あすかさんがリビングのソファで眠っている。
ぼくはあすかさんの間近に立っている。起こした方がいいのだろう。たぶん、おそらく、起こした方がいいのだろう。
学業だけではなく来年度からの仕事についての◯◯も彼女には積み重なっている。だから消耗してしまった。そして消耗してしまったが故にソファで睡魔に負けてしまったのだ。
そんな彼女を放っておけない。言い換えるならば、睡魔に負けてしまった彼女をこのリビングのこのソファに放置しておくワケにはいかない。
エアコンがガンガン効いている。寝冷えしてしまったら気の毒でもある。もちろん寝冷えの危険性だけが放置できない理由ではない。『自分の部屋のベッドで寝るのが人間の暮らしの基本だ』と思っているからだ。『利比古(としひこ)くんよ、キミらしくもない真面目さじゃーないか。いったいどうしたんだい?』という風な疑問を差し向けられるのも予測しているし、『人間の暮らしの基本』に『例外』があるのも認めている。
だけどぼくのいちばんの本心は、『あすかさんには、忙しい日々だからこそ、きちんとベッドで寝て、きちんとベッドで起きてもらいたい』というキモチなのだ。
さて。では、いったいどうやって彼女を起こすのか。
長(なが)テーブルの上に無造作に置かれている団扇(うちわ)が眼に留まった。『団扇で扇(あお)いで眼を覚まさせる』というアイディアが浮かんでくる。しかし危惧があった。『幾ら扇いで幾ら風を送っても、彼女が全く眼を覚まさないかもしれない』という危惧だ。それと、「団扇」という「道具」に頼り切った方法であるが故に、『起こすために、あまりにも楽(ラク)をし過ぎようとしてるんではないか?』という疚(やま)しさを感じてしまったりもする。もっと正統で正攻法な方法の方がベターであるように思われる。
7月いちばんの真面目さでもって、右手指をアゴに付着させながら、より良い方法を脳内にひねり出そうとする。
『――やっぱり、『肩叩き』しか無い』
そう思って、彼女に対し一歩距離を詰める。『ひねり出そうとする』と言いながら何の『ひねり』も存在していないが、結局はこれしか無い。これこそが正攻法なのだ。
ぼくの位置からだと、ぼくの左手で彼女の右肩を叩くことになる。彼女に向かって徐々に前傾姿勢になっていく。
22歳のあすかさんの目元や口唇(くちびる)が予想以上のオトナっぽさを帯びているのに気付き、左手を差し出す動きが一瞬停(と)まってしまう。
しかし、
『どうして手を停めてるんだ。しっかりしろ利比古。あすかさんが歳上の一人前の女性であるのを、いつまでも受け容(い)れない気なのか?』
と、自分で自分を叱咤激励して、それから、左手を伸ばすスピードを速め、もちろん適度なチカラの強さで、あすかさんの右肩をとんとん、と2回叩く。
ぶるるっ、と彼女の身が震えた。
眼をこするあすかさんが眼に映る。ぼくの方を見てくるコトだろうから、ちょっとだけ緊張を覚える。
見上げてくる彼女がいた。
見上げてきたのは、いいんだけど。
驚くほどに、彼女の眼が、丸く大きくなった。
喩(たと)えるなら……適切な比喩ではないのかもしれないが……ぜんぜん異性として意識などしていなかった男子からいきなり愛の告白をされてしまった、ラブコメディアニメや少女漫画のヒロインのように……。
しばらく丸く大きい状態のままで固定されていた眼が一気に閉じられ、彼女がリビングから走り去った。
体内時計に自信は無いが、10分以上は『同じ状態』だった、と感じられた。
……あすかさん!?