揮されているとは思えますけども」
「わたしオリジナルじゃないのよ、実は。わたしの彼氏にインスパイアされたの」
「アツマさんに、インスパイア??」
「ここ数ヶ月、アツマくん、『NG大賞』が口癖(クチグセ)になっちゃってるのよ」
「あーっ。平成のある時期に、ゴールデンタイムの2時間スペシャル枠とかで盛んに放送されていたらしいですねえ、『NG大賞』みたいな名前の付く番組が」
「アツマくんってば、1990年代をリアルタイムで見てきたワケでも無いのにね」
「アツマさんって、2001年1月産まれでしたよね」
「そ。21世紀になってから産まれたのに、口癖がしばしば、古くてダサいの」
「わたしの方が古臭いしダサいですよ。ギリギリ90年代産まれなんですもの」
「自分で自分をdis(ディス)っちゃダメよ蜜柑ちゃん。まだ25歳とかじゃないの」
「それでも、四捨五入したら三十路(みそじ)ですよー?」
すかさずわたしは、掛け布団の中で、蜜柑ちゃんの左腕に『くすぐり攻撃』を開始していき、
「蜜柑ちゃん、『三十路』は、今この瞬間から、禁句っ!!」
「あらぁ」
わたしにくすぐられ始めた蜜柑ちゃんが、
「『三十路』、NGワード認定ですかぁ。……わかりました。今後、気を付けようと思います。普段から相当『NGメイド』な自覚持ってるので」
「……あったのね、自覚」
「エッ、愛さん、何故(なぜ)そんなに意外そうなリアクションを」