午後から半休なのでありがたかった。昨夜(ゆうべ)はカレンさんに遅くまでつきあわされたから、なおさらだ。
『きみ、大学職員なんだよね? 大学職員って、こんな時期の平日に半休もらえるぐらいユルいの?』というようなツッコミが聞こえてきそうですが、許してくださいね。
さて、午前中のみの労働の後でお邸(やしき)に帰ってきたぼくが広大なリビングでくつろいでいたら、ショートボブの女子大学生の子が姿を現してきた。
川又(かわまた)ほのかさんだ。あすかちゃんの親友の子であり、利比古(としひこ)くんと◯◯な関係になっている子でもある。
「やあお疲れ川又さん。何をしに来たの?」
ソファ座(ずわ)りのぼくは雑誌をテーブルに置き、彼女に振り向きながら訊く。
「おはようございます流(ながる)さん」
ぼくの問いに対する答えではなく挨拶が返ってくる。『おはようございます』……?
「川又さん、もう朝じゃないよ、正午過ぎてるよ」
ぼくのツッコミも虚しく、
「利比古くんから借りてた雑誌があったんです。それを返しに来たんです。このお邸(やしき)で3番目に広いリビングのテーブルに雑誌を置いて、すぐに帰ります」
と訪問の理由を伝えてくる彼女。
なんだか噛み合わない。
「急いでるの?」
ぼくよりも早口で喋っているし、なんというか全体的な様子が「そんな感じ」だったので、訊いてみた。
「ハイ急いでます」
またもや早口で川又さんは返答。
「そっか、じゃあ、早く雑誌を置きに行った方がいいね」
「ハイ行ってきます」
そう言うやいなや、川又さんは走り出した。
つまずいたり何かにぶつかったりしないか心配なスピードだ。
× × ×
お邸の中で3番目に広いリビングには『リビングC』という「仮称」があった。あすかちゃんが『リビングC』と呼び出したんだと思う。
利比古くんから借りた雑誌の返却場所だった『リビングC(仮)』から川又さんが早足歩きで戻ってきた。
「それでは」
そう言って彼女は玄関へ直行しようとするが、
「ちょっと待って。ダイニング・キッチンから冷たい飲み物のペットボトル持ってきて、きみにあげるよ。外は猛暑なんだし、熱中症にでもなったら大変だからね」
と言い、ぼくはソファから立ち上がる。
しかし、
「間に合ってますんで」
と、背中を向けて彼女は拒む。
「ここからダイニング・キッチンまではけっこう距離がありますよね? 繰り返すんですけど、わたし急いでるんで」
いったい何に追い立てられているというのか。
川又さんの背中を見つつ、声を掛けるべきかどうか迷っていたら、川又さんが早足歩きを再開してしまった。
徐々に遠ざかる彼女の背中。かなり前のめり気味なのが気になる。
もう少しで彼女の姿が消えてしまいそうになった時だった。
彼女の真正面に、あすかちゃんが現れたのである。
ひょっこり、という感じではなかった。まるで川又さんの前にあすかちゃんが立ちはだかるような風に、ぼくには見えた。
帰ってきたあすかちゃんと帰ろうとしていた川又さんが見つめ合う。
しかし、見つめ合ったのも束の間、川又さんの方が目線を下げていってしまった。
ふたりの姿は遠くにあり、川又さんは後ろ姿しか見えない。それでも、川又さんが俯いているのはハッキリと分かる。
そして、あすかちゃんの眼が逸れるのもハッキリと分かってしまった。俯く川又さんを上手に見られないというよりは、眼を逸らすコトで苛立(いらだ)ちを相手に示そうとしているかのようだ。
『勘弁してよ……』というあすかちゃんのココロの声が聞こえてきそうで、ぼくはゾクッとした。
不和!?
× × ×
お邸の中で4番目に広いリビングには『リビングD』という「仮称」があった。あすかちゃんが『リビングD』と呼び出したんだと思う。
……さて、現在は夕食後、『リビングD(仮)』にはぼくとあすかちゃんの2名、周囲には誰の気配も無い。
『ちょっといいかな?』とぼくの方から声を掛けた。2階への階段に足を置く寸前だったあすかちゃんが攻撃的な眼でぼくを見てきたから冷や汗がダラリと背中を垂れたが、『話が……あるんだ、短時間で終わるから』と勇気を出してコトバを継ぎ足したら、彼女は階段から離れてぼくに何歩か近付いてきたかと思うと、息を吸い込んだ後で、『短時間で終わらなくたっていいです』と言ってきてから、ムスーッとした表情で、『真面目な話になるのは、分かってるんですから』と告げてきた。
……で、『リビングD(仮)』にふたりでやって来たワケだが、あすかちゃんはぼくから見て左斜め前のソファに陣取っている。
クッションを抱き締めているあすかちゃんの存在感は脅威にも似たモノだったが、
「問い詰める気も無いし、説教する気も無いんだけど」
と勇気を振り絞ってぼくは声を発し、
「親友同士のはずなのに、『ただならぬ雰囲気』が感じられてしまうと、気にならない方が無理なんだ」
と、切り込み始める。
「それはわたしとほのかちゃんのコトを言ってるんですよね?」
あすかちゃんの声に迫力があるから右手が少し震える。
「そうだよ、あすかちゃんと、川又ほのかさんのコトだ」
答える声も、震えを帯びていて情けない。
「確執があるようにしか見えませんでしたもんねー」
あすかちゃんの声が威圧となってぼくを押さえ込む。
「昼間の『あの時』は、お見苦しいトコロをお見せして申し訳ありませんでした」
そう謝った直後に、
「今、わたしが、『ほっといてください』って言ったら、流さんは怒りますか?」
という問いを投げてきたから、ぼくは困る。
女の子同士のイザコザに介入してきてほしくないのは分かる。ぼくは、あすかちゃんや川又さんとは歳が離れているし。アラサーの男に余計な口を出されたらイヤだろう。ウザがられてしまう。ウザがられた結果、『わたし夕食作りたくないんで、今日の夕食当番、流さんがやってください』というコトをあすかちゃんから言われかねない。
親友の女の子同士の不和も困りモノだが、共同生活者同士の不和も困りモノだ。
ならば、避けるのか。
放っておいて、外野として、成り行きを見続けるだけに留めるのか。
……それはそれで、責任放棄ではないのか。
このお邸での居候生活も長くなったぼくは、あすかちゃんが中学に入る前からあすかちゃんを見てきている。保護者意識、のようなモノも年々強まっている。あすかちゃんがお父さんを亡くしているのも、保護者意識の強まりの大きな要因だ。
彼女は22歳になった。自分のコトは自分でケリをつけたいだろう。保護者意識でもって干渉されたら、口を利くのもイヤなぐらいの嫌悪感をぼくに抱いてしまうかもしれない。
だが、嫌悪感を抱かれる覚悟で彼女に向き合うコトも、そろそろ必要なのかもしれない。
あすかちゃんに起きた問題の解決に貢献できず、事(コト)が丸く収まった後で独り後悔したコトも多かった。年長者としての責任を果たせなかったコトが連続して、そのたびに自己嫌悪になった。
「負のスパイラル」という表現がどれだけ正確なのかは分からないが、『同じコトの繰り返しは、いい加減やめるべきなんじゃないのか……?』という思いは、30歳が近付くにつれて強まっている。そしてその思いは、保護者意識の強まりと連動して強まっている。
どうするべきなのか。
リスク承知で干渉するのならば、強いコトバも彼女に対して言うコトになるだろう。『問い詰める気も無いし、説教する気も無いんだけど』とは言ったものの、強いコトバが結局は『問い詰め』や『説教』と受け取られる……そんな可能性はとても高い。自己矛盾。そこを突かれたのなら、待ち構えているのはやはり袋小路か。
ならば、今回も、干渉を控えておくのか?
同じコトの繰り返しを継続するのか?
それでいいのか?
保護者意識も、責任感も、中途半端な状態のままで保存しておくのか!?
おまえはそんなに煮え切らない存在のままに30歳になるというのか!?