颯爽と東京に舞い戻ってきたワケである。休みが不規則であるが故に、月曜日がまるまる休みになった。だから、昨夜(ゆうべ)の仕事終わりの直後にはもう名古屋駅のホームに立っていて、東京行きの東海道新幹線を待ち構えていた。東京駅から電車を乗り継いで実家に到着したが、玄関で出迎えたお母さんはとっても眠そうだった。そんなお母さんにアイコンタクトだけをしてあげた後で、ベッドに入る前にやるべきコトを自分ひとりで全部やった。今朝の目覚めの東京の陽の光はとっても清々しくって、ヘアブラシを手に取る前から既にとってもスッキリとした気分になれていた。
月曜日という平日であるが故に、仲のいい女の子も男の子も軒並みスケジュールが埋まってしまっていて、再会するのは困難になってしまっていた。就職して仕事場で働いている子ばっかりだし、勤め人(びと)は月曜日に休めない方が多数派なんだし、出会えない現実は素直に受け入れるしかない。従姉妹の茶々乃(ささの)ちゃんも月曜日に休めない内のひとりで、スマートフォンのLINEアプリでのやり取りしかできないのがちょっぴり残念ではある。それでも、マジメに働いている茶々乃ちゃんを応援してあげるのが当然の務めなんだから、持っていたLINEスタンプを5連投して送り届けるぐらいのコトはもちろんしてあげた。
× × ×
ただ、スケジュールが「埋まっていない」人々も仲良しさんの中には居るのであった。会社勤めの人だけが仲良しさんであるワケではないのだ。「埋まっていない」年上女性と年下男子がそれぞれひとり居て、彼女と彼に会うコトに日中の多くの時間を費やすのを前もって決めていた。
向かった場所はわたしの出身大学だった。最寄り駅の改札を出てから、出身大学の学生会館にずんずん突き進んでいった。学生会館の某・音楽鑑賞サークルのお部屋が「約束の場所」だったのである。
代わり映えのしないサークル室の扉が眼の前にはあった。だけど、ガッカリ感よりも懐かしいキモチの方が遥かに大きく胸の中を占めていた。扉の前で立ち止まるのは数秒間だけで終えて、ノックすることなくドアノブをひねった。
蜜柑(みかん)さんとムラサキくんはサークル室の奥の方で椅子に腰掛けていた。蜜柑さんが着座しているのは部屋入り口に立っているわたしのまっすぐ前方で、ムラサキくんが着座しているのは蜜柑さんから見て左斜め前だった。
「おはよーございます♫」
蜜柑さんの眼に自分の眼をあててあげながらわたしは挨拶をした。
「はい、おはようございます、星崎(ほしざき)さん。久しぶりにお会いできて嬉しさMAXです」
本当に嬉しそうな蜜柑さんの笑顔が眼に映った。普段は自動車メーカーの社長さんの邸宅で住み込みメイドを務めている蜜柑さんだけど、今日はメイド服とは大きく違うカジュアルな装いになっていて、そのカジュアルさの破壊力は筆舌に尽くしがたいモノがあった。
「星崎さん、おはようございま……」
ムラサキくんが挨拶を言い終わる前に蜜柑さん目がけて突き進んでいき、ムラサキくんを気にするコトなど全く無しにわたしも椅子に腰を下ろした。わたしから見て左斜め前の至近距離に蜜柑さんが優雅に座っている。真向かいではあるけどもムラサキくんの姿はほとんど意識に食い込んでこない。
× × ×
蜜柑さんとムラサキくんは交際している。年の差カップルなのである。事実である。経緯(いきさつ)を説明すると長くなり過ぎるので、省エネ志向のわたしは説明を省略する。
先ほどわたしはムラサキくんの存在を気にも留めなかったし、蜜柑さんと顔を合わせられる方が100万倍楽しみだったから、ムラサキくんのコトなんて日が暮れるまで半分シカトしてあげるコトにしようとココロに決めていた。
だけど、彼が「就職浪人した結果就職を勝ち取った」事実は素直に評価してあげたいと思う。実のところ見直していたのである。就職浪人なんてほとんど無謀だし、沼のような深みにズルズルはまっていくだけだと思っていた。しかし、彼はわたしの予想を裏切った。褒め称えのコトバを贈ってあげるかどうかは別として、わたしの中のムラサキくんの評価はだいぶ高くなっていた。
でも、
「蜜柑さんだったら、松下誠(まつした まこと)さんっていうミュージシャンはご存知のはずですよね?」
と弾むような声で蜜柑さんに訊くムラサキくんは、全然評価できない。
「マツシタマコトさん? どなたですか?」
エレガントな笑顔で訊き返す蜜柑さんがいて、
「えっ……。ぼくは以前に、松下誠さんの代表的な楽曲を蜜柑さんに聴かせてあげたはずで……」
と、持ち前の童顔で慌てふためくムラサキくんがいる。
「それ、人違いだと思うんだけど」
タメ口に移行した蜜柑さんは蜜柑さんの年下彼氏をスマートに詰めていく。
「聴かせた人間を取り違えてるみたいね。そんなうっかりミスをするなんて、あなたの先が思いやられるわ」
容赦の無い蜜柑さんを見るコトができて、わたしのココロが弾み始める。
「そのマツシタマコトさんというお方は、西暦何年生まれの、どういったジャンルのミュージシャンなの? ムラサキくん、あなたが要領良くわたしに伝えてくれるまで、一緒にゴハンを食べるのも、一緒にゴハンを食べた後の予定も、お預けにするわよ」
容赦が無い、容赦が無い。こんな蜜柑さんは、痺(シビ)れる。蜜柑さんの容赦の無さに縮こまり通しになっていくと思われるムラサキくんを観察するのが、どんなお酒を味わう時よりも快感になっていく。お酒大好きっ子のわたしだけど、ムラサキくんが蜜柑さんに追い詰められていくのを味わう方が200万倍好き。
× × ×
「じゃあ、後はおふたりでゆっくりまったりしてください♫」
軽やかに腰を浮かせながら、軽やかに年の差カップルに告げる。
「星崎さんは今日の内に名古屋にお帰りになられないといけませんからね」
満面の笑顔で言ってくれたのは蜜柑さん。ムラサキくんとは大違い。蜜柑さんなら、帰りの東海道新幹線の東京駅発車時刻も正確に記憶してくれていると思う。ムラサキくんとの違いはここだ。彼は、大ヒット曲の売上枚数ならば「一の位」まで正しく言えるけど、『こだま』の東京~名古屋間の大まかな走行時間なんて未来永劫インプットできないだろう。だとしたら、わたしが今日この後東京駅の新幹線ホームに立っているべき時間帯なんか、200%の確率で忘却しているはず。
「ムラサキくぅーん」
彼より2学年お姉さんなわたしは、くすぐりながらからかうように、
「さっきみたいに、音楽に関するムダ知識で、蜜柑さんを困らせちゃったらダメよー? わたしとの、お・や・く・そ・く☆」
「まっ、松下誠さんに関する知識は、ムダ知識じゃないですっ」
「分かってるわよぉ。だからこそ、よ」
「いっ意味が分からないのですが!? もっと論理的になって頂けないでしょーか!?」
教科書通り、慌てふためきに慌てふためくムラサキくん。
そんな彼を見下ろすわたしの左耳に、蜜柑さんの上品な笑い声が響いてきた。
「そ・れ・か・ら」
ムラサキくんが実の弟であるかのような気分になってきたわたしは、
「ゴハン食べる時に、蜜柑さんにお酒を勧めちゃったりするのは、ご法度(はっと)よ」
やや俯き顔になるムラサキくんを余所に、
「そうですね、ご法度ですね、星崎さんのおっしゃる通りですね。アルコール耐性がわたしにはほとんど無いですから、どれだけ軽いお酒であっても、口に含んだ瞬間に、周りに大きな迷惑をかけてしまうコトになるので」
蜜柑さんと連携プレイのできるチャンスを得たわたしは、
「ホラホラ。配慮よ、配慮が大事なのよムラサキくん。くれぐれも、蜜柑さんに苦い思いをさせないようにね? もし、苦い思いをさせちゃったりしたのなら、即刻東京(ここ)まで飛んでくるから」
× × ×
まだ外は明るいけど、午後5時を過ぎている。
東京駅の駅舎がまもなく見えてくる。歩を進めると同時に、
『あの年の差カップル、ちょうど学生会館から出ようとしてる時間帯なのかも』
と思ったりする。
歳が3つ違いの男女が向かい合って夕ご飯、か……。
ああいう関係性って、どのくらい「ありふれてる」んだろう。
ありふれてると言ったらありふれてるし、ありふれてないと言ったらありふれてない。
年の差カップルはそれなりに見てきているけど、自分自身が年の差カップルの当事者になったコトは無い。
それなりの数の男子と交際してきたけど、みんな同い年だった。年上男子に惹きつけられてしまったコトは複数回あったけど、全て、成就には至らなかった。
最初に振られてしまったのは高校時代の2個上のセンパイだった。振られてしまった放課後の後、家の自分の部屋に入って通学カバンをベッドに置いた1秒後に、頭部に付けていたリボンを引きちぎった。引きちぎった痛みが必然的に出てきたから、ヘアブラシで髪を撫でつけようとしたけど、全部どうでもよくなってしまって、ヘアブラシをゴミ箱に投げ入れようとして見事に失敗した。
『……なーに思い出してんだか、わたし。女子高校生なんて、『通り過ぎちゃった立場』から見れば、コドモもコドモなのに』
ココロの奥でブツブツ呟きつつ、やや下向き目線になって歩き続けるわたしは、高い高い天井の東京駅丸の内南口へとやがて入っていく。
帰りの車内で食べるゴハンの量を多めにしたいのは、現在のわたしに「お相手」が存在していないからだろうか。