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【愛の◯◯】アリストテレスに敗れたわたしを、彼のお料理が……

 

3限目が終わった後で、学生会館などに寄らず、マンションに帰ってきた。

例によってダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいたら、スマートフォンからLINEの通知の音がした。

・わたし

敦賀由貴子(つるが ゆきこ)ちゃん

・小松まなみちゃん

この3者で構成されるサークル女子限定のLINEグループ画面に、由貴子ちゃんの、

『愛(あい)さん、

 最近、サークル部屋で愛さんの顔を見る機会が少ないような気がするんですけど、
 だいじょうぶですかー?』

というコトバが現れた。

ドキッとしているヒマもヒヤリとしているヒマも無く、今度はまなみちゃんから、

『教員採用試験受けてお疲れなんだと思います

 だけど、

 サークル部屋に来てくれたら、あたしたちが全力で愛さんのお疲れを癒やしてあげるのになー、って

 そう思っちゃう時もあって

 だって、愛さんのステキなお顔が拝めないと、あたしたち、つまんないんですもん』

苦笑いを表現した顔文字が、『つまんないですもん』の横に添えられていた。

由貴子ちゃんからのメッセージも、まなみちゃんからのメッセージも、混じり気の無い善意。ありがたい。

サークルに顔を出したくないワケじゃない。だけど、授業を受けたり図書館で勉強した後でまっすぐにマンションに帰ってしまう日が増えているのも事実だった。

幹事長を務めているサークル活動よりも、マンションの部屋での「ひとり反省会」を優先させるみたいになっちゃっている自分がいる。

「ひとり反省会」を連日開催している原因は、教員採用試験での、「しくじり」。

『教員採用試験受けてお疲れなんだと思います』

まなみちゃんからのメッセージでこういう風に言及されていたけど、実を言えば、『お疲れ』どころの話じゃなくって。

 

日を追うごとに、

『やらかした』

『失敗した』

という思いが強まってしまっている。

今までに無い「しくじり」で、「失敗体験」だった。

筆記試験という点では、中学受験や大学受験の時と状況は同じだった。しかし、中学受験や大学受験の時と決定的に違ったのは、筆記試験が終わった直後にイヤな冷や汗が流れ、「手応えの無さ」を実感し始めたコトだった。

中学・高校・大学での定期試験を含めて、これほどまでに手応えの無かった試験は初めてだった。とても悪い意味合いの実感があったけど、実感してしまっている自分をなかなか受け入れられなくて……そして、本日に至っても、「受け入れられ無さ」を引きずってしまっている。

クヨクヨしているわたしなんて、わたしらしさからいちばん遠ざかっている。

だけど、コーヒーを飲み終わった後でマグカップを雑に洗い、緩く重たい足取りでリビングの奥の方のわたし専用スペースに向かい、わたしだけが使用できる小テーブルの前に腰を下ろし、萎(しお)れるように俯き、大きめの溜め息をついてしまう……そんなわたしがいたのだった。

自分が自分でないような感覚に支配されたら、誰だってつらい。わたしだって、そういう感覚に支配されまくっている状態が持続しているから、つらい。

 

午後3時40分。冷房の効いた室内で何もしていない自分が許せなくて、小テーブルの前からいったん立ち上がり、間近の本棚からアリストテレス全集を取り出す。

こんな状態のわたしでも、邦訳であれば、アリストテレスだって読み進めていけるんではないかと思った。クヨクヨが払拭できないからといって、卒業論文を作り上げていかないワケにはいかないのだ。そう、卒論……。採用試験だけでなく卒業論文まで「スベって」しまったら、本当にマズくてヤバい事態になってしまう。

到底前向きとは言えないが、前向きになれないままに、アリストテレス全集のページを繰っていく決心をする。

ところが、アリストテレス全集のページが、ぜんぜん繰れないのだ。

わたしにとって、アリストテレスという哲学者は、読み易い方の哲学者だった。列挙はしないけど、アリストテレスよりも難解だと認識している哲学者は、何人も存在していた。そうであるはずなのに、アリストテレスが何を言っているのか、ぜんぜん理解ができない状態に陥ってしまった。しかも、古代ギリシャ語ではなく邦訳の文章だから通常なら容易に呑み込めるはずなのに、どうやら日本語を読む能力すらも通常とはかけ離れてしまっているみたいで、呑み込めず、そうであるがゆえに、日本語読解力が著しく落ちている自分自身に激しい嫌悪感を覚えてしまった。

そしてとうとう、夕方5時のチャイムが鳴り響いた。

アリストテレス全集は遂に1ページも進まなかった。

 

× × ×

 

今日もまた夕食当番のアツマくんが作ってくれた酢豚が凄く美味しくて、味覚はじゅうぶんに満たすコトができた。春雨入りのちょっぴり辛口な中華風スープのお陰で、ココロの状態もかなり落ち着いた。

ただ、アリストテレスに敗北した挫折感は尾を引き続けていた。「ごちそうさま」を言った後のコーヒーが、マンションに帰ってきた直後のコーヒーよりも苦く感じられた。「敗北の味」だなんてダサいコトバを使いたくない。けれども、アリストテレスに敗れたからこんなにコーヒーが苦いんだとしか思えない自分がいる。

それでも、アツマくんの手による酢豚や中華風スープの美味しさを褒め称えてあげたい自分もいて、酢豚や中華風スープの感動は是非とも書き留めておきたかったから、苦いコーヒーが僅かに残ったマグカップをダイニングテーブルに放置して、リビング奥のわたし専用スペースへと突き進み、小テーブルに置いたままだったアリストテレス全集を床に下ろし、B5のリングノートを卓上に開き、ボールペンを手に取った。

まだ「まっさら」なノートだった。日記用に取っておいたノートでもないし、勉強用に取っておいたノートでもないし、横浜DeNAベイスターズ応援用に取っておいたノートでもないし、ベイスターズ以外の11球団の研究用に取っておいたノートでもなかった。雑多なコトを書き留めたくなった時用(ときよう)のノートというような位置づけだった。

ただ、もちろんのコト、今日の夕食の酢豚や中華風スープの感動は、雑多なコトに過ぎないワケではあり得なかった。わたしの彼氏が作ってくれた美味しいメニューを記録するためだけのノートにしてもいい……。そんな想いも浮かんできた。

胸の内で、

『わたし、彼氏のお料理スキル、育て過ぎちゃったのかな』

と呟きながら、苦笑いをする。

10年に迫るほどの関わりの中で、アツマくんは、ときどきわたしに肩を並べるほどに、クオリティの高い料理を作れるようになってきていた。

アツマくんのスキルを育てるのに熱心になるあまり、指導のさなかに厳しく怒ってしまったコトもあったし、厳しく怒り過ぎたせいでケンカになってしまい、仲直りするまでに数日かかってしまったコトもあった。

まあ、なんだかんだで「育成成功」だったんだから、結果オーライではある。

だけど、ほんのちょっとだけ、悔しいキモチもある。悔しいっていうのは、育成に成功し過ぎたのが原因で、今日の酢豚や中華風スープみたいに、わたしの舌を唸らせるだけではなくてココロを震わせもするようなモノを作ってくる時もあるのが悔しいってコト。

だけども、悔しさよりも、ココロを震わせるほどのメニューを作って食べさせてくれたコトへの感謝の方が、大きく上回る。

 

お食事レポート的な文章を綴る手がなかなか止まらない。食◯ログなどの投稿文よりも遥かに長文になっていて、もしかすると、コッテリとしたグルメレポート系ブログの記事の文字数よりも多くなっているかもしれない。

綺麗な字を書き続ける方法も、綺麗な字を書き続けていっても手が疲れない方法も、わたしは熟知している。だから、止まらない。

凄く美味しかった酢豚の赤ピーマンの歯応えの詳細な分析までも記述した。手を動かし続けられる余力はまだまだあった。

しかし、終わらない文章がノートの6ページ目に突入した直後、わたしの彼氏の足音がわたしに聞こえてきた。

酢豚や中華風スープの生みの親である彼の足音の接近によって、ボールペンの勢いが急激に鈍る。

どうしてわたし専用スペースに迫ってくるの、『書き物をしてる時は覗き込まないで』って100万回言ってるでしょ……。そんな思いに、なんとも言えないほどの恥ずかしさが重なり、なんとも言えないほどのこそばゆさも重なる。

平静を取り繕って、

「何の用があってわたしの背後に迫ってきたの? お仕置きされる覚悟、持ってるのよね?」

と言い、できるだけ静かにボールペンを置く。

「『もう23時過ぎてるから、寝る準備した方がいいんじゃね?』って思ってさ」

と彼。

「まだベッドに入らなくても大丈夫だから」

とわたし。

「ホントかぁ?」

と若干おマヌケな声の彼。

「わたし、睡眠時間が多少短くても、響いたりなんかしないし。……あと、『寝る準備』って、いったい何よ? 具体的には?」

「寝る準備は、寝る準備だぁ」

複数の要因により上半身の熱が高まり、

「バカ」

と単純な罵倒コトバをこぼしてから、がばっ、と立ち上がって、

「おバカ」

と罵倒を重ねて、それからアツマくんにカラダを向けて、アツマくんの胸元を見つめて、

「ひとつだけ言っておくわ」

「なにをー?」

アツマくんの無邪気な声音(こわね)で、わたしはより一層くすぐったくなるけど、

「ありがとう」

と、単純な感謝のコトバを告げた後で、

「今日作ってくれた酢豚と中華風スープ、あなたの『代表作』になると思うわ」

というメッセージを送り届けてから、とびきり熱の高まった上半身を、背の高い彼のカラダに密着させていこうとする。

 

 




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