この邸(いえ)で2番目に広いリビングに居るのである。あすかさんはしばしば「リビングB」と呼んでいる。あすかさんに倣(なら)って「リビングB(仮)」としておこう。ぼくが「(仮)」を付けたのは、「リビングB」よりも個性的な呼び名を付けるコトができるかもしれないと思ったからだ。
さて、ぼくが座るソファの真向かいのソファには、さやかさんが着座している。
さやかさんはプリン・ア・ラ・モードを食べ始めていた。『何かスイーツを出してくれたら嬉しいんだけど』とさやかさんに要求されたので、ダイニング・キッチンの冷蔵庫からぼくが取り出して手渡したのである。名高い洋菓子店から買ってきたモノというワケでは無いが、限られたスーパーマーケットなどにしか置かれておらず、値段も強気である。つまり、ただの市販品ではありませんよ……というコト。
「おいしいね」
プリン・ア・ラ・モードの容器をいったん置いてから、さやかさんはそう言って、
「そして、利比古(としひこ)くんのハンサムフェイスは、今日も煌(きら)めきを放っている」
と褒(ほ)めたててくる。
ココロの中で、
『『ハンサムフェイス』だなんて。さやかさん、昭和生まれでもないのに……』
と軽くツッコミを入れ、
「素直に嬉しいです、そう言ってくれて」
と感謝を口に出す。
『素直に嬉しいです』と言ったが8割以上は社交辞令である。
夕方5時のチャイムが鳴る少し前に、さやかさんはプリン・ア・ラ・モードを完食した。
「夜になるのはもっと先だよねえ。夏なんだし」
さやかさんはそう言ってから、
「でも、わたしの兄さんの『近況』について、わたしは喋ってみたい」
とか言い出してくる。
『でも』って接続詞はどうなんだろうか。『夏だから夜になるのはまだ先』と『わたしの兄さんの近況報告がしたい』というのを逆接の接続詞で結べるだろうか?
東大の院生というポジション的に、さやかさんは、レポートを書いたり論文的なモノを書いたりする機会が多いはずだ。適切な接続詞の使い方を心得ているはずなのだ。それなのに、どうして今、杜撰(ずさん)とも思える接続詞の使い方を……?
モヤッとしているぼくに向かって、
「利比古くんには、兄さんの結婚式のコト、既にレポートしてるんだけどさあ。まだまだ、結婚式の時のコトで、話せていない◯◯や◯◯が多いワケなんだよ」
これは……長引きそうだ、話が。
さやかさんのお兄さんが結婚式を挙げてからかなりの時間が経っている。しかし、最愛のお兄さんの結婚関連の◯◯について、『話し足(た)りている』という様子をさやかさんは少しも見せない。『今年中は、兄さんの結婚にまつわる話題を延々と繰り広げ続けたい』。そんな意思が真向かいのソファから伝わってきている。
× × ×
『お腹すいたから家に帰るね』と告げてさやかさんはこの邸(いえ)から出て行った。あなたさっきプリン・ア・ラ・モードを堪能してましたよね?
ぼくは2階の自分ルームに引きあげた。カーテンを開けている窓の外は明るい色を失っていない。さやかさんの言った通りに、昼が長く夜が短い季節だ。
とりあえず、ベッドに腰を下ろす。
それから、
「結婚、か」
と、床に向かってヒトリゴトをこぼす。
それからそれから、
「さやかさんがひたすらお兄さんの結婚式報告とかをするのを聴いてたら、『あの2人』のコトを思い浮かべちゃったよ」
と言い、
「『あの2人』ってのは、もちろん、ぼくの姉とアツマさんのカップルなんだけど。あのカップルがチャペルで誓いのキスをするヴィジョンが、どんどんヴィヴィッドになっていっていて」
と言ってしまう。
ヒトリゴトにしては長大なボリュームになってしまったのは認める。でも、ぼくは呟きたかったのだ。他人の居ない自分ルームのような場所でないと、こういう風な思いを口に出すのは難しいでしょ?
『姉とアツマさんの結婚式のヴィジョンが鮮明になってきた』だなんて、他人が居る場所で言うのが憚(はばか)られる以前の問題なコトバだ。
自分勝手な思い。ならば、胸の奥に格納庫を作って格納しちゃう方がベターだろう。
だけども、ぼくとほぼ同じような「思い」を、胸の奥の格納庫を作るほどじゃ無いにしても、内心において抱き続けている人は、少なくないと感じている。
たとえばそれこそ、さやかさんだとか。
姉とアツマさんの未来に、沢山の人々が、期待を寄せているというコトだ。
ベッドから腰を浮かせ、勉強机に歩み寄る。
机上(きじょう)のタブレット端末を一瞥(いちべつ)するけど、一瞥するだけで、触らない。
椅子に腰掛け、すぐさま両腕で頬杖をつく。
今日の夕食当番は流(ながる)さんで、彼本人から、夕食の出来上がる予定時刻を伝えられている。
その予定時刻まで、「妄想」に耽(ふけ)ったとしても、お咎(とが)め無しだろう。