椅子に腰掛けて夏祭りのチラシを見ていたわたしの口から、
「『ねむりても 旅の花火の 胸にひらく』」
という俳句がこぼれ出てしまった。
こぼれ出てしまったまさにその瞬間に、
「おおおおおぉっ!?」
と、丸田吉蔵(まるた よしぞう)くんが大絶叫。
カウンターを挟んで向かい合いになっていたわたしと丸田くん。丸田くんの大絶叫がわたしに直撃する。わたしの超・ボーンヘッドだった。どうしてわたし、「俳句信者」の丸田くんの眼の前で、俳句を呟いたりしちゃったの!?
「大野林火(おおの りんか)の代表句だねえ!! 日本人が100人居たら、95人が代表句って言うと思うよ!!」
……いやいや、そもそも、大野林火って俳人を認知してる日本人、限られると思うんですけど。
何にも縛られるコト無く「俳句信者」丸田くんはマシンガントークを続ける。
「ほのかさんが大野林火の『ねむりても~』の句を暗誦(あんしょう)してくれて本当に嬉しいよ。おれとしては、お盆も近いコトだし、『燈籠(とうろう)に しばらくのこる 匂ひかな』という林火(りんか)の句も、是非とも記憶に留めてほしいトコロだけど」
『燈籠』の句も、見たコトある。有名だから。
元来はわたし、短歌の方が大好きなのに、丸田くんの悪影響で、なんだか『俳句の色』にだいぶ染め上げられているような気がして、背中が冷えてきてしまう。
今は、平日の昼下がり。
わたしと同じく大学4年のクセに、丸田くんは四六時中ヒマがあるみたいな感じで、ヘビーローテーションでわたしの実家のカフェ『しゅとらうす』にやって来ている。
もし、わたしが、『シューショクはどーなったの?』みたいな疑問を投げつけたとしても、丸田くんには一切返答する気が無さそう。シューショクにまつわる返答の代わりに、過去の俳人が詠(よ)んだ名句を言ってきそう。ホントにホントに気持ち悪いと思う。
大野林火の話題を尚(なお)も引っ張る丸田くん。そんな彼が心底キモくて、わたしは背を向けて、カップやグラスが清潔であるかどうかを点検する。
およそ15分近くわたしの背中に俳句トークをぶつけ続けていた丸田くんだったが、シカトを貫いたら流石に黙った。
背後のキモい彼のコトを意識から完全に無くすコトに努めながら、わたしはカップやグラスを入念に拭いていく。これ以上無いぐらいにぴかぴかにしたかった。カップに注ぐブレンドコーヒーやグラスに注ぐアイスコーヒーが映(は)えまくるぐらいに。
インスタグラマーを取り込む意図はあまり無いんだけど、カフェの一人娘として、出来る限りよりよいお店にしていきたいキモチが強くあった。
× × ×
それからさらに15分、頭の中で丸田くんの存在を希薄にさせ続けながら、ひたすらにカップやグラスを磨き上げていった。
……でも。
丸田くんの存在が、希薄になる、代わりに……。
親友の、『あの娘(こ)』との、『ギクシャク』が、脳内に膨れ上がってきて。
あすかちゃん。
戸部(とべ)あすかちゃん。
わたしの大親友の同い年の女の子。わたしと身長がほぼ同じで、155センチ。……ほぼ同じなのは身長ぐらいで、わたしよりも遥かに、いろんな分野に秀(ひい)でている女の子。文章力抜群で、ギターが弾けて、就職先も有名スポーツ新聞社で、それからそれから……。
わたしが勝ってるのは、出身高校と在学中の大学の偏差値だけ。マジで、それだけしか勝ってない。しかも、偏差値における優位だなんて、縋(すが)る価値も無い。大親友に対して偏差値でマウント取るなんて、サイアク過ぎる。友情がひび割れちゃうよ……。
ただでさえ、ギクシャク状態なのに。
自分から『ひび割ろう』とする愚かなオンナになんか、成り下がりたくないっ!!
……グラスを拭くわたしの右手のチカラが過剰に強くなるのを自覚する。余計なチカラを入れ過ぎたら、グラスがひび割れる危険性がある。友情がひび割れるのもマズければ、グラスがひび割れるのもマズい。でも、余計なチカラを加えていくのを抑え切れない。
「ほのかさあん」
ここで丸田吉蔵くんの甘ったるい声。この店から、そしてこの世から、追放したい声。
「きみもだいぶ俳句や季語に馴染んできたみたいだし、分かるかなあ……。今年の立秋(りっしゅう)は、8月何日(なんにち)なのか。ひょっとすると、答えられるんじゃないの!?」
――わたしは途端に、右手のチカラを弱めるコトができるようになり、その結果、グラスから布巾(ふきん)を離すコトに成功した。
光沢の漲(みなぎ)ってきたグラスをウォーターサーバーまで持っていく。青いボタンを押し、ボボボボ……と冷水を注ぎ込んでいく。
お客さんに提供するために冷水を注ぎ入れたワケではもちろん無かった。